東京都写真美術館のカフェが変わっていた


実家を昼頃出て、一日美術館巡りをしようと思ったら、西荻の駅に向かうバスの中で中学校の近所の写真店の店主と会い、昼飯を御馳走して貰った、昼飯代が浮く。
六本木の国立新美術館へ、「大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年」本物の絵を見て学ぶ贅沢な美術史。
東京都写真美術館へ。まず毎年衝撃的な地下一階の「世界報道写真展2012」へ。カダフィの死体だとか、胸をはだけて飛び降り自殺しようとする花嫁とか、テレビや新聞では見る事のできない事件の衝撃的な部分を。
三階の「光の造形~操作された写真~ 平成24年度東京都写真美術館コレクション展」写真の歴史のお勉強。
二階の「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」90年代から2000年代始めに持ち上げられた女性写真家の内、残っているのはこの人と(迷走気味の)蜷川実花だけか。
写真を知っている人に言わせると、「ただポカンと空を写しただけ」とか、とかく評判の悪いこの人だけれども、僕はわりと好き。
自分の写真は場の空気をもってのみ生きてくる、のを知っているのは狡猾。内面的な所で迷走しているのか、見る物の心に何も残さない写真が金になる事を知ったのか、スーッとした写真。
一回の本屋の奥の喫茶店で休憩して帰ろうと思ったら、かなり狭くなって椅子も無人駅の待合室の様な堅い木の無造作な椅子に変わっていた。安くなったけれどもセルフサービスに。どこも高級路線では儲からない時代らしい。
まともな席は全て塞がっていて、椅子を二つくっつけて貰って一つの椅子にケーキとお茶を置いて食べる。何か既視感があると思ったら、弁当を食いそびれて無人駅のベンチで食べる時がこんな体勢だったのだ。


根治


三月に行った、病巣を取り除いてしまう手術の後、そこに水が溜まったり、新たな血管ができたりして居ないかどうか、
カテーテルという血管の中を通すホースの様な物を頭に入れて調べる血管撮影の為、週明けから入院して検査を受けた。
結果、病巣は取れていて再発(する兆候も)も無いし、水が溜まっている事も無いとの事、これで病との長い戦いに終止符が打たれた…筈。
ただこれまで一年に一度検査(入院はせず外来での簡単なCTスキャン等)を受けていたから大変ではあったけれども死や新たな障害が出てくる前に適切な対処ができたのだから、これからも定期的な検査は受け続けていくつもり、一病息災。
土曜日妹の結婚式で明治記念館に行って、日曜日は大学の友人の子供と友人の阿佐谷の実家で遊んで我孫子に戻り、翌朝九時に入院、感傷に浸る間もなく点滴やらしてストレッチャーに寝かされ、十時から検査。
足の付け根の、カテーテルを入れた傷口が開くといけないので数時間足を曲げる事ができず寝たままの姿勢で、(朝飯抜きだったがやっと食べられた)昼食は看護婦さんに口まで運んで貰った。
入院した事がある人は分かると思うけど、患者は皆、意気消沈した憂鬱な感じで、病棟全体が外の世界とは違う不思議なしんどい空気に包まれているんだけど、僕はその空気に馴染む間もなくバタバタと事が進み、検査の苦痛と緊張から解放されてすぐさま昼食だったので、妙にハイで看護婦さんとベラベラ喋りながら食事を口に運んで貰っていた。同室の人は朝ガサゴソと入ってきた奴がさぞやうるさかっただろう。