無事退院しました

経過観察で異常が見つかり、取手の病院から紹介してもらった土浦の協同病院にて一週間ほど入院し、脳のカテーテル手術を受けてきました。
手術と検査で疲れて、数日間は実家にて休養します。
局部麻酔でやったので、もう痛くて痛くて(脳の血管にも神経あるんですね)。
「お見舞いに行って良い?」というので「良いけど、土浦だし遠いよ?」と言ったら、それきりメールの返信が途絶えた奴、一生忘れません(笑)。


ピータン粥

夢飯のピータン粥
昨日、用事があって出るのに西荻の「夢飯(むーはん)」で昼飯を食う。混んでいたけれど、もう頭にはあそこの「ピータン粥」以外の選択肢は無くて。
今年の漢字は、「新」になったそうで、一瞬「やったじゃん、俺の年?」と思ったけれども、よく考えたら「新」は今年の漢字だから、もうすぐ終わってしまうのね。


東京都写真美術館に行って我孫子に帰る。
昨日は良い天気だったけれども、今日は朝から冷たい雨が降る。
●木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし
●セバスチャン・サルガド アフリカ 生きとし生けるものの未来へ
木村伊兵衛とブレッソンは言うに及ばず、サルガドは、今世界最高のフォト・ジャーナリスト(戦争写真家では無い)と言えるだろう。
この陣容であれば、いかに写真の選び方や展示の仕方がどうあれ、外し様のない、見るべき価値のある写真展になってしまうだろう。
ブレッソンと木村伊兵衛の写真をたくさん並べて観たのは始めてだったけれど、こうして見ると似た様な写真だけれども二人の違いが見えてくる。
ブレッソンは如何にも西洋的なというか、画面の絶妙な位置に配されたポイント、それが交互に影響し合い、釣り合いの取れた破綻のない画面を作り出している。
対して木村伊兵衛は、絶妙な位置、絶妙な瞬間からわざと少しずらした様な、一つ間を置いた絶妙の世界を作り出している。被写体との交歓の頂点を外しているから、さもするとどうって事無い写真に見えてしまうのだけど、素晴らしいピークを撮るのなら、それは江戸っ子的に言えば「野暮」という事なのであろう。
ブレッソンの隙のない画面構成に対して、木村伊兵衛の捉える一瞬は、絵に少しの隙があって、そこから少しずつ被写体との間に漂う空気が抜けている様なおもしろさがある。
サルガドの写真展は、やはり凄かった。上の二人で言えば、ブレッソン的なそつのない圧倒的な画面構成で、アフリカの難民達の世界を見せつけてくれる。アフリカの難民キャンプを撮る人は多くいるだろうけれども、これだけ画面全体に充満する迫力で見る者に迫ってくる写真を撮れる人は、今彼しか居ないだろう。


新宿で映画など

どうも抜き差しならない事があったけれども、それも先週かたがつき、今日は新宿の小さな映画館に「「THE WAVE (ウェイヴ)」」を観にきた。
映画館の指定席券を買ってから、コニカミノルタプラザに行く。岡田雄二写真展「続北関紀行」は、北関東(本人曰く殆どが埼玉県北部の写真だそうだが)の乾いた、何もない、土の匂いが出ていて良かった。
ずーっと、これはネガからのプリントだと思っていたのだが、後で訊いたらデジカメで撮った写真をインクジェットプリンタで焼いたそうで、インクジェットプリントの画像というのはもっと黒が出ない物だと思っていた僕としては、これは一つの暁光であった。
三丁目に戻り、映画館へ。
嫌々ながらも一週間、「独裁」の授業を担当する事になった男性教師、「独裁」とは何かを教える為に、教室の中に独裁国家を作り始める。
まず自分を指導者とし、授業中先生には「様」を付け、発言する時は起立して。皆で足並み揃えて行進し、仲良しグループを引き離して勉強のできる者、できない者を隣の席にする事でクラスの団結を生み出す。 そして制服を作り、集団名「WAVE (ウェイブ)」を決める。
しかし団結と規律の思考停止の快感に酔いしれ始めた生徒たちが、クラスの外でも「ウェイブ」として歩き回り始める。
「ウェイヴ」以外の人間を自分たちから阻害するようなことに始まり、「ウェイブ」のマークを作りそれを町中の至る所に誇示し、本物のギャングと喧嘩をし、町のシンボル的建物にもそれを大書する。
もはや先生の手の終えない所まで「ウェイヴ」は突き進んでいた。
そして最後の授業、講堂に「ウェイヴ」を集めると、彼に従って「護衛」を買って出る生徒にドアを全て閉めさせ密室状態にして、彼(先生)は話し始める。静かに、しかし段々と声も、身振り手振りも大きくなって、「ドイツは腐っている!」「大企業が!」「失業者は!」…
彼自身、皆に崇拝され持ち上げられる独裁者としての立場に酔ってしまっていたのだった。
新聞や雑誌の評では、この先生の意外な豹変までは語っていない。ただ「思いもしない結末へ」としか書かれていない。私はここまで書いたけれども、映画は更に意外な結末へと進んでいく。
最近、ハリウッド系の大作映画に多い、観客を裏切る為だけの無理矢理な結末、ではなく、この映画は意外さと共に「あぁ、なるほどね…」という何とも複雑な気持ちになる。
以前友人に誘われて見に行った「天使と悪魔」は、犯人が分かった時、「意外」というよりも「唖然」。「それはないぜ」という気持ちしかおこらなかったけれども。