土曜日の忘年会など

土曜日、友人達と以前から計画していた忘年会が所沢であるので(何しろ参加者の住所が 川越×2人+江古田×2人+東村山×1人 なので、我孫子の僕には全く配慮せず開催地は所沢と決まってしまった。)、昼過ぎこっちを出て写真展を観て実家に寄ってぶらぶら行けば良いかなと思っていたら、築地のI社に用事ができて、まずはそこに行くことになった。
それから東京駅に出て新宿へ。新宿ニコンサロンにて、谷井隆太展「ものみゆさん」を観る。
谷井隆太さんは以前コニカプラザでの新人発掘の写真展で観て、良いなと思って芳名帳に名前を書いていたら、案内葉書をくれた。
一度あちらで「新人」として扱われていながら、こちらでも「新人」ってどうよ?と思わないでも無いのだが、そんな事を言ってられない、自分の作品発表の場があれば貪欲に、というのが「新人」という物なのだろう。
色々好き勝手な事をしている人々を大きなプリントで。彩度を上げてそれが非現実的な感じで良いかとも思ったけれども、日本カメラに載った普通ぐらいの彩度の物も、良かった。
絵全体の彩度を上げると、折角の面白い小さな人達の動きが埋もれてしまうのかもしれない。
次の目的地、南阿佐ヶ谷に行くために丸ノ内線の新宿駅に行き、ついでに駅に繋がった高野のビルの4階の、コニカミノルタプラザに行く。さして期待もしていなくて、通りがかって寄っただけなのだけれども、北田祥喜写真展「続・和歌山ブルース」が良かった。
なんか地方都市をぶらぶらしているとこういう景色に会うのだけど、別にカメラを構えるなんて気にならなくて、そうすると頭の中に「あれ良かったな〜」なんて残る、そういう一瞬を丹念に拾っている感じがあって。
でも実際は辛抱強く、待って待って、その瞬間が訪れるのを待っていて、計算された世界がこういう写真になるのだと思うのだけど。
そして南阿佐ヶ谷のギャラリー街道へ。
丸ノ内線が下を走る青梅街道から少し入って… と行くと、そのまま我が母校、都立杉並高校に行く道で、何の事はない、高校三年間、自転車で毎日の様に通っていた道から少し入ったアパートの二階。
学生時分、友達の下宿に遊びに行くとこんなんだったなあ。なんて思いつつ。
本山周平写真展「写真の手帖3 信州」を観に来たのだけど、なんか暗い、試し焼きみたいなプリントで、中身もそれなり、だった。この暗い世界をうまく表現できたら良いのになあ、なんて。
ここは写真家の尾仲浩二さんが借りて作品を発表しているアパート。手摺が鉄の棒一本だけの急な階段と、階段を一旦下りないと開かないドアが怖い所だけど、居心地の悪い所ではない(友達の家の暗室に来たみたい)ので、体の丈夫な人はどうぞ。
結局実家に戻るのは諦め、丸ノ内線で新宿に戻って参加者の一人と待ち合わせ、こちらの用事を済ませ(遅れていなかったのに私の用で遅れさせてしまいました、すみません…)て所沢の忘年会へ。
気の置けない仲間というのは良いものだ。「あの生意気な増田くんが三十になるなんてね〜」って余計なお世話だ。


美術展の感想など

最近美術館や映画館に行っても、面倒くさいので余り感想を書いていなかったのだけど、そうすると自分がどこで何を見てどういう感想を抱いたかが分かっておもしろい。数年前はボロクソに言っていたのに、今見るとあれは凄いよ、とか。だからなるべく感想を書くようにする。
朝起きて、洗濯をする。
雨降りの後の気持ちの良い快晴。横から見ると洗濯物から湯気が出ている。
上野の森美術館に行き「没後40年 レオナール・フジタ展」を観る。
確かな、そして学術的なデッサン力によって圧倒的な量感で迫ってくる群像。
浦和のうらわ美術館に行き「氾濫するイメージ―反芸術以後の印刷メディアと美術1960’s-70’s」を観る。
印刷物にぶちまけられた、「一人で誰に認められずともコツコツ」というのとは違う、時代を巻き込んだ世界。
浦和駅からうらわ美術館までの道は、学生時分にバイトしていたNHK浦和放送局までの道と一緒で、バイトを辞めて以来来ていなかったので、とても懐かしかった。


プリントの魅力について考える


前に一度行っていたのだが、もう一度観たくて、上野の国立西洋美術館に「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」を観に行った。
どんよりとした寒そうな北欧の曇り空(行ったこと無いけど)の、静寂の景色。
山手線で田町に行って、PGI (Photo Gallery International)へ。
川田喜久治写真展「遠い場所の記憶:メモワール1951-1966」
を観る。戦後の風景が淡々と。
古関さんのブログで「インクジェットプリントって凄い!」てな事が書かれていたのだけど、普通の銀塩プリントみたいで「どこがインクジェットなの~?」とメールしたら、「全部そうらしいよー」と。
確かに、プリントの他の面はきれいなのに、(トーンが)暗部にさしかかると、途端に針が振り切れたみたいにドーンと真っ黒になっちゃう。
「こういう物なんですか」とギャラリーの人に言ったら、同じ紙で焼いたトーンの豊富な絵を見せてくれたけれども、トーンカーブがリニアの様なヌメッとした印象で、暗部はそこそこ出てはいるんだけど、ガサガサしたような感じ。
生のプリントの魅力って、印刷物と違って暗部が真っ黒の様で、よくのぞき込むと実はそこに何かが立ち現れてくる様な、沼の底を見つめる様な物があると思うのだけど、これではちょっと。
インクジェットプリントの割には凄いって事なのかな?
川田喜久治さんの写真も、暗部が潰れている様で居てのぞき込むと実は薄くあって… というのだともっと作品に深みが出たと思うのだが。
所詮印刷物の延長の様な。
芳名帳を見てみたら、結構日芸写真学科の人達が来ていた(誇らしげに学校名を書くなよ)のだけど、これが良いプリントの基準の様に思われちゃうといけないよな、と思いつつ。
PGIに行く途中の芝浦の運河。