「ぜんぶ、フィデルのせい」映画の感想

武蔵野線西国分寺駅に停まっていた583系
一昨日実家に泊まって、昨日は恵比寿ガーデンシネマに、「ぜんぶ、フィデルのせいgoo映画による紹介)」を観に行った。
主人公の少女アンナは、弁護士の父と雑誌編集者の母を持ち、裕福な家でカトリック系の小学校に通う女の子。
けれどもある日両親が共産主義に目覚めてしまったお陰で「富を占有するのは良くない」と家を移るハメになるし、学校ではキリスト教の時間に出られなくなるし、新しい狭い家にはヒゲ面の「革命家」なる怖いオジサン達が出入りする様になるし…
そして少女は自分なりの結論を出す。「ぜんぶ、フィデル(キューバのカストロ議長)のせいなのね!」
親の(きまぐれな)方針に否応なく付き合わされて、少女は困惑する。
だってこれまでは白人のお手伝いさんがスイミングスクールに連れて行ってくれたり、身の回りの事をやってくれたのに、変な黄色人種のお手伝いさんは来るし、
富の再分配なんて知った事じゃないのに、まずい食事は食べさせられるし。
前は喜んで遊びに来てくれた学校の友達は逃げちゃうし、
髭のオジサン達とお店屋さんごっこをしようとして、物を売ろうとすると「それは…」と小難しい話をされて揚げ句に「物々交換しよう」なんて言われちゃうし。
そして困惑して終わらずに、聞き分けの悪い少女は環境の変化を受け入れて、その中で生きようと前を向いて歩いていく。自分からミッション系の学校から普通の、白人以外の人種もいる公立学校に移ると言い、「お友達がいなくなっちゃうわよ」と母親に言われると「またできるから大丈夫」と応える。
「困惑」からの展開は、ドラマも面白い話も無いし、ここまで「どうなるの?」と思わせておいて「渋々現実を受け入れる」様な、これかよ。と思われる感じもするけれども、それがこの女性監督の、現実的な目なのかもしれない。
今日、浦和に行こうと思って西国分寺から武蔵野線に乗り換えようと思ったら、旧国鉄の「働きマン」583系(昼は特急電車、夜は寝台車になった。)が停まっていた。


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