さて


仕事の撮影で、「花島公園(千葉県千葉市花見川区)」なるところに来てはみたものの、どうやって帰ろう?
この近辺、団地(地方に行くとある「家が並んでいて、団になっている地だから『団地』。文句ある?」というのではなく、集合住宅の。)はあるのにバスはないという不思議な所。住民は「車を持っている」のが前提らしい。オソロシヤ。


ゴチョーシゲオ


中央線三鷹駅(東京都三鷹市)前の「三鷹市美術ギャラリー」にて、「「牛腸茂雄展 ─自己と他者─」を観る。
「牛腸茂雄」と云う人、「ギューチョー」ではない「ゴチョー」らしい。本名は「牛膓」だけれども「牛腸」らしい。ややこしい。
生前は作品が評価されなくて、若くして死(夭折)ねば、これは「伝説的芸術家」の資格たり得るものでしょう。
生前、三冊の写真集を出していた(もちろん自費出版)が、最後の写真集の写真なるものを観ると、悪いけど「死んで良かったのかも」と。
三冊目の写真集のみカラー。心理的な人間の内面まで写す事では、やはり白黒かな?と。カラーというのは、余計な情報が入りすぎる。彼は、色という「情報」というか「表現」を使いこなしてはいなかった。
一部の作品で、自分の影が作品に落ちて、観にくい事この上ない。何とかして頂きたい。
帰りに喰った、吉祥寺のそば屋「U」にて。


福祉イベント大盛況!(華氏911)


お台場の国際展示場にて行われた、「第31回国際福祉機器展」というやつに行ってきた。会場は閑散としたものかと思いきや、押すな押すなの大盛況。障害者や「仕方なく来た」という風情の福祉施設の関係者だけでなく、他の一般の人や、制服姿の女子高生まで居たのにはびっくり。いつの間に「福祉」はこんなにトレンディになったんだ?
諏訪田製作所なる所のぐにゃぐにゃと曲がった鉄パイプが杖になったような、「ALSTICK」なる不思議な逸品を発見。気に入って色々と文句を付ける(じゃなかった。「要望する」だった。)。
映画「華氏911」を観に行く。ブッシュ(米)大統領に批判的な内容ばかり切り貼りして作った映画は、悪人(ブッシュ大統領とその周辺)が決まっていてそれなりに「爽快」で、観る側は何も考えなくて良くて、映画から垂れ流される一方的な情報を口を開けて観ているだけで良くて、「お腹イッパイ」にはなるのかもしれないが、あれは(前作の「ボウリング・フォー・コロンバイン」を含み)ドキュメンタリーとは云えないと思う。
映画の最後で彼(監督のマイケル・ムーア)は「(ブッシュ大統領に向けて)もう騙されないぞ」みたいなことを云っていたが、私はそれを彼に向けて云いたい。独裁者というものは、民衆の味方のような顔をして近づいてきたのだから。
お台場からの帰りのバスの車中より。


「演技力」という事

映画「誰も知らない」を観た。
(カンヌ映画祭で主演男優賞を取った云々を含めて)「演技」が話題になった映画、確かに「自然な演技」ではある。けれどもこれは「『演技』では無いのではないかも」とも思う。「演技」とは所詮「まねごと」ではないのか?「そうそう、こんな感じ。」という時、観る側は役者の演技のうまさを感じるのであるような気がするが。
あくまで私感であって、「演技がうまい」とはこういう事なのかも知れないが。好きな映画ですよ。
Sonyの赤いCLIE(クリエ)(「TJ-25」)が壊れた。それは「雨の中歩いたアンタが悪い」という事らしい。五月に買ったばかりなのに。保証は利かないんだとさ。で、「PEG TH-55」という奴を買った。というか買わされた。


プリントと天候

芝浦のPGI(Photo Gallery International)に『三好耕三作品展「海廻り」』を観に行った。
内容は、氏お得意の8*10(インチのフィルムを使う)カメラで、三脚に固定して日本の海岸線の風景を写した白黒写真。プリントは、総じて評判通り巧いが、その巧拙は、現場の天候にやはり左右されてしまうなあという印象。
私は、写真のプリントなどに注力する余り、内容を置き去りにしてしまうのは本末転倒であると考えているのだが、プリントで見せる写真は(少なくとも観る側はそう観たが)、それが目立ってしまって。
ここPGI(Photo Gallery International)は、写真のプリント(紙焼き)を商品として扱う、特異な考え方をしている。しかし市井の人々には、写真の値段なぞ、ネガから幾らでも複製できるコピー程度にしか思われていないから、一枚十数万円などとても信じられない値段に違いない。
こういう考え方が日本にも浸透してくれれば、「写真作家」と云われる人々ももう少し生きやすくなるんだろうけどね。


