小浜

小浜に着き、駅前を彷徨いながら海を目指す。昼食は漁港で。
今日は早目に宿を決めようと、歩いた先の駅から大分離れた小浜公園近くの宿へ。
玄関は開いていて中に入れるのだが誰もいない。福井に来て二度目だ。玄関に荷物を置いて、近くの道で近所の人と話していたおじいさんに「ここの宿の人はどこ行ったんですかねえ?」と訊くと、数回宿の人の名前を呼んだ後、「まあこの様子じゃすぐ戻って来るだろうから、待ってて。」と言って行ってしまった。
仕方無く上がり框に腰掛けていると、数十分して宿の人が戻ってきた。
部屋は大きい方しか無いとかで、少し高いけれども仕方無い。
調度品も建物も古いけれども、掃除のよく行き届いた部屋。
小浜の宿の部屋
今日は酒を飲まず、駅前の定食屋でグジの若狭焼を食べた。宿に帰ると随分暗くなっていた。
夕刻の小浜の町を歩く


敦賀の夜 小浜へ

昨日は敦賀に着いて、前述のたこ焼き屋さんで会ったお客さんに聞いた、気比の松原まで歩く。
松原に向かう途中、気比神宮で「良い写真が撮れています様に」とお願いする。
この気比の松原は「日本三大松原」の一つだそうだけど、何だそりゃ。
敦賀駅から続く商店街途中の店で買った鯖弁当を広げたら、弁当の蓋を落としてしまった。拾おうと思って屈んだら松の枝からトンビが飛んで来て、頭を上げた所でぶつかった。トンビって結構大きくて、痛い。
体で覆う様にして、食べる。
駅近くに戻り、宿をとって荷物を置き、目を付けて置いた居酒屋に行く。地酒と刺身を堪能し、最後は「へしこ」を。

今日は十時頃宿を出て、とぼとぼ駅へ。
敦賀の商店街は元気が無く、元気があるのは日本原子力発電の店ぐらいだ。

小浜へ行こうと思うのだが、小浜線は本数が少なくて、8:15の次は10:44。大体ディーゼル車がトコトコ走る地方ローカル線を、関西電力が「寄付」で電化させて新型車両を入れた線なのだから。

そしてその車窓。


三国を後に

土産物屋さんに教えてもらった三国港近くの民宿に泊まる。
六時頃夕方の散歩に出る。
家の間を少し歩いたら線路がある、三国港駅の突端の所だった。
民家の軒先をウロウロしていたら面白くて、帰ると七時半になっていた。
ここの内湯は三国温泉を引いている、舐めるとしょっぱい。
昼間の弁当の残りを食べ、持って来たウイスキーを昼間の残りのミネラルウォーターで割って飲み寝る。
翌朝は八時頃起きて浜辺を散歩して、朝風呂に入って宿を出る。今日は天気が良さそう。
素泊まりなので朝御飯を食べてないのだが、ここら辺には十時頃から開いている飯屋は無さそうだ。
十時過ぎの電車で福井まで出て、町の本屋の一階にある小さな所でたこ焼きを食う。
テーブルが一つしか無い店内で、相席した人から観光地の情報を聞く、ありがたい。
福井から小浜までの切符は二日間有効だったので、敦賀を見て明日小浜に行こうと思う。
敦賀行きの北陸本線の車窓の景色、もう夏の様。


東尋坊と三国港

えちぜん鉄道三国芦原線の終点、三国港(みくにみなと)からは、バスで行く事もできるけれども、歩いても三十分程で東尋坊に着く。
けれども一人で海岸沿いの道を歩いていると、見回りしている地元の人に自殺志願者だと思われ誰何される。

海岸沿いを来たので、土産物屋の連なる道は改めて歩く。
観光案内所兼休憩所の様な所で、地元の「ガサ海老」に関する知識を仕入れる。「見た目が悪いのと鮮度が落ちるのが早いので地元で消費されてしまう」だとか、これは是非と思って受付に居たお姉さんに訊いて、訊いた店で刺身を出してもらう、刺身だけというのも何なんで地酒も。

