震災26日目

週末は地震後始めて実家に帰って、地震保険の請求の処理などした。保険の対象に家財も入っているので。
地震からこの方、毎朝余震に起こされている様な気がする。
3月23日にAmazonに頼んだ写真集は、2日の土曜日に
「ご注文いただいた商品が、予定より早くお届けできることになりましたのでお知らせいたします。」
と支払いを促すメールが来ていたから、すぐに電子マネーのEdyで手元で支払ったけれども、発送のメールはまだ来ない。
Amazonで確認すると支払いは行われて発送待ちの状態になっているから、手続きは行われた様だが、倉庫が浦安辺りにあって、棚がゴチャゴチャになるとか道路が寸断されてしまい車が行き来できる状態でないとか被害を受けてしまい、発送が遅れているのか。
しかし杉並の実家で母親に訊いた所では、もう注文すれば数日で届いている様だから、都外は後回しなのか、それともフリードランダーの写真集は生活には関わりのない物だから、後回しなのか。


人の心はうつりにけりな(震災20日目)


一昨日からは夕方、近所のスーパーに買い物に行ったら、ミネラルウォーターを売っていた。今日も売れ残っていた。
何の疑問も持たずガブガブ飲んでいた前日の水を調べてその日、前日の水は汚染されていたと知ってミネラルウォーターを買いに走り、翌日「昨日の水を調べたけどもう大丈夫です。乳児の摂取制限は解除されました。」と言うテレビを見ながらミネラルウォーターを飲む。空しい。
数日前は「原発事故はどうなっているんだろう」と思っていたけれども、その答えは幸か不幸か
どうにもならず、大した進展も大きな後退も無く、少量の放射性物質を垂れ流し続けている。
というだけの事だった。
今後も放射性物質を垂れ流し続ける事になりそうなので、原発一個一個に袋をかぶせちゃえば良くない?という話が閣内で出ているそう(朝日新聞30日朝刊)だ。
写真は数年前東北を巡った時、石巻で撮った写真。
前の流れは旧北上川で、画面右に行った中州の中に石ノ森萬画館があり、その更に先に行って海に出る。
この長閑な景色も、もう見る事はできないのだろうか。


震災15日目


今日は地震後始めての仕事の外出。箱崎の会社に請求書を出しに。
ポカポカ陽気で、昨日にも増して人出が多い。
常磐線は、取手より向こうに行く電車(青い電車)は本数を減らしているが、取手までの快速や千代田線に乗り入れる各駅停車は普通に動いて、乗り入れもしている。
金町で降りて浅草行きのバスに乗る。電車を降りたら駅前のバス停にバスが待っていて、すぐ動き出す。
普段一時間に数本で、今日はいつもより長く柴又に行く京成電車の駅舎の横にある喫茶店でバス停を見張りながらお茶を飲まなきゃいけないと覚悟していたのに、こんな時に限ってすんなり行く。
途中の国道6号線(水戸街道)も案外空いていた。燃料不足のお陰か。
原発の問題が解決してから社会も落ち着いた状態になるのかと思いきや、原発の放射線を止める作業と並行して社会が落ち着きを取り戻しているらしい。
首都圏は水が汚染されて云々と言っているけれども、被災地や原発を対岸の火事と、同情するだけで結局自分の事しか考えていない人間へのちょっとした天罰だと思う。
田舎も入れると放射線の量は減っているらしいから、この騒動ももうすぐ収まると思う。
と良いのだが。
数日後「あの頃はあんな呑気な事言っていたのにね」と、この記事を見て独りごちる事になってしまわない様。


小学校の同窓会

小学校の同窓会
土曜日、池袋で小学校の同窓会があって行ってきた。
国立大学の附属小学校だと、幸か不幸か皆大抵生活レベルが揃っていて、家が貧乏で大変だったり、少年鑑別所との間を行ったりきたりしてた奴も居なくて、卒業後二十年弱という歳月が流れているとは言え、そんなに変化のあった人も居なかった。
けれども、会社を幾つか持っていて、年商数十億という奴は面白かった。二年生の時僕の後ろの席で授業が終わるまで我慢できなくて小便漏らした癖に。