疲れを引きずる一日

午前七時、帰宅。風呂を沸かして入り、そのまま寝る。起きたら午後三時。夕飯を作るのも面倒くさいので、再び風呂に入った後、北柏(隣駅)のいきつけの喫茶店「C」にて夕飯を喰おうと歩き出すものの、途中で力尽き店主殿に救助を要請(関係ないけどこの店主殿、五十過ぎのオバ○ャンにして日産のシルビア{二人乗りのスポーツカー}に乗ってる。)。歳をとると疲れが抜けなくて…
食後、店を閉めて送ってもらう(スミマセン)。でまた風呂。お休みなさい。


「若い時の苦労は買ってでもしろ」の巻

奈良東大寺転害門
やっと帰宅しました。現在翌朝の七時半。午前四時、東京駅に用意された電車の中にて毛布にくるまる。「○○人が車中で夜を明かした。」なんて記事は見るけど、実際に体験するのははじめてだな〜
しかし、三島(東海道線)の駅で土砂崩れによる復旧を待っていると、「新幹線はこれが最後の列車だ」とか、「復旧の見込みはたたない」だとか、そういうJRの「去れ」という声に勝ち、駅に踏みとどまった者だけが東海道線を順々に回収され午前四時、東京駅構内に停められた電車に寝る事ができる。こういうのを「夜を明かす」というのだろうか…?
まあ基本的にはこんな台風を追いかけて(「逃げる」つもりだったのですが)、無理矢理帰ろうとした自分が悪かったんですけどね。
朝の奈良。前の晩泊まったユースホステルの人に「奈良まで来て、通るだけなんて勿体ない。」と云われ、土門拳の写真集「古寺巡礼」で一夜漬け。「東大寺はここまで見ろ」という事で拝観料の要らない「転害門(てがいもん)」へ朝の散歩。ごく当たり前のように「ノラ鹿?」が居る。


「松山」発「行けるとこ」まで


11:20 松山と高松を結ぶ、予讃(よさん)線「壬生川(にゅうがわ)」駅
やっと今日から、先日の台風でバス代行となっていた区間も再開したが、ダイヤは乱れまくり。予定立てられず、切符は取り敢えず岡山まで。特急との交換待ち(予讃線は単線なり)で十分停車、車掌さんに云って個人的に、トイレ休憩。
次の台風が迫っているらしい。瀬戸内の島々は雨に霞む。
午後4:10 岡山に到着。地下街の「ぼてぢゅう」で遅い昼飯。「岡山まで来てお好み焼きもないだろう」と思ったけど、ここまで来て雨の中重い荷物(iBook含む)を担いで歩く気力もありませんでした。
現在は駅前「桃太郎大通り(すごい名前だな)」沿いの喫茶店にて、例によって無線LAN中。
奈良にて宿(ユースホステル)をとったので、今日中に奈良まで行かねば。
午後6:20 やっと姫路を出た。九時までに奈良の宿に着かねばならない。着くんだろうか。いや、着く予定なのだが…
さっきの岡山発姫路行き山陽本線に乗り合わせた向かいの女子高生二人組、なんかじゃれ合いつつ、お国言葉丸出しで、「ぜってーワン切っちゃるけんよー!」。こういう方がかわいいと思うのは私だけでしょうか?
「新快速」なるものに乗る。特急みたいな風情の電車で駅を飛ばしていくのだが、なんか味気ないな〜。
午後8:10 案の定遅れた。現在京都駅構内でカレー喰ってます。というか僕は悪くない(云い訳?)。京都に行く新快速が遅れたから乗り継ぎがうまくいかなかったのだ。しかも京都駅の構内では迷うし…
午後10:50 十時前にやっと着いて、これから寝ます。
何か「古寺巡礼」も面白そう。また別の機会に来よう。
日も暮れた山陽本線の車窓から。