御前崎へ

木曜日の朝七時過ぎに家を出て、御前崎に向かった。
御前崎へは、静岡からバスで相良(さがら)という所まで行き、またバスを乗り換えて行く事は分かっていた。

朝の下りの新幹線は日帰り出張の会社員で結構混むことは分かっていたので、東京での発車20分程前には乗り込み、自由席の窓際の席を確保していた。
発車十分前になっても窓際の席は全て埋まっていたが、その他は五分程度だった。「そんなに遠くへ行かない『こだま(名古屋行き)』はそれほど乗らないんだな」と思ったら、発車五分前になって急に混み始め、窓際と通路側の席は完全に埋まり、三列の真ん中の席が空いている程度だった。発車して品川を出ると、この車両は完全に席が埋まってしまった。

東京は晴れてもう梅雨明けかという天候だったが、小田原を過ぎた辺りから雲が多くなり、熱海を過ぎて丹那トンネルを抜けると雨が降り出した。自分の作品作りの場合、かんかん照りは嫌で、影が出ない一面の曇り空が好きなので、多少の雨は仕方ないかなという気はしていたので、さして気にならなかった。

静岡で降りて、九分後に出る静岡発の相良行きのバスを探す。静岡駅は大きい駅で、南口に出てしまったけれどもそこでは無くて、北口の静岡鉄道バスの案内所で訊く。小雨が降っていたので案内所のおばさんは「そっちは横断歩道があるから屋根のある方を通っていけば」と言ってくれたけれども、雨に濡れながら走っていった。

バス停で待っていたと思っていた人は皆、前の静岡空港行きのバスに乗るか、それを見送るかして立ち去り、結局相良行きのバスに乗ったのは僕を含めて三人だった。その内一人はすぐに降りてしまったし、もう一人のお爺さんもしばらくすると降りてしまった。

“しずてつジャストライン

途中焼津辺りで高速道路に乗るが、ここら辺りで雨が強くなり、前方の視界もかなり悪い叩きつけるような雨が降った。

数分降り続いた雨も上がり、高速も降りて市街地を走っていた。経路を見る限りこの路線はもっと海が見えるのかと思っていたが、実際はまず海は見えず、多少松林の間から見えたのは最後の静波海岸から終点の相良営業所の間の区間だけだった。

実は相良まで、十年前仕事の撮影でこの路線で行ったことがあって、その時はもう眠くて一番前の同じ席で居眠りしていた。バスも全く同じバスだったと思う。随分古いバスだ。向こうから来るバスも。

“しずてつジャストライン

相良営業所には少し遅れて着いたので、そこから先の御前崎方面に行くバスには乗れないかと思ったが、待っていてくれたので乗る事ができた。御前崎の町中を歩くのが目的なので、御前崎までは行かず手前の地頭方辻で降りる。このバスは東海道本線の静岡の少し先の藤枝から相良を通り御前崎を回って同じく東海道本線の袋井に行っていた静岡鉄道駿遠線に沿った道をバスが走り、廃線跡を利用した太平洋岸自転車道への案内板が道の所々に出ている。

地頭方辻で降りて気の向くまま御前崎方面を目指して歩く。時折雨が降っては止むが、それほど強くない。この程度なら良いかと思いながら持っていた折りたたみ傘も差さずに歩いていたら、雨脚が強くなってきて、本当の豪雨になってきた。この頃はもう市街地を離れ港へ向かう一本道を歩いていて、港湾の船に荷物を積むトラックが猛スピードで走っていって水をかけられ、雨宿りする軒も無し、ただ全身ずぶ濡れで歩くのみだった。数日前買った、魚が一面に描いてあるシャツを着て行ったのだが、それが雨を降らせてしまったのか。

雨が上がり、浜辺に行って見ると小学生の集団が海に浮かべた浮き輪を繋げたようなアスレチックで遊んでいる。浜辺の段になっている所で小学生の荷物の番をしながら携帯電話をいじっていたおじさん(多分校長先生か何かだろう)に訊いてみたら、静岡市内の小学生が、海水浴に来ているのだとか。「雨上がって良かったですね〜」なんて話をして、数枚写真を撮る。

