死刑制度について少し考える

蔵前のブリキのおもちゃ屋さんのショーウインドウ
昨日、映画「休暇goo映画による紹介)」を観た。
刑務官として、とつとつと毎日をこなす中年男。死刑囚の青年。
死に向かわせ死と対峙させる事が罰、というのが死刑という制度だとしても、
執行日が数日後に決定しても本人はもちろん、面会に来た家族の前でも平然を装い、執行の時には、刑場を掃除し、狼狽した当人を刑場に引きずり出し、教戒師の話を聞かせ、ボタンを押して刑を執行する。
「支え役」という落ちてきて痙攣する死刑囚を支える役をすると、特別に一週間の休暇がもらえるという事で、彼は結婚したばかりの妻との新婚旅行の為、自ら進んでその役を買って出る。
彼の結婚式で、新郎の紹介に立った人の心ない言葉「…彼等こそ、極悪非道の輩共と毎日戦っているのでありますっ!」に、列席した同僚の刑務官が皆困惑した様な、怒りを秘めた様な顔をして下を向いてしまうシーンが印象的だった。
死刑という制度がどうかは分からないけれども、少なくともそこで働く刑務官という仕事の人々に、仕事という範囲を超えた精神的苦痛を与える制度である事を考えた方が良いよな、なんて思う。
仕事の打ち合わせに出て、ついでに両国の東京隅田川ユースホステルでユースホステルの会員証の更新をした。
蔵前の辺りはおもちゃ屋さんが多くて、ブリキのおもちゃ専門店なんてのがあった。


「死刑制度について少し考える」への2件のフィードバック

  1. ブリキのおもちゃのパトカーを見て、電池で走る当時の新しいのが、我が家に登場した日のことを思い出します

  2. 私も似たような事考えた事ある。
    残虐な事件を起こした人の話を
    聞いたり、世話をするのは精神的に強くないと、彼らを観察する気持ちでいかないともたないんだろうなーと。

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