昨夜は出雲市を夜の七時に出るサンライズ出雲に乗り、これで旅の終わりかと安心していたら、そうは問屋が卸さなかった。
夜中三時頃、静岡の掛川の駅で随分長い間止まっていたと思ったら、やはり今朝になって、
ドアに故障があって途中で点検したとの事、その為1時間程度遅れるという事、急ぐ人は熱海から振り替え輸送をするから新幹線に乗り換えて行けとの事。
そして東京に入る頃には通勤時間帯に入ってしまって線路が混んで東京までたどり着けない。貨物線を通って品川まで行き、そこを終点とする事。
が放送で告げられた。
旅に出る前の予定では、今日は朝の十時から仕事が入って、東京駅から婆ちゃんを一人で中央線で西荻窪に帰して、僕は我孫子に帰り鞄の中身を空けて撮影機材を詰め込み再び都内の撮影現場まで行く事になっていたが、昨日の時点で仕事は延期になっていて良かった。
熱海では多くの人がぶつくさ言いながら降りて新幹線に乗り換えて東京へ向かったが、こちらは急ぐ用もないので予定より一時間半遅れて品川に九時前に到着。
東京駅に着くのだったら通勤ラッシュとは逆の中央線の下り電車に乗れば良いかと思っていたけれども、品川からはそうもいかない。山手線で新宿に出て乗り換えなければいけないので、品川の駅の中の喫茶店でパンとお茶など飲んで、時間をつぶし、朝のラッシュが収まってから山手線に乗って一緒に実家に帰った。
カテゴリー: 10初春 出雲
最後の夜と最後の日
漁港から宿に戻る。
最後の晩の食事には境港 (出雲市の向こう) で採れたという松葉蟹(ズワイガニ)。
翌日(今日)、町を見下ろす山の上の神社に登る。
旅館の旦那に駅まで送ってもらい、今度は夜7時出雲市発のサンライズ出雲に乗るべく鈍行で出雲市へ。
温泉街散策
温泉津 (ゆのつ) の温泉街を散策。
温泉街とは言っても旅館は十数軒しかないひなびた温泉地。
まずいきなり温泉街を抜けて漁港へ
中を抜け、温泉街の入り口。
宿に婆ちゃんを置いて、石見銀山の銀を運び出していたという沖泊(おきどまり)という入り江へ。
先程来た温泉津港から更に海岸沿いを進むとトンネルがあり、
抜けると沖泊の入り江が眼下に。
沖泊の集落から石見銀山へ続くという道。
銀を運び出していた頃は栄えたというが、今は空き家が目立つ。
お爺さんが海藻を板状に干すための巻きすの様な物を洗っていた。
温泉津漁港を通って帰る。
丁度魚が上がった様だった。メダイという奴らしい。
旅館
泊まった温泉津温泉(ゆのつおんせん)の旅館。
風呂
出雲大社を出て温泉へ
昨日の事。
サンライズ出雲の旅も終盤に差し掛かり、中国山地を超え山陰の米子が近くなると、大山がその雄々しい姿を表してきた。安来を過ぎ宍道に掛かると宍道湖に沿って列車は進む。放送がある度に通路側に人が出てくる(大山も宍道湖も個室からは見えないので)。
取り合えずせっかく来たのだからと、終点出雲市で寝台列車を降りると市畑電車 (前来た時は市畑電鉄だったんだけどなあ) に乗り出雲大社へ。
「古代日本って案外大味な国だったのかもね」と思ってしまう程、何でもデカいダイナミックな木造建築。参道の黒松もビッグサイズ。
そしてまた市畑電車に乗り出雲市駅へ。
出雲大社前駅から直接は出雲市には行かず、途中川跡(かわと) 駅で地上の踏切を渡って乗り換えなければならない。
出雲市から特急 (客が居ないので2両編成というのがまた旅情をかきたてる) で今宵の宿の温泉津に行くとホームにおじさんが居て、「増田さんですか」と。旅館からのお迎えだった。
だが旅館に着いてふと気付く。
ウィルコムのPHSとソフトバンクが通じ無い。これの更新は明日になるのか。 (auの携帯電話は通じる)
出雲へ
夏に一人で乗ったサンライズという寝台列車が思いの外快適だったので、今度は婆ちゃんを連れて出雲の先の温泉津(ゆのつ)温泉に行くべく、ベッドが二つ並んだツインに部屋を取った。
昨晩は夏に乗った四国行きのサンライズと一緒に十時に東京駅を発車し、夜通し東海道、阪神間、山陽道を抜け、朝岡山で四国行きの列車を切り離すと、山陽道を少し行った倉敷からすぐ中国山地に入り、米子まで縦断する。
山に入り新見を過ぎて山陰に入るとすぐ車窓は冬の里山となった。