年末

普段ダラダラしていた祟りか、年末せわしく、昨日の夕方やっと近所のお茶屋(ホントにお茶を売ってるトコだよ!)に行って、年賀状を買ってきた。それからイラスト考えて印刷し、昨日は1/3ぐらいまで書いて、今日は残りを書いた。
一通ずつ一言添えるのにもボキャブラリーが貧困になってきて、仕事の一人に「無難なトコで、仕事関係は全部『本年もよろしくお願い致します』で良いかなあ?」とメールで聞いたら、「良いんじゃん?でも心がこもってないのはバレバレだけどね〜」と。「また一緒にコースを回りましょう」(ゴルフした事無いけど)とか「また一緒に『居酒屋』唄いましょう」(どういうシチュエーションだ?)とか書いた方が良いのかしら?
とにもかくにも書き終えたのは今日の夕方。近所のポストじゃ心配なので、西荻窪の実家に帰省がてら、上野の線路沿いにある上野郵便局に歩く。
という訳で僕からの年賀状は上野局の消印で届くのでよろしく。


名古屋に行っていた

木曜日の午後東京を出て(着いたのは九時過ぎだけど)、名古屋に行っていた。友人と遊びに。遊びなので勿論鈍行を乗り継ぎ乗り継ぎの旅。
着いた翌日は、豊田市美術館に行った。名古屋駅から名鉄(名古屋鉄道)で「知立(『ちたつ』じゃないよ『ちりゅう』だよ)」で豊田方面に行く「猿投(『さるとう』じゃないよ『さなげ』だよ)」行きに乗り換え。(括弧内は僕の誤読)
知立と猿投を結ぶ二両編成の列車
知立と猿投を結ぶ二両編成の列車(車内)
単線を二両編成の赤い電車は行く。
豊田市駅で降りて、そこから美術館に歩いていく前に、駅ビルの「たこ焼き屋」なるジャンルのお店で(座って)たこ焼きを食べる。


たこ焼きの材料を店員が持ってきて「後は勝手に作って食え」という感じ。友人は手際よくたこ焼きを制作してくれるけど、関東人はその手際をただ見ているのみ。
「○○のカレシがさぁー」なんて会話をしながら学校帰りに友達とたこ焼きを食べる女子高生の会話に聞き耳を立てつつ。
翌日、犬山城に行こうと名鉄で「犬山」へ。犬山を過ぎれば、一つ先の「犬山遊園」に行くと思ったのに、列車は90度ターンみたいな(路線図上)事をして違う方へ。一つ先の「富岡前」で気付いて再び犬山へ戻ろうと反対側のホームで待つ。寂しい駅。
富岡前駅に到着した内海行きの名鉄パノラマカーの各駅停車
しばらくして来たのは少年時代の憧れ、名鉄のパノラマカー(あの気の抜ける様なパノラマカーの発する音が名鉄のホームページに公開されていた)、展望席が前に出ていて、運転席が二階にある特急車両。これが今や各駅停車として使われていた。一駅だけだけど、先頭車両の展望席に座って少年時代の夢を実現。(帰宅してから調べたら、パノラマカーはもうすぐ全車廃車になるそうだ)
名鉄パノラマカーの運転手の交代風景
犬山駅に着くと、運転手交代。
車体の外に付いたはしごをつたって上り下りする。狭い運転席に二人は入れないので、先に降りてから交代の人が上る。二人とも、両手が使える様に鞄を肩にかけて。(交代する運転手さんが持っているのは、マイブレーキハンドル。)
うーん、この光景を見られただけでも名古屋に来た甲斐あったな…
(ちなみに名鉄のパノラマカーは、その後運転席の後ろに高くなった座席が並んで、そこに客が座る後継車に変わっているのだけど、その理由が分かったかも。雨の日は尚のこと大変だろうな。)
犬山城よりの眺め
犬山城よりの眺め
犬山城近くの山田五平餅店
犬山遊園駅から犬山城に行って、帰りに前の道で山田五平餅店にて五平餅を食べる。軒先に椅子があって、一本150円の五平餅をポットのお茶(無料)を飲みながら食べる。
名古屋「鳥久」にて鶏の鍋を食べる
名古屋に帰って、納屋橋の近くの「鳥久(とりきゅう)」(体験記)へ。僕には不似合いなお座敷で値段もそれなりだけど、良い雰囲気。鶏の鍋(当然味噌風味)と鶏の刺身を食べる。


宿への帰り、名古屋駅の前でイルミネーションを見る。人が出て凄い混雑。
名古屋 東山動物園
最後の日、つまり今日は「東山動物園」に行く。何かで有名らしいのだが、何で有名だったか忘れたし、見れば普通の動物園だし、友人と顔を見合わせる。
名古屋発4:58の特別快速(新快速の新しいのみたい)に乗って豊橋まで、浜松まで行って今度は沼津まで。東京着は23:26の予定、我孫子の家には零時を過ぎる。列車の中。
(アップロードは現在沼津)


「戦争への意欲」(麦の穂をゆらす風)

映画「麦の穂をゆらす風予告編goo映画 による紹介)」を観た。
アイルランドの、イギリスからの独立を求めての悲しい歴史の物語。
休戦協定が結ばれ、北部を残したままの独立という話に釈然としない、「あくまでも全面的な独立を手に入れるまで戦い続けよう派」の一人は、「ここで戦いを止めたら、二度とここまで戦いの気運が盛り上がる事はない。」と言う。現在の国境を見たり、IRA(反英武装組織アイルランド共和軍)が一部の過激なテロ集団と世間から見られている事を考えれば、それは明らかな意見だったのだが、
「戦いの気運」や「個々人の戦争への意欲」というのは、肉親が殺されたり、家が焼かれたりした事に対する敵への憎しみだったりするので、そこは抑えて、いやそう簡単に抑えられるものでは無いのだろうが抑えてぐっと我慢しないと、悲劇の連鎖は終わらないと思ったり。


