久方ぶりの房総へ

久々に、房総半島に行ってみた。七年前の写真展のため、足繁く通って以来。

昨年の台風で、方々に青いビニールシートが見える。割れてしまった出窓にビニールを張ったまま営業する床屋。房総は更に寂れた様に見えた。
その時お昼を食べた食堂は潰れていた。
富浦で降りて、近所のウエルシアでビールを買って、海岸に座って飲む。
“富浦の原岡海岸"

その時撮った写真の場所を、再訪。こちらは特段変わった風も無く、舗装が変わって、枯れそうな松が枯れて、面白くもない風景に。
“富浦の雀島に行く道"
こちらがその時の写真。
富浦の雀島に行く道

そして日が暮れ、帰る。駅の跨線橋から。
富浦駅の跨線橋から


冬の秋畑へ

今年も、年初に群馬の甘楽町へ。
行った日の夕方、向かいの山に上って、秋畑の集落(旧秋畑村の中心地)を眺める。
戦前はここに製糸工場があって、商店も多くあり、栄えていたらしい。今はコンビニ一つ無い。

“群馬県甘楽郡甘楽町秋畑"

翌朝、家の外に出ると霜が。例年より暖かいとは言え、霜は降り気温は氷点下。

“群馬県甘楽郡甘楽町秋畑"

近くの稲含山(いなふくみやま)に登る、山頂からの眺め、
左の台の様な山が荒船山、中央に雪をかぶった浅間山、右のギザギザの所々岩肌の見えるのが妙義山

“稲含山山頂よりの眺望"


再びのビジターズハウス・三崎・八幡浜

二十日の日曜日は伊方ビジターズハウスに再び行き、一時間半ほど滞在してから、八幡浜からのバスで昨日も行った三崎へ。
昨日も来たが、佐田岬半島のほぼ先端で、九州に渡るフェリーも出ているし、観光客も居るかと思ったが、そうでも無い。確かに平日と比べて人は居るのだが、フェリーターミナル周辺からすぐに車やバイクで佐田岬半島の根元に向かってしまい、三崎の町に滞在する人は無い。三崎の町は、ごく普通の老人の多い寂れた海沿いの町である。
三時過ぎに昨日と同じく、地元の物産を売っている直売所で、しらす御飯と太刀魚の刺身を買い、切って貰って昨日と同じく隣接の観光案内所で食べる。
四時のバスで松山に帰る。

二十一日の月曜日、今回の旅最後の日。今日も、八幡浜方面三崎行きの長距離バスの出る松山市駅まで、友人に車で送ってもらう。そぼ降る雨の週の始まり。松山は通勤にスクーターを使う人が多い。信号で停まる度に、車の前にスクーターに乗った人達が車の間をすり抜けて出てきて、ひやひやする。

八幡浜港から町を通って駅に行き、六時前の電車に乗れば良いと思っていたが、今夜の東京行きの寝台特急の部屋を確保していないというのも落ち着かないので、八幡浜駅でバスを降りて我孫子までの切符を確保してから、八幡浜の町を歩いて港に向かう。八幡浜港に着く頃にはちょうど昼時分となり、八幡浜港内の魚市場併設の食堂で、海鮮丼を食べる。おいしくない訳では無い、東京や我孫子の魚より余程おいしいのだが、三崎の魚の方が随分とおいしい。

八幡浜港から駅は歩いて数分で、八幡浜駅にはすぐに着いてしまう。しかも八幡浜の駅から港までは、後ろの山と前の海との間の少しの平地を利用して町が開けているので、彷徨うエリアも限られて、すぐに駅に着いてしまう。港から湾の奥に歩いてみたり、商店街を何度も行ったり来たりしてみる。

しかし結局(いつも「今日は時間がありすぎて、どうやって時間を潰そう。」と思っていてもぎりぎりまで彷徨う事になる)五時近くまで彷徨って、駅に帰る。
18:42の特急「宇和海」で八幡浜を去る。

