「おくりびと」について

一週間ぐらい前、映画「おくりびと予告編goo映画の紹介)」を観てきたのだが、方々で「ありゃ良いよ」「近年稀にみる佳作」等という評価を聞くにつけ、そうなのだろうか?と思う。
「おくりびと」は東京でチェロを弾くオーケストラの団員にまでなったものの、突然オーケストラが解散になってしまった本木雅弘が、故郷山形に妻(広末涼子)と共に帰って、山﨑努の下で納棺師として働き始める物語。
「納棺師」とは葬儀屋ではなく、葬儀をする為、布団の上の遺体を、体を拭いて着物を着替えさせ棺に納める仕事をする人。
皆が嫌がる仕事をして、自分の仕事を理解してくれない妻との関係に悩みつつ、小さい頃から世話になったおばさんを見送り、自分を捨てた父親の死を聞き、葛藤しつつも結局自分が行って「旅立ちのお手伝い」をする事を決心する。
内容はそれだけなのだけど、それら全てを極めて感情的に演出する事で、ドラマチックで壮大な物語に仕立て上げる。そういう映画にしか私には見えない。
こういうドラマは「何かあった」様な気がするけれども、面倒なところを避けて都合の良い様に物語を進めているから、その感動は薄っぺらい。
本木雅弘は夢破れて故郷に帰ってきて、取り敢えず妻も居るし、田舎で東京帰りが職に就かずふらふらしてる訳にも行かず、山﨑努の納棺会社?に入る。
しかしそれは狭い田舎での事、東京に行った本木雅弘が帰ってきて納棺師をやってるなんて噂はすぐに広まる。
道を歩いていると同級生が奥さんと子どもを連れてやってくる。近づいて同級生の子どもに話しかけようとすると、無理矢理脇へ連れて行かれその同級生から本木雅弘は「お前がそういう仕事やってるって、もう町中の噂だぞ。」と小声で告げられる。
凄く印象的なシーンなのだが、その後は、周囲の白い目→妻の無理解 に話がすり替わって、妻が夫の仕事に立ち会う事によって、何となく夫の仕事を誇りに思う様になって、万々歳。
妻が夫の仕事を理解したとしても、町の人や親戚を納得させる事は別問題なんじゃないの?と思うのだ。
見ていて思ったのだが、山﨑努という人の物を食べる演技というのは凄い。ムシャムシャ、ガツガツ食う。
いや決して映画としての評価が低いわけではなく、皆が諸手を挙げて賞賛するので、「それほどでは無いのでは?」と思った。


「「おくりびと」について」への2件のフィードバック

  1. これのね、マンガはよかったよ。さそうあきらのやつ。
    最近は原作がマンガってのが多いけど、これは逆で、
    映画の宣伝のために、映画が完成してから、マンガの連載したらしいんだけど、そっちは面白かった。

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