昨日、久々に自分の写真撮影に出掛け、暑いので帰りがけに買ってきたキンキンに冷えた缶ビールを二本、立て続けに(何も喰わないで)キューッと呑んだらその夜、胃が猛烈に痛くなって塗炭の苦しみ。のたうち回り、(尾籠{びろう}なお話ですが)便器にすがるようにして吐き(どこに吐いても良いけど、その後掃除するのは自分ですから)、胃薬飲んで寝ました(寝られなかったけど)。
で今日は朝から疲労感ばかりが残り、何もやる気が起きません。フィルム現像しようと思ったのに。
もうイヤ。ちょっと前までこんなの何ともなかったのにさ。
撮影の帰りの成田線に乗り合わせた中学生のテニス部の女の子達から「オジサン」と呼ばれてしまった。
月別: 2004年7月
夏を乗り切る秘密兵器
僕は、暗室作業の他は冷房を使わない。
とどのつまりは、最近写真をやっていないので「イラクの兵隊さんを思え!」というわけで、扇風機だけで過ごしている(この扇風機も最近引っ張り出してきたのだ)。
でやっぱり役に立つのがコレ。先日東急ハンズで買ってきた団扇。
しかし暑くて何もやる気が起きん。明らかに作業効率は落ちてる気がするぞ。
夏の怪
いつもスーパーへの道すがら通る公園(手賀沼公園)の道に、髪の毛が「もっさり」と落ちていた。近くにしゅろ(棕櫚)の木はないし、こんな園内の通り道で散髪をした人が居たのか? 或いは夜の公園で男女がすさまじい別れ話を演じた…とか?
散髪は良いとしても、髪の毛はきちんと掃除しましょう。
駅名が平気でウソつく恐ろしい所
極私的芸術鑑賞の心得
久々に善福寺(東京都杉並区 中央線「西荻窪」駅)の実家へ。近所の善福寺公園。夏の午後。
知り合いの山田南美さんがお姉さんの山田美帆さんと一緒にピアノのコンサートをされるという事なので、上野の旧東京音楽学校奏楽堂へ。
僕は「ゲージュツ」なんてものを細かく解説する事は「評論家」の方々にお任せしておいて、観る(聴く)人間はそこの空間に身をゆだねる事が「芸術を鑑賞する」事だと思う。それを無理に理解しようと思うから、その糸口を探って、解説文なんかをくどくどと読む事になる。
と云うわけで、何が云いたいかというと、「訳が分からなかった」という事が云いたいのだ。恥ずかしながら、「やっぱりアシュケナージ(日本にファンも多い有名なピアニスト。CDを数枚持っている。というかピアノのCDを買うと弾いているのが実はアシュケナージだったりする。)は凄い」なんて事は微塵も思わなかった。只、薄暗い空間とピアノの音、蝉の音(防音の悪い旧東京音楽学校奏楽堂では外部の音がかなり入ってくる)、非常に良い空間に浸れたと思う。
こういう事の為に3,500円を費やせる人間を「贅沢」というのだ…?
行田って、…行田です。
プライド
今日はゴミの日(「燃える」「燃えない」の区別はない)なのに、起きたら八時半。八時半までには出さないといけないので(実家の方などそうは云っても実際取りに来るのはお昼頃なのだが、ここは九時頃までにはゴミ屋さんが行ってしまう。)大慌て。
余りの暑さに今年始めて扇風機を点けて寝たのがいけなかったらしい。「快適」って恐ろしい…
「警察の威信をかけた捜査」とかで何かバカでっかい施設を使って最新の科学捜査で、九年前の「国松孝次警察庁長官狙撃事件」が再び動き出しているらしい。そりゃまあ結構だけど、"たかが" 大人一人怪我をしただけの事件は「執念の捜査」ってのをやって、女子高生が殺された事件やら、世田谷の一家殺害事件やら、朝日新聞阪神支局襲撃事件やら、そういう事は「後回し」?
あの事件の為だけにあの施設を作ったんじゃないんだろうけど、「警察の威信」という言葉を聞く度に、そういう事を思ってしまう。
「プライド」(日本語で「意地」とも云う)ってのは、往々にしてろくな結果を生まない。
「真珠の耳飾りの少女」と「陰翳礼讃」
「映像の力」というものが、あると思う。
映画「真珠の耳飾りの少女」を観た。
フェルメールの同名の絵画に絡めた作品だが、「映像の力」というのは、多分にその評価を占めるものだと思う。内容も含め、良い作品だと思う。
全編が、フェルメールの絵画のような、陰の多い映像によって形作られている。そういえば、俳優も陰があるし。
今、「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」(谷崎潤一郎著)を読んでいるのだが、奇しくもその「日本人の美意識」とでも云うべき映像によっている。「陰影礼賛」とは、私が勝手に紹介文を書くと、「ケバケバしい物も、暗闇の中にひっそりと存在する時、それは美しい。」という話。これ以上は読んでください。
千葉に住んで良かったと思える一時間
毎週月曜日午後7時から一時間、千葉テレビの「浅草お茶の間寄席」。番組名だけでもう内容の説明も必要ないと思うが、「浅草の寄席(浅草演芸ホール)の落語をそのまま撮ってテレビで流す。」番組。
落語を流す番組というとNHK教育テレビ毎週土曜の「日本の話芸」があるが、こちらは、大きなホールで一人の演者が喋る、というもの。「天下のNHK」だからカメラを何台も使って演者の表情をとらえる。
対してこちらは後ろに真打ち披露の幕がさがっていたり、酒樽が置いてあったりと寄席の雰囲気が満点(本物の寄席なんだから当たり前か。)。毎回三人の噺家が入れ替わり立ち替わり「御機嫌を伺う」。「寄席」だから変な事も云うけど最後に「不適切な表現が…」というテロップが出ればそれでいーのだ。
「寄席(よせ)」というものを御存知ない方に説明すると、一日中、小さな所で一人20分くらいずつ落語や色物(漫才や手品なんかね)をやっていて、好きな時に入って弁当でも喰いながら落語観て、好きな時に出てくる、という極めてユル〜い空間。是非一度お試しあれ。
「茶色の朝」パヴロフ著(大月書店)より
突然しいたけが喰いたくなった。買ってきたは良いけど、どうしよう。
「政府の動きはすばやかったし、俺には仕事があるし、毎日やらなきゃならないこまごましたことも多い。」