ふと見ると今来た道の方に「海鮮なぶら市場」というのがあったが、ここを逃すともう昼食を摂る所が無さそうなので、入り、鰹を食う。もう二時近く。

これ以上御前崎の先の方に進んでも何も無いので、浜岡方面に向かって歩き出す。
04年に御前崎町と浜岡町が合併してできた御前崎市だが、御前崎中心部から浜岡中心部へ向かう道は、畑と少しの家があるだけで畑ばかり。

降った雨が水蒸気となって蒸れて、暑い。

浜岡の町をぶらぶらして、浜岡原発の方に行くと、丁度終業の時間らしく、大勢の人が入口から歩いてくる。ここも海側の、周りから一段低くなっている所に原発が建てられていて周りを森で囲まれているので、原発を見る事はできない。浜岡原子力館なるPR施設の展望台に行かないと見えないらしい。周辺住民は、原発を意識せず暮らせるようになっている。

気が付いたら相良へ帰るバスの時刻まで三十分ほどになっていて、そのバス停がどこにあるのか分からないので、急いで歩く。その名も「原子力発電所入口」なるバス停は、原発の近くには無いらしい。iPhoneの地図を頼りに歩く。
原発から出てきた人は、大抵が駐車場に向かって歩いて行くが、一人僕と同じ様にバス停に向けて歩く男性が居たので、後ろを付けるように歩いて行った。バス通りに出た事は分かったのだが、相良方面行きのバス停がどこだか分からない。
横断歩道で信号を待っているその人に訊いてみたら、反対に行く御前崎営業所方面へのバスとは100mぐらい離れた所にそれはあった。
結局二十分前にバス停に着いてしまったので所在無くしていると、バス停裏の道で赤ん坊を抱えた男性がお辞儀している。さっきバス停の場所を教えてくれた原発で働いている人で、ここが丁度家だったらしい。

18:06のバスで相良営業所に着き、十数分後の静岡駅行きの特急バスで同じ様に帰る。
帰りは新しいバスで、席毎にUSBの充電口が付いている。

“しずてつジャストライン

19:45に静岡駅に着くが、19:52の新幹線には乗れず。
20:38の新幹線に乗り、帰る。帰りはほどほどに混んでいたが、静岡で降りる人もいて、窓際に座ることができた。
気が付かなかったが、静岡駅のホームには人の背丈ほどもある駅名板に「静岡」と書いてあって、少し列車が進入してくる方向に傾いている。通過中の列車からこれを見なければいけないのか。これは通過される各駅のホームにあるのか。

“静岡駅新幹線ホームの大きな駅名板"

我孫子駅に着いたのは22:38。


明日から写真展やります

“写真展「伊豆」の設営作業"

もっと早くここでもお知らせしようと思っていたのだけど、明日から写真展やります。場所はもう何度もやっている、新宿のコニカミノルタプラザです。高野のビルの四階です。

伊豆には何度か通っていましたが、その写真を並べます。
余り、私の伊豆を押しつける様な写真ではありませんが、私の感じた伊豆を、追体験しに来てください。


感想ノート

私の写真展が終わって数日経った。今回は写真関係者よりも、普通の人が来て、普通に作品を観て、そして感想を言っていってくれた展示だったと思う。
これまでの私の作品は人を突き放す様な傾向があって、自分の思った事を語らせたり、観た人を饒舌にする物では無かったと思うけれども、今回は知らない人が在廊している私を掴まえて感じた事を語ってくれたり、会場の中の椅子に置いた感想ノートに思ったままを書いてくれていたりしていて、嬉しかった。
観た人に自由に感想を綴って貰う「感想ノート」は、僕は好きで初めての展示の時から環境が許せば置いている。
同じコニカミノルタプラザの展示でも、心ない事や辛辣な批判を書かれるのが嫌なので置かないという人も多いが、それが面白くて東京都写真美術館の展示でも置いていた強者も居た。僕はどんな事を書かれようとも、自分の作品を人前に晒して色々な事を言われるのが「個展」という物であると思うし、展示が終わって数年後それを見返して感慨にふけるのが面白いのでまず置いておく。
そして嬉しかった感想、「旅した気分」とか「一日で撮ったみたい」とか。


