東京へ

奈半利に二週間居て、昨日月曜日に帰る事にした。
第三セクターの悲しい所で、奈半利駅では全国のJRの切符を買えない。途中駅の安芸まで行けば買えるとの事だったが、
先週土曜日に、野市(のいち)で喫茶店を始めた、居候先の人の知り合いの建築写真家の、店内での展示を観に行ったついでに、一番近いJRの駅、後免に行って昨日の東京までの切符を買ってきた。
一昨日の日曜の夜は奈半利最後の夜という事で、送別会(実際はその日行われた隣の北川村でのマラソンを手伝った奈半利の人のお疲れさん会だったけど)を開いてくれて、奈半利で知り合った人に会った。
昨日は昼過ぎのバスで、室戸岬を周って少し行った「甲浦(かんのうら)」駅まで行く。
徳島からの牟岐線は「海部(かいふ)」で終わっていて、そこからは阿佐海岸鉄道という第三セクターが甲浦まで伸びている。
随分前の「阿佐線」計画では、室戸岬の西の高知側から伸びた「ごめん・なはり線」が奈半利を通って、阿佐海岸鉄道が徳島側から甲浦を通って室戸岬を目指し出会って繋がる予定だったが、この区間は開業せず、バスが鉄道の未成区間を繋いでいる。
室戸岬の岸壁を周る道はくねくね、そして昼見たテレビによれば、今日四国は梅雨入りしたそうで、時折フロントガラスに通り雨だか水しぶきだかわからない物がかかる。
梅雨に入った室戸岬を周る奈半利から甲浦に行くバス
甲浦駅は、静かな無人の終着駅。待っていた単行のディーゼルカーに乗ると、乗客は僕しか居ないまま走り出す。
甲浦を走り出した阿佐海岸鉄道の車内
山の中をトンネルで縫って行く。周りを見る限り、沿線人口は少なく、乗客も唯一の途中駅宍喰で乗ってきた西欧人カップルのみ。ごめん・なはり線とは随分な違いだ。
続く山をトンネルで抜けていく阿佐海岸鉄道
阿佐海岸鉄道は甲浦-宍喰-海部で終わり。海部ではJR牟岐線の徳島行きの同じく単行列車が待っていた。
海部で阿佐海岸鉄道の列車ASA-101を待っていた牟岐線徳島行きのキハ1500単行列車
牟岐線は路線図を見ると海岸に沿って走っていて、さも風光明媚の様に見えるが、実際は全くと言って良い程海は見えず、田んぼと畑と小さな山の、退屈な景色が続く。
徳島に着くと途中下車して、徳島ラーメンを食う。今流行りのドロドロスープでは無くて胃に優しい感じ。
徳島発高松行きは七時半。奈半利ではアマガエルの大合唱が凄い頃だが、徳島駅前ではそんな声はしない。
徳島から高松までも(期待が無いので良いけれど)牟岐線と同じ様な景色が続く。
高松駅の改札前にあるソファーの辺りは無線LANのホットスポットになっていて、パソコンを広げ久々にインターネットに繋ぐ。
同じ様にソファーに座っていたスーツ姿のサラリーマン達が消えたと思ったら、もう21:28発の東京行き寝台特急サンライズ瀬戸は入線していた。


奈半利に戻る

日曜日の夜松山に着いたばかりだけれども今回は松山での用事は無いので、友人に一月に買わせたiPhoneの様子など見て、昨日火曜日の朝松山を出て奈半利に戻って来た。
松山から高松行きと岡山行きを併結した特急に乗る。
瀬戸内の小島を眺めようと、そちらの窓際に陣取ったが、晴れては居る物の風が無くて、春霞みの中で島はほとんど見えず。

瀬戸大橋を渡って本州に行く「しおかぜ」と、そのまま真っ直ぐ高松に行く「いしづち」に別れる少し前の、
金毘羅さんを通って高知に行く土讃線が別れる多度津で乗り換える、ここからは来た時と一緒。
来る時は東京からの寝台列車が高松に行くつもりで、瀬戸大橋を渡って四国に入った後、高松向きに曲がってしまっていたので、高知行きの特急が高松から来た「しまんと」だったが、今回は岡山から来た「南風」というだけ。
遠くの景色はもやに煙っているけれども、眼下の流れと奇岩は生き生きとしている。