松山に出て、友人から改札越しに荷物とお土産を受け取り、同じホームの前方に止まって出発を待っている「いしづち」に乗って松山を出る。検札に来た車掌さんの背中に埃の塊が付いているのを見つける。途中人身事故があって列車が遅れるから乗り換える人は車掌に言うようにという放送が入り、件の車掌さんがまた来たが、やはり埃の塊は付いたままだった。
坂出で降りていつもの様に「サンライズ瀬戸」を待って押し入れの様な部屋に潜り込み、寝る。

明朝、東京に帰る。


三机・三崎 へ

一昨日の18日は再び松山から佐田岬に向かうバスに乗り、前日乗った「加周口」の二つ先の「堀切大橋」で降りる。

前日回った九町や二見は尾根を走るメロディーラインから見て南側の集落だが、行った三机は北側にある。

三机(みつくえ)は、今の伊方町を構成する伊方と瀬戸と三崎、その町の一つ、瀬戸町の中心地だった所。

撮影を終わり、尾根に架かる堀切大橋まで歩く。一時間ほどで上る。

堀切大橋バス停横の「道の駅瀬戸農業公園」の食堂で、ようやく昼食。刺身がおいしい。

昨日の朝も同じ九時十分のバスで松山市駅を出る。
今日は、もう一つの伊方町となった町の一つ、三崎へ。

県立高校もあって、昨日の三机より大きな町。すぐ向こうは九州で、三崎と大分を結ぶフェリーが行ったり来たりする。

少し早く八幡浜行きのバスで八幡浜港まで戻る。バスに乗ると運転手さんが、「これから松山に帰りですか?」と。前日の松山市駅までと、その日の朝三崎に来る時の運転手さんだった。八幡浜までは他に客も居なくて、色々話した。

八幡浜港で降り、港を歩く。
どこかで見た様なオブジェのミカン版が。表面のミカン一つ一つは本物らしい。

八幡浜港から松山市駅行きのバスに乗って帰る。前述の運転手さんは「今日は土曜日だから大丈夫でしょう」と言っていたのに、道が混んで随分遅れる。
八幡浜港から乗った女性に「今日は土曜日だから大丈夫でしょう」と受け売りしていたのに、面目丸潰れである。

今朝もまた同じバスで三崎に向かっている。急峻な峠を越えて行く。


伊方へ

月曜日(14日)夜十時、サンライズ瀬戸で東京を出て、四国に向かう。
いつもは個室だったが今回は始めてノビノビ座席という仕切りのあるカーペット敷きの所を取る。
枕も無ければ浴衣も無い、電源が無くてiPhoneを充電できないのには閉口した。

坂出で降りて高松からの特急「いしづち」に乗り換え松山へ。松山の駅のコインロッカーにパソコンや荷物を全て置いて、カメラ一つぶら下げて、特急「宇和海」で八幡浜に行き、八幡浜からバスで伊方町役場へ。

町役場そばの食堂で、この日初めての食事をとる、日替わり定食650円也。

ぶらぶら歩く、伊方町役場のある中心部を過ぎて、海を見ながら漁村を歩き、

川永田から山に入ってつづら折りの道を上り、国道197号線(佐田岬メロディーライン)に沿って半島の先の方へ。再び海側に降りて行くと豊之浦の集落に下り、また小さな岬を迂回して山を越えると九町(くちょう)の集落に着く。帰りに乗らなければならない一日に六本しか無いバスが行ってしまうので急いでつづら折れの道を上っていったが、暗くなってくるし、車は結構飛ばして通るし、怖いので九町の入口に戻り、チワワを散歩していた地元のおじさんに訊き、タクシーを呼ぶ。

「すぐ行きます」と言ったタクシーを待っている間、そのおじさんと話をした。
上の国道の向こうにある原発から、仕事を終わった人達が九町の民宿に引き揚げてくるので、車通りがこの時間は多いこと。集落を通るバスが少なくなって(今は朝の一往復だけ)、お年寄りは皆困っているとの事、美浜と違って、ここら辺りの人は余り原発の恩恵を受けていないようだ。

