隅田川花火大会へ

隅田川花火大会で人で埋め尽くされた水戸街道(国道六号線)とスカイツリー
一昨日の土曜日、京都と福岡の親戚が東京に出てきて、スカイツリーに行きたい等と曰うので、三人を連れて行ってきた。
けれども一昨日は隅田川花火大会がある日で、既にその頃四時を回っていて、上がる事はできなかった。
せめて外から塔を眺めて帰ろうと向島の方に出たら、強烈な日差しの下、花火を見ようと水戸街道の縁石に(道路が封鎖されたら出て行こうとビニールシートを持って)座り込む人々。
おばさんが「せっかく来たんだから、有名な隅田川の花火を見て行こう。」と言い出し、「俺は興味無いから宿に帰るわ」と言って去ったおじさん一人を見送って、言問団子で少々時間を潰し、その後は「鳩の街通り商店街」の洋風居酒屋にて数杯引っ掛けている内に七時になって、外からドンパン聞こえてきた。
外に出ると、水戸街道は通行止めでアスファルトの観客席となり、小さな路地も建物の間から見える所は人が立って空を見上げていて、通れない程だった。
面白い事に、水戸街道の座って見られる所は立錐の余地もないのに、ビルの陰になる所はそこだけ誰も座っていない。おそらく空から道路を見たら、ビルの陰になる所だけ地面が現れて黒くて、隅田川の方から陽が当たっている時の様な模様になっていたに違いない。
ところが周知の様に、開始数十分ぐらいでポタポタと降り始め、すぐにザーッと言う激しい雷雨になった。道路に広がっていた人が一斉に雨宿り出来る所を目指したので、街道沿いの家の軒下は押すな押すなのラッシュ状態、けれどもせっかく取った場所なので、敷いてあったビニールシートを被って雨をしのぎ、その場所を死守する人も居た。
隅田川花火大会の途中で降り始めた雷雨にビニールシートをかぶって雨を凌ぐ人
雨は収まらず、その後すぐに「花火大会は中止です」の放送が流れた。花火大会が中止になると言うことは水戸街道の通行止めを解いて車を通すという事なので、車道を歩く人を歩道に上げねばならず、警察官は間断なく怒鳴っていた。
親戚二人の宿はお台場のゆりかもめの駅前だったので、本所吾妻橋駅まで歩いて、そこから都営浅草線で新橋まで行って貰おうと思ったけれども駅構内は案の定、凄い人だった。
本所の辺りからそれほど近い訳では無いけれど上に乗っかるモノが大きいので近く見える業平橋(とうきょうスカイツリー)の駅に向かう人が多かったけれども、あそこは相当大勢の人が押しかけていた訳で、エスカレーターも多いけれどもよく事故が起こらなかったものだ。
けれどもやはり花火大会はテレビでは無く、溢れかえる群衆の中で腹の底に響く音を聞きながら見るのがやはり良いと、懲りずに思うのだった。


細部まで見せる写真

国立新美術館の休憩室にて
六本木の国立新美術館で「アンドレアス・グルスキー展」を観た。
史上最高額の数億円で売れた写真という事で、どんな物だろうと観てきた。
「数億円」という先入観を捨てて見れば、良い写真だと思うし、Webや印刷物で作品を見て「ふ〜ん」と思い、実物を見るとその大きさと細部に確実に驚かざると得ないので、誰にでも本物の凄さを分かりやすい作品だとも言える。小さなギャラリーでは無く大きな美術館で金を取って見せるのも納得できる写真だった。
その高解像度の巨大写真に込められた(或いは、込めてる事にさせられた。込めてる事にしちゃった。)暗喩までは分からないが、高解像度のデジカメ画像をツギハギして更に高解像度の写真にするというのは、遅かれ早かれ誰かがやっていた事だろう。
数億円で売れたという写真は、その写真に数億円の価値があるという事では無く、その写真を数億円で買っておけば数十年後にはもっと高名な写真家となった作者も亡くなっていて、せめて数億プラス数千万円で売れるだろうという金儲けの為の買い物だろうから、値段を気にして見る事は無いと思うのだけど、投資という意味では、今後この様な高画素の写真は誰でもコンパクトカメラで撮れる見慣れた写真となっていて、その時まだ数億円の価値があり続けるのかなあとは思うのだ。或いは時代の里程標(マイルストーン)という意味で価値が出ているのかも分からないけど。
展示された作品の中には、初期にニューカラーの方向に足を突っ込んでみました的な作品もあって、それをこの巨大で細密な作品と一緒に観るのも面白かった。