高級マンション萌え


今日も今日とてドサ回り。西荻窪の実家に泊まって、朝もはよから藤沢(鎌倉の近所)に。午後は北千住(東京都足立区)へ。
こう毎日朝から出かけなくちゃいけなく(普通そうなのだが)なって来ると、都心の高級マンションってのも楽で良いなあなんて思ってくる。
…なんて事を考えるというのが既に病的。
下北沢から小田急線で藤沢に行こうとしているのだが、長い。しかも町田に行く人なのか下りなのに混んでる。こんなの毎日実家から四年間通っていた妹って、アホじゃないの。
行きがけに通った朝の東女(東京女子大学善福寺キャンパス)。


武蔵野市立吉祥寺美術館

吉祥寺の伊勢丹の新館7階に、ひっそりと武蔵野市立吉祥寺美術館というものがある。というか数年前にできたらしい。
今、「亀倉雄策ポスター展」(9.25まで)というのをやっていて、常設展として「浜口陽三記念室」というのもあり、この銅版画家の作品が(水天宮にあるその人だけの美術館に行ってしまうほど)好きな私としては(八月三日からやっていたのだが)、いつか見てみたいと思っていたのだ。(「萩原英雄記念室」というのもあったけど、知らん。)一般の入場料百円というのもあり。
中はこじんまりとした感じで、それでいて物足りない感じも無く、日頃公立の巨大美術館に「こんなの一日で観られるわけねーだろ!」という思いを大いに抱いている私としては、この夏の吉祥寺の喧噪から隔絶された空間は、とても心地よく、「やっぱ(中央線沿線は)土地が高いだけの事はあるよな〜」と思いつつ、「駅前の百貨店の上に公営美術館があるなんて、柏とは文化程度が違うよな〜」と思うのでした。


「オマージュだそうで」(珈琲時光)


映画「珈琲時光」を観た。
「名匠 小津安二郎監督に捧げるオマージュ」というのふれこみで、「悲情城市」の、台湾の候考賢(ホウ・シャオシェン)監督の作品というのもあり観に行ってみた。
いわゆる「小津映画」は何もない普通の生活の中を捉えているが、「娘がとうとう嫁に行く」なんて感じで、絶対に何もない訳じゃない。それと「小津映画」は「何もない」内容を補うように、「作品内に張りつめた厳格さ」のようなものがあった筈だ。
…なんて観てる方は勝手な事云えるんだけどね。
しかし「誰も知らない」と云い、「演技が自然」で「演技らしくない」だったのは確か。これからはこういう撮り方(台本を直前まで渡さないで自然な演技を引き出す)が流行っていくのかなあ…?
主人公「陽子(一青窈)」の実家は、父の実家に行く時に乗る上信電鉄(群馬県のローカル私鉄)の吉井。「半落ち」と云いこの映画と云い、「高崎フィルムコミッション」とか云う奴で上信電鉄はこういう事もやってるのか。確かにローカルムード満点だわな。あの電車。
吉祥寺のバウスシアター。併設の50席しかないここは「ジャヴ50」なんて名前だったのだけど、「バウスシアター2」という名前になっちゃったのね。


ゴチョーシゲオ


中央線三鷹駅(東京都三鷹市)前の「三鷹市美術ギャラリー」にて、「「牛腸茂雄展 ─自己と他者─」を観る。
「牛腸茂雄」と云う人、「ギューチョー」ではない「ゴチョー」らしい。本名は「牛膓」だけれども「牛腸」らしい。ややこしい。
生前は作品が評価されなくて、若くして死(夭折)ねば、これは「伝説的芸術家」の資格たり得るものでしょう。
生前、三冊の写真集を出していた(もちろん自費出版)が、最後の写真集の写真なるものを観ると、悪いけど「死んで良かったのかも」と。
三冊目の写真集のみカラー。心理的な人間の内面まで写す事では、やはり白黒かな?と。カラーというのは、余計な情報が入りすぎる。彼は、色という「情報」というか「表現」を使いこなしてはいなかった。
一部の作品で、自分の影が作品に落ちて、観にくい事この上ない。何とかして頂きたい。
帰りに喰った、吉祥寺のそば屋「U」にて。


極私的芸術鑑賞の心得


久々に善福寺(東京都杉並区 中央線「西荻窪」駅)の実家へ。近所の善福寺公園。夏の午後。
知り合いの山田南美さんがお姉さんの山田美帆さんと一緒にピアノのコンサートをされるという事なので、上野の旧東京音楽学校奏楽堂へ。
僕は「ゲージュツ」なんてものを細かく解説する事は「評論家」の方々にお任せしておいて、観る(聴く)人間はそこの空間に身をゆだねる事が「芸術を鑑賞する」事だと思う。それを無理に理解しようと思うから、その糸口を探って、解説文なんかをくどくどと読む事になる。
と云うわけで、何が云いたいかというと、「訳が分からなかった」という事が云いたいのだ。恥ずかしながら、「やっぱりアシュケナージ(日本にファンも多い有名なピアニスト。CDを数枚持っている。というかピアノのCDを買うと弾いているのが実はアシュケナージだったりする。)は凄い」なんて事は微塵も思わなかった。只、薄暗い空間とピアノの音、蝉の音(防音の悪い旧東京音楽学校奏楽堂では外部の音がかなり入ってくる)、非常に良い空間に浸れたと思う。
こういう事の為に3,500円を費やせる人間を「贅沢」というのだ…?