濃厚な海老で一杯やっていたら五時前になり、店の人に訊いたら東尋坊で宿を探すよりも福井駅に戻ってビジネスホテルを探す方が良さそうなので、商店街の外れにあるバスターミナルに向かう。
バスターミナル隣の土産物屋さんは、近くの民宿の電話番号を教えてくれ、大丈夫だと言うのでそこに泊まる事にする。
ツブ貝の串焼きを一本買い、頬張りながらバスで宿へ。


福井へ


朝東京を出て、昼福井に来た。久しぶりの、写真を撮る旅。
米原で新幹線を降りて、金沢行きの特急の中では、そぼ降る雨に不安が募るばかりだったが、今は雨が上がり時折日が差してきた。仕事の建築写真では無いので曇りぐらいが良かったのだが。

福井駅からえちぜん鉄道で、三国港から東尋坊に行こうと思う。
えちぜん鉄道の福井駅は、高架のJR福井駅の後ろの北陸新幹線の高架橋の横から出入りする。


そして帰宅

土曜日は、奈半利の人の車で奈半利川を越えた隣町の田野(たの)へ。塩作りの施設を見学した後、田野の町を一人ぶらぶらし、お昼は役場前で開かれていた産業祭りで。
奈半利駅まで送ってもらい、バスで今は室戸市になってしまった吉良川という小さな町へ。そこをぶらぶらするけれども3時過ぎのバスを逃してしまい、奈半利方面に戻るバスは、次は4時46分のしか無い。
吉良川小学校
ここ数日歩きっぱなしで脚も棒になり、腰も痛く、公民館でやっていた地元の小中学生の作品展示の場に座らせて貰おうと行くと、お茶とサツマイモを揚げたのを貰いポリポリと。
室戸から奈半利への国道55号線を走るバスから望む夕日
今宵の宿も「ホテルなはり」なので、奈半利に戻り、昼間田野に連れて行ってくれた奈半利の人と塩作りの施設を案内してくれた人と、飲む。
翌朝、前日貰ったサツマイモを揚げたのの余りを朝食代わりに食べ、荷物をまとめ、5月に行った時にお世話になった「なはり浦の会」の会長の森さん宅に荷物を置き、バスで室戸へ。室戸の町をぶらぶら。
帰りのバスは一番前の席に座ったのだけど、疲れて余程あくびばかりしていたのか、運転手さんに「どこで降りるがー?」と訊かれ、「大丈夫です大丈夫!」と、降りる奈半利のバス停まで睡魔をこらえる。奈半利のバス停には森さんと前回会った高知市に住むお孫さんが一緒に待っていてくれて、森さんのお宅で夕食を御馳走になった後、奈半利駅まで送ってもらい、帰途につく。
ごめん・なはり線で終点の後免に行き、高松行きの土讃線特急に乗って四国を縦断して琴平を通り坂出へ、夜の土讃線特急は乗る人も少なく(反対の高知へ向かう方は随分混んでいた)、一車両に数人の静かな車内。
夜8時過ぎの高松行き土讃線特急「しまんと」の車内
睡魔が襲うけれども降りられなかったら東京行きの寝台特急を逃してしまうので、必死に耐える。なんとか坂出で降り、駅前のコンビニでビールと乾き物を買い(連日の宴会で酒には疲れていたけれど、やはり寝台列車での一人旅には欠かせません。)、高松から来た東京行きの寝台特急サンライズ瀬戸に乗って、後は車窓を眺めながらビールを飲んで、寝る。
そして朝東京に着き、我孫子に帰る。天王台のクリーニング屋さんに出していた布団を受け取る。