バ「ド」ミントン

アジア大会での日本人の活躍とかで、普段はテレビで取り上げられないバドミントンに注目が集まるのは、高校時代バドミントン部(しかも結構強かったんだぞ、誰か証明してくれ〜。)だった僕としては嬉しいのだけど、アナウンサーが「バトミントン」と連呼するのはなんとかして頂きたい。「バトミントン」というとどうも「羽つき」みたいなイメージが。
どんな職種であれ、その人がプロで無い(あるいはプロ意識の無い)のには腹が立つのだけど、あの方々は喋りのプロでしょう。まあ今ごろあの方々は、局の電話がジャンジャン鳴って、デスクに怒られてると思うので、まあ良いか。
前はカーリングが注目されて「カーリング娘。」、今度はバドミントンで「バドガール」だと思うな、駄目?


上野の山も


十時頃家を出て上野に行き「ベルギー王立美術館展」を観る。大阪から友人が来たときに少し見ていたのだが、日曜までだというので、じっくり観ようと。
上野の駅で、よくある、昔の映画のDVDを売っていたので「第三の男」を買う、500円。怪しい感じがしないでもないが、まあ良いかと。
美術館を出たら、すっかり黄色くなった銀杏の木。


若気の至りを思い出す


最近、朝が冷え込む。昨日、朝早く起きて家の前に出たら、手賀沼に川霧?がかかっていた。スウェットの上下の上に、綿入れとは言え半纏だけでデジカメを持って沼の方に向かうと、寒い。偶に早起きをするとこんな光景が見られるのか。
七時半過ぎ、パソコンを持って家を出る。大学の時に通っていた(というよりここから学校に通っていたような…)赤坂の、料理写真とフードコーディネートのスタジオで、作った経理のデータベースを会計士を変えるので根本的なトコをいじって欲しいとの事だったのだ。
しかしまあ、僕が数年前に作ったデータベースを、未だに使っていたとはねえ。とっくに「勘定奉行」か何かになっていると思っていたよ。
八時頃、ラッシュの頂点の我孫子駅。こっちはのんびりエスカレーターでホームに下っていると、横を駆け下りて電車に乗ろうという人が通り過ぎていく。数分待てば次が来るのに、焦ってそのまま落っこちたら電車に乗り遅れるどころの話じゃないと思うよ。人間の脊髄なんて結構簡単にポキッと行っちゃうんだからさ。
データベースをいじってみると、意外にもよく覚えているものだ。
ソフト(ファイルメーカーpro)の解説書と首っ引きで、関数を使って計算式を考えて… よくこんな事やったな。若さというのは恐ろしいものだ。会計士の人も驚いていたという。


繰り返される(百年恋歌)


映画「百年恋歌(原題: 最好的時光)予告編goo映画 による紹介)」を観た。「悲情城市」の台湾の候考賢(ホウ・シャオシェン)の作品。
淡々とした語り口は相変わらず。「百年(繰り返される)恋(の)歌」。
銀座(他は静岡・福岡)では今週の金曜日まで。しかも夕方六時半からの回だけで、終わるのは九時前。台湾の夜をかいま見て、銀座の街に出る。


懐古趣味って難しいよね(佐賀のがばいばあちゃん)(胡同(フートン)のひまわり)

映画「佐賀のがばいばあちゃん予告編)」を観た。佐賀のおばあちゃんの元に預けられた少年の数年間の成長の物語。
ALWAYS 三丁目の夕日」と同じく、現代人が懐古した「昭和三十年代臭」がプンプンする映画。貧乏だけど例によって人々は皆あたたかくて…という感じ。
胡同(フートン)のひまわり予告編)」は、日本の昭和三十年代のような古い町並みが残る北京の路地「胡同(フートン)」で暮らす、一つの不器用な父子の物語。
こちらも、やもすると前述の「佐賀のがばいばあちゃん」のように「んな…」「ウソっぽい」話になる危険をはらんだ世界なのだが「胡同(フートン)のひまわり」がウソっぽくない映画になっていて、それによる深い感銘を観る側に与えているのは、負の部分まで含めてその世界を直視しているからに他ならないと思う。
「胡同(フートン)のひまわり」では、地震でそのボロい家々は被害を受けて長い避難所暮らしを余儀なくされるし、うるさいオバサンはいるし、他人との距離が近いからこそ他人のウラの部分まで見えてしまう。
「佐賀のがばいばあちゃん」では、クサくて、汚かった筈の「昭和三十年代」が、まるでテーマパークのように美化されて、私たちが頭の中で懐古する(「懐かしい」という感情は必ずしも本人がそこに居合わせる事によって発生する感情では無いようだ。)正しい「昭和三十年代」だけが提示される。
「胡同(フートン)のひまわり」の母親は、この古い胡同(フートン)を抜け出して新しいアパートに移りたくて仕方ない。しかし父親はこの土地に愛着を感じ頑強に居続ける事を望む。遂に両親は偽装離婚して、父親はここに一人で居続ける。そして自分を裏切って離れていった(という事ではないと母親は自分では思っているのだが)母親に対してとった破滅的な行動… そして救われる事のないまま終幕。