一人旅の算段

こちらでの用事も無事終え、明日は京都の親戚の家に残した婆ちゃんを迎えに、京都に再び行く。
と言っても今度は何も急ぐ用事は無く、気楽な一人旅。
我孫子駅前の本屋で時刻表(コンパス時刻表という携帯できる奴)を買って、甘味処みたいな日本茶のカフェ「竹山」に入って、白玉を食いながら時刻表を眺め、さて明日はどの様に行こうかと考える。
「何時にここで乗り換えて…」なんて時刻表をめくりながら自分の乗る列車に蛍光ペンで線をひいていく。「乗り鉄」にしかわからないであろう至福の時。
経路を決めて、一日でたどり着く事を確認して、我孫子駅に行く。そして切符を買う。


京都法事一旦帰り


婆ちゃんは昨日の法事と子供たち(僕と寝ていた応接間でお化け屋敷ごっこを始めやがった…)で疲れた様で、このまま連れて帰っても、列車の旅だけでも随分な疲労になるであろうと思われ、僕だけ一旦戻り、片付けなければならない仕事を片付けてから、数日後婆ちゃんを迎えに再度京都の親戚の家に行き、連れて帰る事にした。
最寄りのJRの駅まで送ってもらい、そこで16:32発の新幹線の切符(窓際)を買って、京都から「のぞみ」にビールとチーカマを買って乗り込んだ。これなら京都の次は名古屋に止まって、次は新横浜だ。東京には七時前に着く。
京都駅の新幹線ホームに上がると、修学旅行に出かけるであろう集団と会い、「あんな頃もあったよなあ、でも同じ新幹線に乗るのかなあ?」と思ったらホームの反対から出る「ひかり」に乗り込んでほっとしたのも束の間、乗った新幹線の同じ車両には既に別の修学旅行集団が陣取っている。ウノやらで既に大盛り上がり。いったいあの頃はなぜ酒も呑まずにあんなにハイになれるのであろうか。
という様な事を書きながらこれを書いている。
あ、荷物を下ろし始めた、名古屋で降りてくれるらしい。


京都法事行き

只今京都の親戚の家、二日目の朝。
行きの新幹線も着いてからも写真日記を書く時間など無かったので、今まとめて書く。
一昨日、行きは、新幹線の各駅停車「こだま」で三時間半かけてのんびりと。
乗った少々古い列車。車内からかける公衆電話が置いてあったであろう所。
「今何て新幹線に乗ってるかって?」
という電話の向こうの人の疑問に答えられる様に、「この列車は『こだま 657号』」と表示されている。なるほど。

昨日、朝散歩をする。家の裏の竹林を歩いていくと誰やらの古墳があって、更に歩くと学校と墓地があって、そこを下って帰ってきた。

そして法事へ。「西本願寺」なる所に行く。親戚一同三十数人が集まると、さすがに圧巻。誰が誰だか…


筑波山を出る

筑波山荘ユースホステルの部屋から外を見る
朝、部屋よりの眺め。
筑波山の山頂付近
ケーブルカーで山頂に。関東平野のでっぱり筑波山にはアンテナ類が多い。NHKもここに電波を飛ばして中継なんかをしていた。
筑波山神社脇の参道
筑波山神社の参道。
筑波山神社の大鳥居の所にあるバス停からつくばエクスプレスのつくば駅行きのバスに乗り、常磐線の土浦に行くバスに乗り継ぐため途中の筑波山口で一人だけ降ろしてもらう。
筑波山口関鉄バスターミナル(旧筑波鉄道筑波駅)
筑波山口は二十年前に廃止になった筑波鉄道の筑波駅、今はバスターミナルになっている
廃止になってすぐ、母親に連れて貰って来たけれども、駅前は”驚くほど”その頃と変わっていない。
筑波山口関鉄バスターミナル(旧筑波鉄道筑波駅)
ホームは、廃線跡を舗装したサイクリングロードの休憩所になっていた。


新しいデジカメ試し撮りの旅

笠間のつつじ祭
新しいデジカメを持って出掛けたくなったので、笠間と筑波山に行くことにした。
今笠間を出て、土浦に向かう車中。土浦からバスで筑波山に向かい、今夜は筑波山の宿に泊まり、明日筑波山観光そしてDP2の試し撮りをするつもり。
連休中だがユースホステルなので昨日言って予約が取れた。
この写真は前信州の旅の時買ったリコーので撮った笠間のつつじ祭。


温泉街水上

上越線を来た電車はここ水上(みなかみ)まで。高崎行きまでの一時間、駅を出て水上の温泉街を歩く。
水上の温泉街は草津や野沢温泉の様に「駅からバスで何十分…」という訳ではなく、駅から歩いて十分という所にある。