タクシーは八幡浜の駅まで三千数百円。そこから千幾らかけて松山に戻り、また明日ここに来るならばここに宿を取った方が安上がりだったのかもしれないが、松山駅に荷物を置いてきてしまったので仕方ない。

列車で松山に戻り、荷物を取って友人の家へ。夕食は松山に来たらいつも行く魚のおいしい店。

翌朝は少ない佐田岬に向かうバスに乗って行く。八幡浜港から九州に行くフェリーが出ているので、殆どの人はそこで降りる。バスが九時過ぎ発だったので何も食べられず参っていたら、松山市駅で一緒に並んでいたおばさんに飴とおにぎりを貰う。三列独立の長距離バスで悠々と食事。

昨日タクシーを呼んだ九町(くちょう)に一番近い、「伊方ビジターズハウス」で降りる。九町に下ったら昼食など調達できそうにないなと思い、横の道の駅の様な所でカップラーメンとじゃこ天を食べる。焼き芋を二本おまけでもらい、それも食べる。

ビジターズハウスの展望台に上り原発を見る。伊方原発は人の居ない山の陰にあって、ここ以外殆どその姿を見る事ができない、つまり意識しないで暮らせる。

焼き芋をもう二本買い、懐炉代わりにポケットに入れて山を下る。車の通れない山道を教えて貰うが、結構な急傾斜で何度も滑りながらなんとか九町の集落にたどり着く頃には膝はガクガク言っている。

段々と下っていく。

降りていくと、建物の上に梯子をかけてペンキを塗っていた人が「今日はこっち周りよるんかーい」と、良く見たら昨日タクシーを教えてくれた犬の散歩のおじさんだった。

九町を歩いてから町見を通って海岸沿いに、二見へ。
今日はこの二見まで。昨日のようにバスを逃すことの無い様、早めに上の国道に行く。亀ヶ池温泉という地元の健康ランドの横からつづら折りの道を上っていく。
30分程前に、加周口という帰りのバスが来るバス停に着く。

八幡浜を通って、松山市駅へ。今回の旅で始めて道後温泉に入って体を休める


帰る(趣味の乗り鉄)

朝九時過ぎ、宿を出て竹波のバス停から美浜町のコミュニティバス(敦賀までの福鉄バスは、1/4程遠いだけなのに¥990、美浜町のバスは¥300、ここら辺何かを感じざるを得ない。)で美浜駅に行く。
へしこちゃんを描いた美浜町コミュニティバス
美浜駅には観光センターが併設されているが、随分手を入れて無い様だ。
美浜駅の美浜町観光センター
美浜のホームの待合室には、除雪機があった。
美浜駅ホーム待合室の除雪機
昨日泊まって時間ができたので、帰りは特急や新幹線を使わず鈍行を乗り継いで帰る、旅のクールダウン。
途中乗り換えの近江塩津駅、東京は雨らしいし、和歌山では電車が止まっているらしいが、こちらは山間を吹き抜ける風が心地良い。
近江塩津駅