写真展をします

増田新写真展「房総」
10月に、数年ぶりに(その前も数年ぶりだったけど)写真展をします。場所はまた、新宿のコニカミノルタプラザです。
題名は「房総」。ここ数年、南房総の富浦から館山、千倉、鴨川などに行って撮った写真です。
また会期が近づきましたらお知らせしますので、宜しくお願いします。


細部まで見せる写真

国立新美術館の休憩室にて
六本木の国立新美術館で「アンドレアス・グルスキー展」を観た。
史上最高額の数億円で売れた写真という事で、どんな物だろうと観てきた。
「数億円」という先入観を捨てて見れば、良い写真だと思うし、Webや印刷物で作品を見て「ふ〜ん」と思い、実物を見るとその大きさと細部に確実に驚かざると得ないので、誰にでも本物の凄さを分かりやすい作品だとも言える。小さなギャラリーでは無く大きな美術館で金を取って見せるのも納得できる写真だった。
その高解像度の巨大写真に込められた(或いは、込めてる事にさせられた。込めてる事にしちゃった。)暗喩までは分からないが、高解像度のデジカメ画像をツギハギして更に高解像度の写真にするというのは、遅かれ早かれ誰かがやっていた事だろう。
数億円で売れたという写真は、その写真に数億円の価値があるという事では無く、その写真を数億円で買っておけば数十年後にはもっと高名な写真家となった作者も亡くなっていて、せめて数億プラス数千万円で売れるだろうという金儲けの為の買い物だろうから、値段を気にして見る事は無いと思うのだけど、投資という意味では、今後この様な高画素の写真は誰でもコンパクトカメラで撮れる見慣れた写真となっていて、その時まだ数億円の価値があり続けるのかなあとは思うのだ。或いは時代の里程標(マイルストーン)という意味で価値が出ているのかも分からないけど。
展示された作品の中には、初期にニューカラーの方向に足を突っ込んでみました的な作品もあって、それをこの巨大で細密な作品と一緒に観るのも面白かった。


ギャラリー巡り(写真を商品として扱う)

夏の気配
杉並区役所にて用事をし、丸ノ内線で新中野に行き冬青社土田ヒロミさんの古い元気な写真を観る。六本木の タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム の村越としやさんの展示を観ようと思ったら、廊主が居なくて入れなく、隣の Zen Photo Gallery を少し観た後、戻る。
写真は冬青社から青梅街道に出た所の角にあるラーメン屋さん、「つけ麺」やら新興勢力が周りに現れては消えるけれども、なかなかしぶとい店。


FUJI X100 のコマNo.がリセットされてしまった場合

先月、フジのX100の露出がおかしいので池袋のサービスセンターに持って行ったら、絞りの機構が壊れてるとかで、カメラは預けて代わりのX100を貸して貰ったのでそれを持って四国に行き、色々撮った。
そして帰ってきて修理の終わったカメラを受け取り房総に行ったら、画像の番号がリセットされてしまったらしく、修理前に房総で撮った写真とファイル名が重複してしまう。困ってフジのサービスステーションで教えて貰ったのだが、X100はメモリーカード毎に番号を順番に数えていく様になっているらしいけれども、何らかの原因でリセットされてしまった場合、一旦「_DSF0001.RAF」とリセットされてしまったメモリーカードをパソコンに認識させ、ファイル名を任意の数字(「_DSF0146.RAF」とか)にすればそこからまた数え始めてくれる様になっているらしい。
(これは設定し直す番号が増えて無ければならないらしく、撮影された「_DSF0146.RAF」の次に次々試し撮りをし、「_DSF0152.RAF」まで撮ってしまったけれども次の撮影の時は「_DSF0147.RAF」から始めたいので「_DSF0152.RAF」を「_DSF0152.RAF」に変えても、次の撮影画像の名称は「_DSF0153.RAF」になってしまう、という事。)