高知県東部へ

5月に二週間奈半利に滞在して撮った高知県東部の写真をそろそろどうにかしたいと思って、今再び来ている。
前回は奈半利に滞在して周囲の町へ出掛けていたが、今回は行く先々で宿を取って回っている。
日曜日(17日)の夜、いつものサンライズ瀬戸で東京を出て、翌朝高松に着き、徳島に移動してから牟岐線で海部に行き、阿佐海岸鉄道に乗り換えて一駅先の宍喰(ししくい)に行きぶらぶらして、そこに泊まった。
翌日の火曜日は徳島県から高知県に入り、一つ先の阿佐海岸鉄道の終点甲浦(かんのうら)に行き、ぶらぶらした。駅から港までの道の脇にあるお好み焼き屋で昼御飯を食べたのだけど、店の人曰く、甲浦は大阪と高知を行くフェリーが停まっていて、その道も以前は賑わったそうだが、今はフェリーも寄る事は無くなり、すっかり寂しい町になってしまったそうだ。
甲浦のお好み焼き屋「ふじ」
鉄道はここで途切れているので、バスで少し先の今は同じ東洋町、野根に行く。
丁度昼を跨いで野根に来たのだが、甲浦で少し早い昼食を済ませておいて良かった、野根はもっとうらぶれた町で、ご飯を食べる所など一軒も無い。
野根を四時過ぎに出たバスは室戸岬を回って6時半頃、高知方面から伸びてきているごめん・なはり線の安田に着き、そこに泊まった。
翌日はごめん・なはり線の中心駅、安芸に行き宿を探して、空いていた(この時期四国はお遍路さんが多いので部屋が塞がっている事が多く、宿探しには苦労する事がある。)「清月」に荷物を置いた後、安芸の町をぶらぶらする。
翌朝、ごめん・なはり線に乗ってあかおかに行き、夜須に戻って手結(てい)の港辺りをぶらぶらした後、安芸に戻り帰りの寝台列車の個室の券を買う。JRの全国の切符が買えるのはごめん・なはり線沿線ではここしか無く、翌日以降来た道を戻って奈半利方面に行ってしまうので。
素泊まりで泊まっていたので、夜は「吉田類の酒場放浪記」に出ていた安芸の店「大衆のれん 白牡丹」へ。
大衆のれん白牡丹 安芸市
昨日の朝安芸を出て奈半利に行き、室戸方面行きのバスに乗って少し先の加領郷へ、小さな漁村。港にある、安芸の病院を退職したおばさんが始めたという料理屋があって、おいしかった。
前述の通り、ここより少しは大きい町、野根でも一軒も食堂は無かったし、手結でも無くて菓子パンを売る店のおばさんに味付け卵を貰って港でかじっていたし、ここでもその様な顛末を覚悟していたのだが、良かったし、それがこんな「当たり」であるとは。
夕方奈半利に戻り、以前お世話になった「なはり浦の会」の森さんの旦那さんに連れられて今夜の宿、「ホテルなはり」の地元の人向けの飲み放題イベント、ビール祭りに行き、近くのスナックに移動して飲み、ホテルに帰ってきて寝た。
今翌朝の8:50、これから奈半利の人が安田の観光施設に連れて行ってくれるというので、取り急ぎ。