高知の少し手前、奈半利に行く列車の出る後免で降り、用事ができたのでパソコンで無線LANを使うべく、後免駅から歩いてマクドナルドへ向かう。
用事を済ませ後免駅に戻る途中、高知から来る路面電車の終点「後免町」の一つ手前後免東町」から一区間だけ路面電車に乗る。
「後免東町」の電停は、上り高知方面しか、一段高いホームが無く行灯も無いので、戸惑ってしまう。

後免町駅から奈半利行きの列車に乗ると、車内は下校ラッシュで凄い混雑。ごめん・なはり線ができて、奈半利の子も高知の学校に下宿せずに通う事ができる様になったそうだ。
奈半利の居候先に戻ったら、夕食の後に奥さんが買っておいたというケーキが出てきた。そう言えば今日は誕生日。


宇和島観光

考えてみたら宇和島には何回か来ていることはあるけれども、前日の晩飲んだほづみ亭に行くぐらいで、宇和島を観光したことは無かった。時刻表を見ると3時過ぎに宇和島を出れば、鈍行でも七時前には松山に着くことが分かったので、昨日は宿に荷物を置いて宇和島を観光することにした。
観光と言っても(名物の闘牛が行われている時以外は)宇和島は何も無い所なので、段々強くなる雨を避けてアーケードの中の喫茶店に入り取り敢えず朝の腹ごしらえをすることにする。
喫茶店の中に居たおじいさんが「昨日はどうも」と言うので何かと思ったら、ほづみ亭のおやじだった。
数年前にほづみ亭に来た時に会ってカウンター越しに色々話をしていたら、帰るときに湯飲みをくれた、今でも家で使っている。
昨日行った時は店には居なくて、他の人に聞いたら、もう店には出ていないけれども親戚の法事で今出掛けているから帰ってきたら挨拶をするとの事になり、話をしたのだった。
アーケードの中を通って(本来なら裏路地を通りたいのだけれども雨が強くなっていたので)、宇和島城に入る。
宇和島城は江戸初期の城(天守閣は江戸時代の物が残っている)なので、殿様の威光を見せつけると言うよりも実際の戦闘の事を考えて作られていて、面白い。
遠くから天守を見ると普通の四方を向いている城なので近づいてみると堀は五角形に作られていて、一辺攻める側に死角ができてそこから城を守る側が突破できる様になっている。
守ることを考えた城独特の、段の高さや幅の違う登りにくくて左右に折れ曲がる石段を登ると、台地になっている所に天守閣が建っている、そしてここに入る石段もまた折れている。

天守の中に入って急で上の階の天井が頭につかえるはしごの様な階段を上り、窓から前の台地を見る。続く石段を登ってきて疲れた敵の兵士は、この台地で格好の標的になっただろう。

宇和島を海沿いを通る長浜経由の列車に乗り、三時過ぎに出る。下灘等を通って瀬戸内の小島が見える筈なのだが、全く見えない。

七時前に松山に着き、友人と道後温泉へ。


奈半利から宇和島へ

一昨日は今回着てきた外出着一張羅を洗剤を借りて洗濯し、一日中部屋着で過ごしていた。
今日松山の友人に会いに出掛ける事は分かっていたので時刻表が欲しかったのだが、奈半利には本屋が無く、昨日写真撮影がてら室戸市の中心部の商店街まで、時刻表を買いに行ってきた。
カーブの続くガタゴト道をバスは行き、室戸の中心地「浮津(うきつ)」の昔からある、文房具屋件書店という、「鍋島文具店」へ。
本屋だから当たり前にあると思ったのだけど、時刻表はJTBの大きな物があるだけ。近くのサンシャインなるショッピングセンターの中にある本屋にも問い合わせて貰ったが、そちらは時刻表自体置いておらず。室戸に居る限り移動はバスや自動車で、鉄道を使うことは無いのだから、考えてみたら鉄道の時刻表が無いのも当たり前かとも思う。
仕方ないから、今日明日奈半利の居候先で見るだけだけれども、大きな時刻表を取り置いておいて貰い、室戸の中心部を散策。
室戸の港
時刻表を受け取り、また揺れるバスで奈半利の居候先へ。
今朝は九時過ぎに居候先を出て、奈半利から「ごめん・なはり線」のJRへの直通電車で高知に出て、西回りの予土線経由で宇和島へ。
「ごめん・なはり線」からの眺め。

