新幹線も「汽車」

昨日は巣鴨にできたマンションの撮影だった。
お昼頃一旦撮影を終え、夕方再度撮るという事になったのだが、さて数時間どうしよう、六義園にでも行って紅葉でも眺めるかなと思っていたのだが、巣鴨からは都営地下鉄三田線一本で大手町に出られる。大手町で読売新聞に勤める大学時代の講師の先生を呼び出し、少しお話しした。
話がその六十台前半の先生の先日のコラム(その先生は紙上に月一回コラムを持っている)に及び、北海道のナントカという場所の話だったのでどう行ったのかという話になったのだが、その行程を「取りあえず八戸まで『汽車』で出て…」と曰ったのだ。
地方に行くと年配の人は電車でもなんでも取り敢えず「汽車」と呼ぶのは知っていたが、在来線のみならず、新幹線をつかまえて「汽車」とは思いもつかなんだ。という話。
数十分お話しをした後、その先生は丸善に本を買いに行き、私は地下鉄で巣鴨に向かった。


困難は忍耐を生じ…

「困難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。」の書
久我山のピアノの先生の家で、押し入れの中に丸くなって仕舞ってあった掛け軸をもらってきて掛けた。
これまで床の間には、道後温泉の旅館が廃業する時に客室にあった山水をもらって掛けていたのだが、それはもう廃棄処分。
久我山のお宅で、何か良い物は無いかな?と思って片っ端から押し入れに入った掛け軸を広げて見ていたら、正月の七福神や山水に混じって、こんな物があった。漢詩か何かかと思ったら先生曰く、聖書の中の言葉で「困難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。」だそうだ。末尾には漢字で「ロマ書第五章」と書いてある。なんでも親戚が書いたそうで、こりゃ面白いと思い貰ってきた。
誰か家に来たら「キミこれが分かるかね?」と、したり顔で説明してやろう。


マルエーフェリー

千葉で英会話講師を殺して二年半逃げ回って先日捕まった一橋達也って、同い年なのね。そして大阪の港でフェリー会社の社員の通報によって捕まったという事だけど、その会社はマルエーフェリー。僕が鹿児島から奄美大島に行った時と同じ会社。
僕も違う港(鹿児島本港に行かねばならないのに鹿児島南港)に行ってしまって焦り、港の人に訊いて鹿児島南港から出る喜界島経由の船(鹿児島本港から出る、乗るつもりだったのは直接奄美大島に行く船だった。)に乗り、奄美大島に行ったのだった(お陰で船内で徳之島の人やらに会えて面白かったけど)。
その時に港のマルエーフェリーの事務所の人に色々訊いたんだが、フェリー会社の人の通報で捕まったという事は、僕も怪しまれていたんだろうか?
なんて事を思っていたら、今朝東京から鹿児島に向かっていたフェリーの船体が傾いて全員救助されたとか。テレビに映ったのは「マルエーフェリー」。数日に一度、東京の有明桟橋から鹿児島の志布志(しぶし・かなり宮崎に近い四国側の南郷とか油津の方、鹿児島の端の方。)を通って奄美大島、那覇に行く便だった。
しかし救助された全員の内訳が、「乗員21名、乗客7名。」って。


行動の記録

明後日からの検査入院に必要な家族の同意書を受け取る為、昼過ぎに我孫子を出る。
新宿で降りて、コニカプラザに写真を観に。
写真展と一緒にやっていた絵本の原画展が思いの外面白い。筆の勢いや引っ掻き傷やら。もちろん、「こんなトコにこんな事してる人が居るよ〜」という絵本本来の?楽しみもあり。
長居をしてしまって丸ノ内線で南阿佐ヶ谷の区役所へ。もうラッシュは少し始まっているらしい。
区役所にはもう最上階のレストランは無いようだ。
用事を終えて、アーケードを歩く。車椅子の障害者福祉会館で知りあった人に会う。はてさて向こうは分かってくれたか。