プリントの魅力について考える


前に一度行っていたのだが、もう一度観たくて、上野の国立西洋美術館に「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」を観に行った。
どんよりとした寒そうな北欧の曇り空(行ったこと無いけど)の、静寂の景色。
山手線で田町に行って、PGI (Photo Gallery International)へ。
川田喜久治写真展「遠い場所の記憶:メモワール1951-1966」
を観る。戦後の風景が淡々と。
古関さんのブログで「インクジェットプリントって凄い!」てな事が書かれていたのだけど、普通の銀塩プリントみたいで「どこがインクジェットなの~?」とメールしたら、「全部そうらしいよー」と。
確かに、プリントの他の面はきれいなのに、(トーンが)暗部にさしかかると、途端に針が振り切れたみたいにドーンと真っ黒になっちゃう。
「こういう物なんですか」とギャラリーの人に言ったら、同じ紙で焼いたトーンの豊富な絵を見せてくれたけれども、トーンカーブがリニアの様なヌメッとした印象で、暗部はそこそこ出てはいるんだけど、ガサガサしたような感じ。
生のプリントの魅力って、印刷物と違って暗部が真っ黒の様で、よくのぞき込むと実はそこに何かが立ち現れてくる様な、沼の底を見つめる様な物があると思うのだけど、これではちょっと。
インクジェットプリントの割には凄いって事なのかな?
川田喜久治さんの写真も、暗部が潰れている様で居てのぞき込むと実は薄くあって… というのだともっと作品に深みが出たと思うのだが。
所詮印刷物の延長の様な。
芳名帳を見てみたら、結構日芸写真学科の人達が来ていた(誇らしげに学校名を書くなよ)のだけど、これが良いプリントの基準の様に思われちゃうといけないよな、と思いつつ。
PGIに行く途中の芝浦の運河。


「プリントの魅力について考える」への1件のフィードバック

  1. ちがうよ。ぜんぜんちがうよ。
    銀塩の最大濃度は絶対インクじゃ追いつけないし、構造上ディープシャドー寸前の表現力はインクじゃ無理と承知した上で、
    普通に刷るとインクジェットであそこまで持ってくところにすら辿りつかんことに対して賞賛の意を述べたわけで。
    思考停止してインクジェットすげえつってる訳じゃないところは理解して欲しいな。

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