「ごめん・なはり線」の終点後免の一つ手前、後免町駅から路面電車の終点の「後免町」の電停を見る、すぐ近く

高知駅で持っていない小さい時刻表を買う、高架駅の下のキオスクにあった、さすが都会。
高知は駅の前にすぐ路面電車の高知駅前電停があって、雨に濡れずに路面電車に乗る事ができる。

弁当を買って窪川行きに乗り込む。
土佐久礼(とさくれ)駅、高知行きの鈍行列車。

終点窪川からの宇和島行きの予土線の列車は、運良くトロッコ列車を繋いでいる列車で、指定席券(510円)を買って、四万十川の薫風を浴びながら一杯、と思ったけれどトロッコ列車は元々が貨車なので結構揺れて、良い具合に酔っ払う。


宇和島に着き、今夜はシャワーを浴びて先般の「ほづみ亭」に行こうと思い、その近所に宿を取る。


森林鉄道の跡を歩く

昨日は、山地の杉を切り出し奈半利港に運んだ、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の跡を歩いた。
山中の人々が奈半利に出て来る時に使われ賑わった、樋之口駅(ひのくち)跡、何も残っていない。
近くの人に、「ここに給水タンクがあって」と聞いたが、それがなければここに駅があったとはわからない。

終点の貯木場に向かって線路跡を歩く。今は単なる田舎道だが、緩やかなカーブと勾配の少ない道は間違い無く廃線跡。
今の時期、男の子のいる家では鯉のぼりと「フラフ」を揚げている。「皿鉢料理」と言いこれと言い、高知の人は派手で大きい物が好きらしい。


車一台がようやく通れる程度の道を抜けて行くと、森林鉄道を跨ぐ跨線橋に出会う。

居候先に帰って来て、再び便所の窓から外を眺める。


奈半利へ

一昨日夜十時に東京駅を出た「サンライズ瀬戸」で四国に来た。
今回の目的地は四国と言ってもいつもの松山の友人の所では無く、松山が四国の北西だとしたら、点対象の南東の、室戸岬に近い「奈半利(なはり)」。
いつもの様に瀬戸大橋を渡って四国に入った最初の駅「坂出(さかいで)」で寝台列車を降り、松山に行く予讃線では無く高知に行く土讃線の特急「しまんと」に乗り換え、琴平を通り、「土惨線」と揶揄される険しい四国山地を縦断し、大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)の吉野川の奇景を眺めながら、高知の手前の「後免(ごめん)」で降りる。
JRはここまでで、ここからは国鉄が作るつもりだった鉄道を受け継ぎ平成に入って開通した第三セクター「土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線」に乗り換え、終点の奈半利へ。
行く先のトンネルの上の山に崖崩れの跡の残る穴内駅に停まるごめん・なはり線の列車
奈半利は、山地で伐採される杉の積み出し港として栄えた町、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の遺構や、蔵の残る町。
地元の「なはり浦の会」の方に案内して貰い、町に残る蔵、製糸工場を巡る。
地元の方の御宅に泊まらせて貰う、便所の窓からの朝の眺め。
宿の窓から朝の奈半利を見る


ギャラリー巡り(写真を商品として扱う)

夏の気配
杉並区役所にて用事をし、丸ノ内線で新中野に行き冬青社土田ヒロミさんの古い元気な写真を観る。六本木の タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム の村越としやさんの展示を観ようと思ったら、廊主が居なくて入れなく、隣の Zen Photo Gallery を少し観た後、戻る。
写真は冬青社から青梅街道に出た所の角にあるラーメン屋さん、「つけ麺」やら新興勢力が周りに現れては消えるけれども、なかなかしぶとい店。