脳動静脈奇形闘病記(病気の経緯) 8月

 半ばくらいから普通の意識状態に戻り、小泉首相の靖国参拝のニュースを聴いた覚えがあります。一応区切りとしてこのあたりを意識が戻ったとしているのですが、それまでは意識というのものはここまでは意識が無くってここからは意識があるというように、段があって変わるように思っていてのですが、実際はそういうのはなく、結構ゆるやかな曲線で、だんだんと意識が戻るような感じです。実際僕も後から「こうしたらこうした」と人に云われるのですが、全く覚えていないことも結構あります。それにこれはあとからリハビリの先生に聞いた話ですが、御世話になりました、とか云っているくせに後で会うとあんただれ?ということが結構あるそうです。だから周りの人が意識があると思っていても本人は意識して反応しているわけではないということが結構あるようです。

 ともかく、意識が戻って来たのですが、色々びっくりした事もありました。PHSだった人が携帯を持っていたり、何も持っていなかった人が携帯を持っていたり、なにより両親が何も持っていなかったはずなのに二人とも携帯を持っていてびっくりしました。このころ、眼球の中に血が混じってしまうテルソン症候群だということもわかりました。これもまた珍しい病気だそうです。それとこの時は未だベッドに寝たきりの状態で、車椅子に移るのも大変な状態でした。赤ちゃんのように首が座らなくって、むち打ちの人が首にやる支えのようなものをしていた時期もありました。

 この前後、病巣を取り除いてしまうけれども、失敗したり合併症が怖い手術にするか、効果が出てくる2,3年後までは何もしないのと同じでそれまで再出血の危険がある放射線治療にするか、選択を迫られるのですが、結局悩んだ末放射線治療にして、それを受けるために勝田の方まで行くのですが、それは次の章で。