「業」のようなもの


天気が良いので成田まで散歩。帰りにどじょうを買ってきた。
夕飯の味噌汁に入れてやろうと思うのだけど、その前にこいつが暴れまくる。歩いていてもビニールがガサゴソうるさくてたまらないし、食事中はテーブルから転落する。
というわけで帰宅。煮てぐったりとなった奴を、食む(はむ)、食む、ひたすらに食む。
先ほどまでの「生き物」を殺して食す。言い逃れはできまい。ぬるぬるとした触感「食む」、これが人間の「業」なのだと思って。
「障害者」。見た目が「片麻痺(半身不随)」だとか「車椅子」。「ビジュアル的」なものに騙されてはいけない。
「星の王子さま」の言葉、「本当に大切な物は、目には見えないんだよ。」


自分の頭に感動

先日、懐かしの取手の病院(最初の入院先)に行き、脳の写真を撮った。脳動静脈奇形の経過観察。
もう感動的というほどに、出血した、脳の左側は真っ白(死んでいる状態)だった。もちろん断層写真なので、一番酷い部分を見ての感想ではあるが、それにしても「よく生きているなあ」という感想。
それはともかく、数十分に及ぶMRI検査中の音楽が変わっており、前の環境音楽のようなものから、年代別と思われる歌謡曲に代わっていた。
なぜ、よりによって数十分も、大嫌いな「モーニング娘。」や「ゴスペラーズ」の歌声を聴かされなけりゃならんのか。しかもMRI検査は頭部が動かないように押さえつけられている…


昇降機の順番待ち

今日新宿駅で、階段を登ろうと思ったら、上から昇降機(手摺りについている車椅子を乗せて上がり下がりする機械)が降りてきた。それは良いのだがホームに上がったら更にもう一人車椅子の人がいて待っている。良いことなのだろうが、何か複雑な、奇妙な、笑い出したくなるような、不思議な気分。
もっと公共交通機関(というと難しくなるけど、要は「バス・電車」)を、車椅子の人でも、日常的に利用してほしいと思うし、それが将来の人の為になるとも思うのだが。


杖をついているから…

電車の中などで、よく席を譲られる。杖をついているからそう思われるのだろうし、実際立っているのが大変という人もいるのだろうが、僕は別に立っていることが辛くはないし(そりゃ単純に「疲れた」というのはあるけど)、立ったり座ったりすることの方が大変だし、動く車内で移動する方が危険なのだ。気持ちはありがたいのだが、(遠慮ではなく)お断りすることが多々ある。ただ、そういう時譲った人は大抵もう腰を上げていて、断られてももう一度座りにくい。(困った問題だが、結構そういう人は多いと思う。)


「バリアフリー」の名の下に

最近一人で外をブラブラすることが多いのだが、いわゆる最近はやりの「バリアフリー」ってやつで、段差をなくすためにスロープを設置している所が多い。ところが、私のように車椅子を使用していない障害者にとって、段になっている方が格段に楽で、スロープは非常に怖く危険なものなのだ。僕などちょっと怖いくらいで全く問題ないのだが、もっと重度の人にとっては結構重大な問題なのではないかと思う。


学校に行ける

四日に懐かしの取手の病院に行き、造影剤を入れて検査をしてきました。結論から云うと、今回は消えているかと思われたのですが、あまり良くなく、病巣はまだ消えていませんでした。が概ね消えたのと同じ行動をとって良いということですので、僕としてはかなり気が楽です。後期からの大学への復学も決まり、まあ良かったかなと思っています。


七月も終わり

いやあついに7月も終わりです。相変わらず暑いですねえ。(と今回はなぜか語りかけ調)昨日2ヶ月ぶりくらいに東大の眼科に行って来ました。右眼の視力は1.5になっていたが、左眼は変わらず0.01。まあ放っておくかと思っていたら、左眼は使わないので斜視(要はやぶにらみ)が始まっているとのこと。次々災難が襲いかかってくるなあ…
暑いけど、去年の今頃は意識不明で気がついたら秋だったから、それよりか良いか。と思っている今日この頃。