丹生を出て竹波へ

部屋の窓を開けると、良い天気。
美浜原発を望む漁村 丹生
漁港に行くと、原発の向こうの定置網にかかった魚を、家々で食べたり、宿で出す為に売る所だった。
美浜原発を望む漁村での魚の水揚げ
宿を出て、敦賀半島を根元へ、海沿いに歩き、竹波(たけなみ)の集落とその前に広がる水晶浜を目指す。
途中、丹生から付き出た半島の先にある美浜原発に丹生を通らず渡る橋があり、そのたもとに「美浜原発PR館」という立派な建物がある。勉強なのでそこに入ってみる。
お姉さんに大型スクリーンで「原子力発電の仕組み」など教授して貰い、館内の案内もして貰う。
美浜原発PR館の原子炉型ディスプレイ
安全に留意しているらしい事は分かったけど、「これだけ安全に気を付けているんだから、何かあったら諦めるしかないよね。」という思いは伝わった。
水晶浜、ダイヤ浜を歩き、水晶浜に戻ってもまだ四時。
前日、丹生の宿から翌日泊まる所を探して美浜町のホームページに書かれた所に片っ端から電話をしたのだが、関電の工事の人が長期滞在していて駄目で、諦め今日の夕方六時過ぎに水晶浜を出るバスで敦賀から米原を通って新幹線で帰ろうと思っていた。
丹生のバス停で敦賀に行くバスとは別のバスの時刻表を見たので、今から次のバスを二時間待つのは苦痛だと、水晶浜の駐車場のおじさん達に訊いてみると、その内の一人が民宿のオヤジもやっていて、「ウチなら良いよ」との事。
別のおじさんは敦賀駅まで車で送って行ってあげると言ったけれども、今日急いで帰っても、長旅を終えた実感が無さそうで、民宿に泊まる事に。
軽トラックで送ってもらった宿は、古いけれども小綺麗な宿。
聞けば工事関係のお客さんは泊めて無いとの事、海水浴などで来る人を泊められなくなるからだそうだ。始めからここに「泊めて欲しい」と言えば良かった。
宿の窓から外を見る。
竹波の民宿の窓から
急だったので夕食はできないとの事で、近くの(そこしか開いて無い)寿司屋へ。これで最後の、若狭湾の魚を食う。
竹波の集落のバス停
明日は朝から電車を乗り換え乗り換え、東京を目指す。


丹生へ

丹生(にゅう)という敦賀半島の先の小さな漁村へ、敦賀駅から一日五本のバスで行く。
雨が上がり、向こうの雲間から明かりが差してきた。
敦賀駅から丹生へ向かう福鉄バスからの眺め
そしてついに見えてきた。
敦賀半島を走るバスから見る美浜原発
丹生は小さな漁村、向こうには、美浜原発がある。
敦賀半島の丹生の港から見る美浜原発1,2,3号機
泊まった宿も関西電力の工事関係者ばかり。一緒に宿の夕食を摂った人は敦賀半島のもっと先の、敦賀原発の工事に行くんだとか。
バスの運転手さんも、「丹生行くバスも、普通だったらとうに廃止になってる、残っているのは原発のおかげ。」と言っていた。
宿も、観光客の閑散期は工事関係者で潤って、寂れた村は原発で息を吹き返し、それが普通になり、それ無しではもう地域が立ちゆかなくなっている。原発というのは恐ろしく、難しい物だと思う。


雨の小浜を出る

起きて、部屋に持って来てくれる朝食を頂く。
菜っ葉のおひたしなんて久しぶりだ。
小浜の宿より外の町を見る
食べ終わって外を見ると、しっかり降っていた雨はぽつぽつ程度。
敦賀に戻る電車まで時間があったので散歩に出ると、またしっかり降っている。さっきは少し止んでいただけだったらしい。
小浜公園を歩いて、江戸時代、若狭藩の中心として栄えた小浜の花街だったと言う、三丁町(三つの丁目が集まって)を歩いて帰る。
結構良い時間になってしまったので、荷物を取って駅に向かう。
小浜駅までは三十分かからないと宿の人に聞いていたけど、歩きながら面白い物を見つけてカメラを向けたりしていて、五分程前に二時間に一本しかない列車の駅に着く。
小浜の町は静かな情緒のある所で寺も多く、また機会があったら来たい
敦賀に戻るけれども若狭湾は見えない、相変わらず雨は降っている様だ。
敦賀駅に着いたのが11:03、次に行く美浜町の丹生(にゅう)へのバスが出るのが13:10。
時間があるので今のうちに丹生の宿に電話をかけて、宿を取る。二軒断られ、三軒電話に出なかったけれども、やっと六軒目の店に決める。
敦賀駅前の店で昼食を食べながら、コンセントを借りてiPhoneを充電させて貰う。