ゲームにかけた青春が

今でこそ「ゲームなんて、馬鹿らしい。」なんて顔をしている僕も、かつてはパソコンでのゲームにはまっていた時があった。
パソコンのゲームというのは、テレビゲームと違って、およそ大衆には受け入れられないであろう奇妙な世界を構築するものが商売として成り立つ世界で、また僕がそういうのが好きだったのだが、その頃はまったそういう類のゲームの一つに、「Bad mojo」がある。
簡単に言うと「ゴキブリになって生ゴミなんかを乗り越え汚い部屋をウロウロする」という、変なゲームなのだが、妙に懐かしくなって一週間ほど前Googleで検索してみたら、「レトロゲーム紀行」と題したブログがあり、その中でそのゴキブリゲーム「Bad mojo」が懇切丁寧に紹介されていた。懐かしいデモムービー(この変なゲームを広く売るために作られたのであろうビデオ、今見ても凄い、当時最先端の3D技術をこんなリアルな生ゴミを描く事に使ってしまって良いのだろうか、と考えざるを得ない。)も一緒に。
懐かしさの余りもう一度このゲームに挑戦したくなったけれども、ゲームのCDはどこかに行ってしまっていて諦めかけたら、「楽天市場」で千円しないで買えるとの情報が…
感激して購入してしまった。
昨日、婆ちゃんを病院に連れて行った帰り、相模大野のセブンイレブンでお金を払って今日の午後我孫子の家に帰宅してみると、不在通知が入っていた。今朝八時半に来ていたとは。
そして夕方受け取り、使わなくなった古いiBook(OS9が入っている)にこれからインストールしてみようと思う。
あの気持ち悪い世界に十数年ぶりに浸れるのかと思うと、今から楽しみ。
実家から帰る途中新宿のコニカプラザに寄った。中でも井上麻衣さんの「白いユートピア」は面白かった。「白いテーブルクロスの上にワイングラスが並んで」とか、「キッチンの棚には外国の香辛料の瓶が並んで」とか、「幸福感」が過剰に演出された「モデルルーム」という世界を(一軒一軒頼み込んで撮らせてもらったというが)並べられて、圧巻だった。


贅沢をしようと決めてしまうと

我孫子の鰻屋「うだ川」の鰻重(並)
昨日から体の具合が悪くてだるいし(単に、金曜日確定申告を済ませて、お祝いに一人深酒をしたのがいけなかったり。)、
今日のお昼は湖庵で海老天せいろを食べようと思って二時過ぎ行ったのだけど、もう蕎麦が無いというので、近所の以前からある蕎麦屋で力うどんでも食べて帰るかとも思って足を向けたのだが、「やっぱりそれは無いよ」と脳がつぶやき、駅の方の鰻屋「うだ川」に方向転換。
鰻重1,200円はなかなか安いと思う、「並」だけど。おいしいし。


雷門の前を通る

浅草雷門
昨日は仕事の打ち合わせで築地に出て、早く終わったので都バスで浅草に行き、久々に生姜の効いた雷おこしを食べたくなったので買って帰り、「やはり雷おこしは白い生姜のに限る」とか「やっぱり黒砂糖の方がおいしい」とか言いながらCallaでみんなで食べた。


チーバくんなど

千葉県のマスコットキャラクター チーバくん
柏のビックカメラに現像液を買いに行く。改札の前のデッキではチーバくんが献血を呼びかけていた。
国体のキャラクターだけだった筈なんだけど、「かわいいのに千葉国体だけで終わらせてしまうのは勿体ないよな。」と思っていたらこんな所に現れた。
横から見た姿が千葉県の形になっていて、ベロが浦安市になっているのがキモなので、横を向いてもらったのだけど、余り意味はなかったみたい。
我孫子のそば屋「湖庵」にて一杯
帰ってきて現像液を作り、近所のそば屋「湖庵」で天そばで一杯。
この時点で客が居なくなったと思ったら家族連れが二組現れた。てけてけ座敷の上を歩き回る子どもを眺めながら蕎麦をたぐる。


