人の心はうつりにけりな(震災20日目)


一昨日からは夕方、近所のスーパーに買い物に行ったら、ミネラルウォーターを売っていた。今日も売れ残っていた。
何の疑問も持たずガブガブ飲んでいた前日の水を調べてその日、前日の水は汚染されていたと知ってミネラルウォーターを買いに走り、翌日「昨日の水を調べたけどもう大丈夫です。乳児の摂取制限は解除されました。」と言うテレビを見ながらミネラルウォーターを飲む。空しい。
数日前は「原発事故はどうなっているんだろう」と思っていたけれども、その答えは幸か不幸か
どうにもならず、大した進展も大きな後退も無く、少量の放射性物質を垂れ流し続けている。
というだけの事だった。
今後も放射性物質を垂れ流し続ける事になりそうなので、原発一個一個に袋をかぶせちゃえば良くない?という話が閣内で出ているそう(朝日新聞30日朝刊)だ。
写真は数年前東北を巡った時、石巻で撮った写真。
前の流れは旧北上川で、画面右に行った中州の中に石ノ森萬画館があり、その更に先に行って海に出る。
この長閑な景色も、もう見る事はできないのだろうか。


震災15日目


今日は地震後始めての仕事の外出。箱崎の会社に請求書を出しに。
ポカポカ陽気で、昨日にも増して人出が多い。
常磐線は、取手より向こうに行く電車(青い電車)は本数を減らしているが、取手までの快速や千代田線に乗り入れる各駅停車は普通に動いて、乗り入れもしている。
金町で降りて浅草行きのバスに乗る。電車を降りたら駅前のバス停にバスが待っていて、すぐ動き出す。
普段一時間に数本で、今日はいつもより長く柴又に行く京成電車の駅舎の横にある喫茶店でバス停を見張りながらお茶を飲まなきゃいけないと覚悟していたのに、こんな時に限ってすんなり行く。
途中の国道6号線(水戸街道)も案外空いていた。燃料不足のお陰か。
原発の問題が解決してから社会も落ち着いた状態になるのかと思いきや、原発の放射線を止める作業と並行して社会が落ち着きを取り戻しているらしい。
首都圏は水が汚染されて云々と言っているけれども、被災地や原発を対岸の火事と、同情するだけで結局自分の事しか考えていない人間へのちょっとした天罰だと思う。
田舎も入れると放射線の量は減っているらしいから、この騒動ももうすぐ収まると思う。
と良いのだが。
数日後「あの頃はあんな呑気な事言っていたのにね」と、この記事を見て独りごちる事になってしまわない様。


日常


地震が起きてから一度も外に出ず鬱々とした毎日を過ごしていたので、昨日久しぶりに柏まで、地震で落ちて壊れた電子レンジを買いに行った。
落ちた電子レンジはそれこそ電子レンジという物が世間に出始めたおそらく最初期の物を僕がここで一人暮らしを始めるという十数年前に知り合いが捨てようとしていた物を貰い受けた物で、華奢な冷蔵庫の上に、その男一人でも持ち上げるのは厄介な代物を載せていたので、「地震が来たら落ちるだろうな」と思いながら具体的な事は何もしないでいたら案の定落ちた。
落ちても壊れた訳ではなく(中に物を入れると点く電球は割れてしまったので、そうは言え機能は削がれてしまった訳だが。)、また床の上に置いて使っているのだが、これを良い機会に捨てたいし、邪魔だし、新しいレンジを買わねばなとは思っていたのだった。
近くのケーズデンキでも買えるのだが、もういい加減動き回りたい虫が体内でうずいていて、柏までショッピングに出掛ける事にした。
ここ数日家の中で写真集を見ていたら、フリードランダーの写真集が欲しくなったので、それをAmazonで買って請求が来た時の為に携帯電話に入った電子マネーのEdyに駅でお金を入れてから出掛ける。
常磐線はもう普通に動いていて、すんなり座って柏に着く。皆同じ事を考えているらしく、柏の駅は休日の様な人出だ。
高島屋で商品券の事を訊き、中に入った無印良品でアルミ角形ハンガーの部品の注文をしたけれども、物流が滞っていて部品が来るのはいつになるか分からないそう。昼飯を食ってビックカメラへ。
もう以前の機種の様にオーブンやら新たな付加機能は要らないので、レンジだけの簡単で軽い物にする。けれども在庫が無いとかで、物流も滞っていて、4月8日が最短の配送日だそう。
Edyにお金を入れて支払いを待ち構えていたのに、結局Amazonは4月8日以降の配送になるそうだ。
写真は駅の向こうのピザとスパゲティの店で昼飯を食う。やはり小さい子供を連れたお母さん同士のグループが多い。
飽きるほどの平和な日常を謳歌していたのだと非日常ばかりの今になって思う。
乳児が居ようが幼児が居ようが構わず煙草を吸っている或いは煙草を吸った空気を乳児に吹きかけて子供の将来のガンの発生率を上げても構わないという様な人間に限って、少しの放射線量で大騒ぎしている。あんたが煙草を吸う事の方が放射線より余程危険なのだよ。


衣食足りて礼節を知る


昨日は停電が来るからと前の喫茶店を四時で追い出されてしまったので、今日は家から少し歩いた喫茶店に行って新聞を読んでいた。
遠くの地震を家のテレビで見ながら「無残」とか「悲惨」とか「大変」とか言っているうちは良かったが、放射能がどうだとか、停電がどうだとかテレビが言い出して自分の身に降りかかる事となると、
首都圏の人間たちは、車を出して道路を渋滞させてみたり、支援物資の供給が滞るというのに避難所の事なんか忘れてカップラーメンや懐中電灯に使う電池を買い込み始めた。
やもめ男はこういう時は良い物で、普段からレトルトのご飯やカップラーメンを常備しているのだけど、いつも買い物をしている近所のスーパーが昨日は二時で店を閉めてしまって夕飯の買い物ができず、カップラーメンを消費してしまったので
昼に夕飯の分もあわせて買い物に行き、レジに並んでいて自分のカゴをレジの台に乗せようと、レジの台に乗っていた前の人のミネラルウォーターをどけて、怒られてしまった。
信号の無い横断歩道では、渡ろうとする人が居れば普段ならば車は停まってくれるのに、無理矢理にでも突っ込んでくるし、テレビはどんどん関東の人間に後が無くなる状況を伝えるだけだし、嫌になって、家から少し歩いた喫茶店に逃げて行った。
その喫茶店からは道の向こうのガソリンスタンドが見えるのだが、「本日の営業は終了しました」と書かれた看板が出ていて、静かだなと思いながら新聞を読んでいたら、やはりこの喫茶店も三時で閉店との事で、追い出されてしまった。
ガソリンスタンドには給油の車が来て、三時から再びガソリンを売り始めるとかで、前の道にはまたそれを求める数百メートルの車の列ができていた。
非日常の毎日に疲れて、束の間の日常だったけれども、店の中から車のクラクションを何度聞いたか分からない。
写真は地震発生直後の近所の様子。家の辺りは何も無かったけれども、通り一つ隔てた沼に近い方は、この様な状態だった。