東京へ

奈半利に二週間居て、昨日月曜日に帰る事にした。
第三セクターの悲しい所で、奈半利駅では全国のJRの切符を買えない。途中駅の安芸まで行けば買えるとの事だったが、
先週土曜日に、野市(のいち)で喫茶店を始めた、居候先の人の知り合いの建築写真家の、店内での展示を観に行ったついでに、一番近いJRの駅、後免に行って昨日の東京までの切符を買ってきた。
一昨日の日曜の夜は奈半利最後の夜という事で、送別会(実際はその日行われた隣の北川村でのマラソンを手伝った奈半利の人のお疲れさん会だったけど)を開いてくれて、奈半利で知り合った人に会った。
昨日は昼過ぎのバスで、室戸岬を周って少し行った「甲浦(かんのうら)」駅まで行く。
徳島からの牟岐線は「海部(かいふ)」で終わっていて、そこからは阿佐海岸鉄道という第三セクターが甲浦まで伸びている。
随分前の「阿佐線」計画では、室戸岬の西の高知側から伸びた「ごめん・なはり線」が奈半利を通って、阿佐海岸鉄道が徳島側から甲浦を通って室戸岬を目指し出会って繋がる予定だったが、この区間は開業せず、バスが鉄道の未成区間を繋いでいる。
室戸岬の岸壁を周る道はくねくね、そして昼見たテレビによれば、今日四国は梅雨入りしたそうで、時折フロントガラスに通り雨だか水しぶきだかわからない物がかかる。
梅雨に入った室戸岬を周る奈半利から甲浦に行くバス
甲浦駅は、静かな無人の終着駅。待っていた単行のディーゼルカーに乗ると、乗客は僕しか居ないまま走り出す。
甲浦を走り出した阿佐海岸鉄道の車内
山の中をトンネルで縫って行く。周りを見る限り、沿線人口は少なく、乗客も唯一の途中駅宍喰で乗ってきた西欧人カップルのみ。ごめん・なはり線とは随分な違いだ。
続く山をトンネルで抜けていく阿佐海岸鉄道
阿佐海岸鉄道は甲浦-宍喰-海部で終わり。海部ではJR牟岐線の徳島行きの同じく単行列車が待っていた。
海部で阿佐海岸鉄道の列車ASA-101を待っていた牟岐線徳島行きのキハ1500単行列車
牟岐線は路線図を見ると海岸に沿って走っていて、さも風光明媚の様に見えるが、実際は全くと言って良い程海は見えず、田んぼと畑と小さな山の、退屈な景色が続く。
徳島に着くと途中下車して、徳島ラーメンを食う。今流行りのドロドロスープでは無くて胃に優しい感じ。
徳島発高松行きは七時半。奈半利ではアマガエルの大合唱が凄い頃だが、徳島駅前ではそんな声はしない。
徳島から高松までも(期待が無いので良いけれど)牟岐線と同じ様な景色が続く。
高松駅の改札前にあるソファーの辺りは無線LANのホットスポットになっていて、パソコンを広げ久々にインターネットに繋ぐ。
同じ様にソファーに座っていたスーツ姿のサラリーマン達が消えたと思ったら、もう21:28発の東京行き寝台特急サンライズ瀬戸は入線していた。


奈半利に戻る

日曜日の夜松山に着いたばかりだけれども今回は松山での用事は無いので、友人に一月に買わせたiPhoneの様子など見て、昨日火曜日の朝松山を出て奈半利に戻って来た。
松山から高松行きと岡山行きを併結した特急に乗る。
瀬戸内の小島を眺めようと、そちらの窓際に陣取ったが、晴れては居る物の風が無くて、春霞みの中で島はほとんど見えず。

瀬戸大橋を渡って本州に行く「しおかぜ」と、そのまま真っ直ぐ高松に行く「いしづち」に別れる少し前の、
金毘羅さんを通って高知に行く土讃線が別れる多度津で乗り換える、ここからは来た時と一緒。
来る時は東京からの寝台列車が高松に行くつもりで、瀬戸大橋を渡って四国に入った後、高松向きに曲がってしまっていたので、高知行きの特急が高松から来た「しまんと」だったが、今回は岡山から来た「南風」というだけ。
遠くの景色はもやに煙っているけれども、眼下の流れと奇岩は生き生きとしている。

高知の少し手前、奈半利に行く列車の出る後免で降り、用事ができたのでパソコンで無線LANを使うべく、後免駅から歩いてマクドナルドへ向かう。
用事を済ませ後免駅に戻る途中、高知から来る路面電車の終点「後免町」の一つ手前後免東町」から一区間だけ路面電車に乗る。
「後免東町」の電停は、上り高知方面しか、一段高いホームが無く行灯も無いので、戸惑ってしまう。

後免町駅から奈半利行きの列車に乗ると、車内は下校ラッシュで凄い混雑。ごめん・なはり線ができて、奈半利の子も高知の学校に下宿せずに通う事ができる様になったそうだ。
奈半利の居候先に戻ったら、夕食の後に奥さんが買っておいたというケーキが出てきた。そう言えば今日は誕生日。