短編アニメーションの上映会へ

mixiで情報を得て、溝ノ口の公民館(川崎市高津市民館というらしい)みたいな建物に行ってきた。
短編アニメーションは、小規模ながら珠玉の作品が多いのに、鑑賞する機会が少ない。それを無料で見せてくれようというのだから、東京を跨いで向こう側の溝ノ口だろうと、行かない手は無い。
●しくじりさるくん(中国)
●プカドン交響楽(アメリカ ’53)
●ママ!?ママはどこ? -おたまじゃくしの大冒険-(中国 ’60)
●クラック(カナダ ’81)
●歩く(カナダ ’68)
●ペンギン(ソ連 ’68)
●虹に向かって(日本 ’77)
やはり「クラック」は良い(と思ったらここで全編見られる… 良い時代になったものだが、なんか複雑な気分。色鉛筆のざらざらしたタッチは消えてしまっているけれども、是非一度見てほしい。)。フレデリック・バックの作品には他に「木を植えた男」等あるが、これが一番好きだ。
「虹に向かって」は岡本忠成の人形アニメーション(この上映会はこの人のコミュニティで知った)だが、こういう手作り感のあるアニメーションはもう作られないのかな。
明日は我孫子の家の居間のふすまを取り替える(唐紙が剥げてきているだけでなく、枠もボロボロ、裏のベニヤも剥げかかっている。)のに、昼から建具屋さんが来るので、早く帰って多少は掃除しないと。


「悲夢」

映画「悲夢予告編goo映画の紹介)」を観た。
キム・ギドクの映画は好きで大抵観ているのだけど、今やこれほど監督の名前だけで客を呼べる人も居まい。しかも毎回「極限の異常な愛」というテーマで。
毎回「極限の異常な愛」を見せられると分かっていながらそれを楽しみに行くんだから、キム・ギドクファンはマゾヒストか、それに理解のある歪んだ人間で、キム・ギドクの映画はSMクラブみたいなものか?
主演のオダギリジョーは日本語で喋り、それを意に留めず他の韓国人出演者は朝鮮語で話す。
この「暗黙のルール」で、文楽の人形の使い手が裃(かみしも)を着けて顔も出して人形に寄り添っているのに観客はそれを気にしない、というのをなぜか僕は思い出した。
最後に、購入したパンフレットのキム・ギドクの文章が良かったのでその冒頭から。
人はだれもが美しい愛を望みます。はじめは、心が騒ぎ幸せなものです。しかし、時の経過とともに、人は嫉妬と憎悪で傷つけ合うようになり、その記憶に苦しめられることになります。私はそういった「愛」に関するものがたりを、”夢”と”夢遊病”をテーマに作りたかったのです。…
こういう言葉が吐ける大人になりたいものだ。


風景写真

昨日、恵比寿の東京都写真美術館で、「ランドスケープ 柴田敏雄展」を観た。観たい観たいと思いつつ、最終日の昨日になってしまった。
この人が木村伊兵衛賞を取ったのが92年、もう十年以上前か。当時(と言っても受賞時の既刊雑誌)は雑誌に載った写真を見ても「ふーん」という程度だったが、ある程度の量を大きなプリント群で見せられると、迫力が違う。日本の地方の異様な巨大建造物(砂防ダムだとか崖崩れ止めにコンクリートで覆ったりだとか)を前にしたその場に居る様だ。雑誌では分からなかったけれども8×10inch(ネガの一コマがB5版ぐらい)の、大伸ばししても細部まで描く描写力もあり。
風向明媚な所を撮ってコレクションするばかりが風景写真では無い。これも今の日本の風景写真。
とこんな事は92年の木村伊兵衛賞受賞時にさんざ言い尽くされたんだろうけど。
メモ
MacOS10.5のTimeMachineからの復旧は、OSインストール後はエラーが出て駄目だったけれどもCDから起動してやったらすんなり元通りに。