インフルエンザで寝込んでいた

先週の金曜日から具合が悪く、土曜日一日寝れば治るかなと、軽い風邪とあなどっていた。
実際日曜には幾分体も楽になり、溜めたその週の仕事など枕元にMacBookを置いてやったり、時折布団から抜け出て去年の帳簿の整理などして、「明日は少々辛いけれども実家に帰ってしばらく養生するぞ」と意気込んでいたのだが、翌日起きてみると昨日よりも体はだるくなっていた。
快速から各駅停車に乗り換えるのも億劫で、各駅停車でそのまま地下鉄に入り丸ノ内線に乗り換えて荻窪に着くと、タクシーで地元の医者に行く。綿棒を鼻の穴に突っ込まれてインフルエンザの検査をしたらすぐにその妊娠検査薬みたいな検査キットの「A」の所が桃色になり、「あ〜、インフルエンザだわ〜」と。
運の悪い事に、実家への移動中翌日撮影の依頼が入っていて、その時は単なる風邪だと思っていたので一旦は引き受けていたのだが、暖かい病院の待合室で断りの電話を入れる。
病院から家までは善福寺公園の横を通って少しの道をボーッとしながら歩き実家にたどり着き、寝込む。
快復したら快復したで寝ていられない、あの頃はただ布団をかぶって何もしないというだけでありがたかったのに。今日は枕元にPowerBookを持ってきていじっている。


川本喜八郎追悼上映会

川本喜八郎追悼上映会
先週の土曜日は、実家近所の杉並公会堂(中学校の合唱コンクールなんかやった。今の格好良い建物ができる前だけど。)にて、この夏に亡くなった人形作家の川本喜八郎さんの追悼上映会があったので行ってきた。
無料の上映会だったけれども、受付に大きなガラスの瓶が置いてあって、千円札やら五千円札が入っていたので、僕も休憩時間に千円札を入れてきた。無料上映会のお知らせのサイトには「カンパは受け付けます」と書いてあったので身構えて行ったのだけど、特にカンパしなければ入りにくいだとか、居心地が悪いだとか言う事は無かったので、それは良かった。
大学時代に習った(映画学科の授業に潜り込んだだけだけど)、高畑勲先生にお会いできたのも嬉しかった。
高畑先生はトークショーで、この後「道成寺」「火宅」の上映があるという時に、知らなかったのかもしれないけれども、「これらの作品は余り好きではないんだよね、『花折り』が好きだ。」なんて事を言っていたが、以前授業の中で「千と千尋の神隠し」の公開を前にして「みんなが観る前に評論家が『あれはつまんない』みたいな事を言っちゃうと、それがその映画の全員の感想みたいになっちゃってみんな観なくなっちゃうから困るんだよね〜。」という様な事を自分で仰っていたが、どうなのだろうか。
何か、川本喜八郎さんが亡くなったという感じはしなくて、これまでの仕事をまとめて観る回顧展の様な会で、何か和気藹々としていて面白かった。
アニメーション作品は大抵以前観たものだけれども、「世間胸算用近頃腹裏表(せけんむなざんようちかごろほんねとたてまえ)」の人形劇の舞台での上演を追ったドキュメンタリーが面白かった。


「駒形どぜう」にて

駒形どぜう
納品に出て、その帰りにバスを駒形橋の辺りで降りて、「駒形どぜう(ホームページは「dozeuドットコム」)」に行った。
定食で済ませるつもりだったのだけど、どじょう鍋をつつきながら平日の昼間から良い気分の人々を眺めていると一杯やらずには居られなくなり、結局焼酎を。


家の周りの朝顔が花盛り

家の周りに咲いた朝顔
盛夏には雨が無かった事もあって今一つ元気の無かった朝顔だけど、遅ればせながらとつるを伸ばし、咲いている。
縁石の土に種をまけば、上のフェンスに絡まって咲いてくれるだろうというのは甘かった。人間 (朝顔だけど) の欲には限りが無いとはお釈迦様も良く言った物で、フェンスの上までツルを伸ばしてしまうと、もっと高い、もっと太陽に近い所を目指して、放っておいたら庭木の枝にしがみついて伸びて行った。