怪しいアラジン

アラジンストーブの換え芯の箱
アラジンのストーブの芯が大分ボロボロになってきて、銀座のハンズで芯を買って帰ってきた。
手を石油臭くしながら替えてみた。替えながらふと買ってきた芯の箱を見ると、なんじゃこりゃ?
怪しい農村の中国人のお化けみたいのがランプから出てきている。昔のイギリス人の中のアラビアンナイトは、こういう世界だったのだろうか?
これとほぼ同じ内容の説明書きが換え芯に付いてきていているのだが、このハンドルを引っ張って黄色い所と前後に分離するというのは、説明書きの方が親切で、「離れない場合がある」ときちんと書いてあった。黄ハンドルとつまみの間に少し隙間があって、そこにマイナスドライバーを入れたらすぐに離れた。


ほうれん草の味噌汁を作ってみた


昼御飯を作ろうと思ったら、あると思っていた豆腐が無くて味噌汁の具になる様な物が何も無い。
以前ほうれん草の味噌汁なるものを聞いた事があり、ほうれん草ならばあるからそれにするかと思ってWebを見たら、こんな物らしい。
卵は丁度一つ余って冷蔵庫にあるし、作ってみる事にした。間違ってほうれん草を後から乗せてしまったけれど、この作り方にある様に卵を入れた味噌汁にくぐらせる様にするとほうれん草のアクっぽい味が卵に包まれる様で、おいしい。
朝沼向こうの農家の人が売りに来たせりと。


旧村川別荘へ

先日新聞(千葉版)で読んだ、近くの旧村川別荘での芸大生の彫金の展示をぶらりと観に行く。家から十分ぐらい歩く。
旧村川別荘(我孫子市)での東京芸大生の彫金の展示
別荘には水戸街道我孫子宿の本陣の離れを移築した「母屋」と、別荘の最初の住人、西洋史学者 村川堅固(むらかわけんご)が作った「新館」があり、作品展は「母屋」で行われている様。
旧村川別荘(我孫子市)での東京芸大生の彫金の展示
旧村川別荘(我孫子市)での東京芸大生の彫金の展示
銀座の画廊も良いけれど、こういう自然の中の純日本家屋で鋳物を眺めるというのも良い物だ。
入ってきたおばさんに学生と間違えたのか、「順路はあるの?」と呼びかけられた。最初は自分に問いかけられているとは知らず黙って出されたお茶を飲んでいた、何回か言われてやっと気づき「私に言っているのですか?」と答えたけれども、学生に間違えられるのならば、そんなに悪い気はしない物だ。
せっかくなので、隣の「新館」へ。
旧村川別荘(我孫子市)
大正期の東大の教授というのは相当お金をもらえたらしく(今の国立大学の教授とは大違いだ)、村川堅固は手賀沼を望むこの地に別荘を建てたらしい。
今や、眼下に広がる手賀沼は戦後の食糧難などがあり(色々お話をして頂いた市役所の職員の人によると、手賀沼を埋め立ててそこにディズニーランドを作るという計画まであったらしい。)干拓が進み、住宅地になってしまった。

帰りは上って門から出て、子の神神社(ねのかみじんじゃ)の道を通って帰る。長い壁のお屋敷に緋寒桜(ヒカンザクラ)が咲いていた。
Titikaでチャイを飲んで、暖まって帰る。


花の名前を間違えました


一昨日(二十日)の写真日記を見た知り合いに、「ハナミズキ(花水木)はまだ早いんじゃないか、ありゃ白木蓮(ハクモクレン)じゃないか。」と言われて、今日強風の中確認しに公園に行ってきた。
確かに近くで見ると木蓮の様だ。だいたいハナミズキが咲くのは五月頃とWikipediaにも書いてあったし、その人も「咲くのは桜の後だ」と言っていた。
さて帰りがけ、下池の方で同じ花を眺めていたら散歩中の様なおばさんが通りがかったので、「これ、木蓮ですよね?」と言ったら、「これはコブシよ。」と言われた。
「上池の大きなのも皆?」「木蓮はもっと花が大きくてバッと咲くのよ。」と言われた。確かに語源の通り赤ん坊の手のひらぐらいの大きさの花だった。
という訳でこの花はコブシ(辛夷)と言う事に相成りました。そういえば一昨昨日散歩途中に偶然会ったmixiで知り合った人にも、向こうが知らないのを良い事に「ハナミズキ」と言っていた。お詫びして訂正致します。


通常業務に


こういう広告も見ても「行きたいなあ」と思わないのは旅の効用である。
昨日は朝、旅の最中無粋にも毎日不在通知メールが来ていた宅配便が来て修理に出していたノートパソコンを置いていき、今日は朝から東陽町で仕事で、東京駅の地下街の中華料理屋で餃子定食を食べ帰ってきた。


温泉街水上

上越線を来た電車はここ水上(みなかみ)まで。高崎行きまでの一時間、駅を出て水上の温泉街を歩く。
水上の温泉街は草津や野沢温泉の様に「駅からバスで何十分…」という訳ではなく、駅から歩いて十分という所にある。

水上の温泉街は、昔は賑やかだったと地元の商店主曰くであったけれども、今や、大きな旅館やホテルが数軒あるだけで、温泉街としての華やいだ雰囲気は無くなっていた。
温泉街入ってすぐの大きなホテルは潰れて放置されて何年経つのか廃墟と化しているし、件の地元の商店主によると、もう少し先の藤屋というのも潰れたんだよと話していた。
駅に戻って高崎行きの列車に乗る。
水上から高崎の方へ下る(上りの)列車は結構あるのに、長岡(新潟の方)に行く列車は一日に五本。

走り出してしばらく行くと、いつの間にか雪は止んでいた。だいぶ平野に降りてきたという事か。風が強いとかで、渋川の手前の大きな川にかかる橋をゆっくり行く。風が窓を揺らしてピューピューガタガタ。
十一時、家に着いた。
野沢温泉の宿から小一時間、アスファルトの道を下り続けたのがいけないのか、腰が痛い。荷物はほとんど衣類で普段よりも軽いくらいだから、原因はそれだろう。
しかしそれよりもむしろ眠い、お休みなさい。


雪だ


飯山線の車窓より千曲川(信濃川)を見る。壮観。

六日町を通って越後川口で上越線に乗り換え、十日町を通っても(なぜ経路を強調するかというと、小学校の頃社会の時間にこの辺りを豪雪地帯として習ったから。)時折雨が降る程度だったのに、四時過ぎ、越後湯沢をすぎた頃から猛烈に雪が降り始めた。
昨日の宿で夕飯の後温泉に入って、一人日本酒をちびちびやりながら見た、夕方から荒れるという天気予報は当たりだった。


野沢温泉を下る


浴衣と一緒に置いてある、タオルやらを入れるビニールの袋、これはもらって旅の洗濯物を入れて帰る。また旅に出る時、あると便利。

昨晩と同じく、数室の人が集められ、食事。

やまめの干物とお粥など。
温泉街をぶらぶらし、蕎麦を食べて、昨日の道を下って(野沢温泉の一つ先の駅の)上境駅へ。けれども雨が降ってきて、余り散策日よりではない

千曲川(信濃川)にかかる橋の上から。