水上の温泉街は、昔は賑やかだったと地元の商店主曰くであったけれども、今や、大きな旅館やホテルが数軒あるだけで、温泉街としての華やいだ雰囲気は無くなっていた。
温泉街入ってすぐの大きなホテルは潰れて放置されて何年経つのか廃墟と化しているし、件の地元の商店主によると、もう少し先の藤屋というのも潰れたんだよと話していた。
駅に戻って高崎行きの列車に乗る。
水上から高崎の方へ下る(上りの)列車は結構あるのに、長岡(新潟の方)に行く列車は一日に五本。

走り出してしばらく行くと、いつの間にか雪は止んでいた。だいぶ平野に降りてきたという事か。風が強いとかで、渋川の手前の大きな川にかかる橋をゆっくり行く。風が窓を揺らしてピューピューガタガタ。
十一時、家に着いた。
野沢温泉の宿から小一時間、アスファルトの道を下り続けたのがいけないのか、腰が痛い。荷物はほとんど衣類で普段よりも軽いくらいだから、原因はそれだろう。
しかしそれよりもむしろ眠い、お休みなさい。


雪だ


飯山線の車窓より千曲川(信濃川)を見る。壮観。

六日町を通って越後川口で上越線に乗り換え、十日町を通っても(なぜ経路を強調するかというと、小学校の頃社会の時間にこの辺りを豪雪地帯として習ったから。)時折雨が降る程度だったのに、四時過ぎ、越後湯沢をすぎた頃から猛烈に雪が降り始めた。
昨日の宿で夕飯の後温泉に入って、一人日本酒をちびちびやりながら見た、夕方から荒れるという天気予報は当たりだった。


野沢温泉を下る


浴衣と一緒に置いてある、タオルやらを入れるビニールの袋、これはもらって旅の洗濯物を入れて帰る。また旅に出る時、あると便利。

昨晩と同じく、数室の人が集められ、食事。

やまめの干物とお粥など。
温泉街をぶらぶらし、蕎麦を食べて、昨日の道を下って(野沢温泉の一つ先の駅の)上境駅へ。けれども雨が降ってきて、余り散策日よりではない

千曲川(信濃川)にかかる橋の上から。


野沢温泉へ

糸魚川から日本海に沿って少し北に、直江津に行く。
昼御飯は直江津のホームで売っていた、たら弁当。中身はさすがに、たらづくしなのは良いけれど、たらこは真鱈の子では無いのに、などと。
鈍行列車の小さな窓のテーブルでも置きやすいように弁当箱が小さくできているのは喜ばしい。

途中、各駅停車なのだけど車両は特急、という「妙高」と数回すれ違う。
長野新幹線が通って廃止になった、特急「あさま」の車両はこんな所で生きながらえていた。
車両にアイデンティティがあるなら、特急列車で活躍していた奴に、鈍行で長野と直江津の間をタダで行ったり来たりさせて、JRも酷なことをする。
野沢温泉に行く飯山線が分かれる、豊野(とよの)に着くまでに弁当を食べて、丁度、一時間後の戸狩野沢温泉(とがりのざわおんせん)行きを待つ。
糸魚川までしか買ってなかった切符の精算と、糸魚川から我孫子までのジグザグの切符の発券とやってもらう。一時間乗り換え時間のある時でよかった。案の定駅員さんは(駅長さんまで巻き込んで)右往左往していた。そして出してもらった切符。

飯山線は千曲川(信濃川)にそって進む。

(最近の液晶ファインダーは凄い。以前なら早い動きについていけなかったのに、車窓から撮っている感じを出そうと線路の標識を入れたらちゃんと入っている。)
戸狩野沢温泉で降りたら来ていたバスに乗って山の上の野沢温泉へ。
「大糸線から帰ってくる途中になんか温泉でも泊まりたいな、あ、『野沢温泉』がある!」
ぐらいに思っていたぐらいで、ちゃんと着くか(乗り換えが間に合わないという可能性ももちろんのこと雪や天災で立ち往生という可能性もある)分からなかったし、気まぐれで別の方向に行くなんて事になる場合もあるし、宿はとっていなかったので、温泉街をうろうろして今宵の宿を探す。とりあえず目に入った老舗っぽい大きな旅館に入り、「泊めてくださ〜い」と。
十畳の部屋に通され、部屋まで付いてきてお茶を入れてくれたおばちゃんに、明日の飯山線へのバスの事を聞くと、戸狩野沢温泉の次の上境(かみさかい)の駅の方が実は野沢温泉からは近くて歩いていけるから、便の悪いバスよりかそうしたらどうかと。
少し休んで明日の予行演習と思い歩いてみると、遠い遠い。
遠くに目的の駅が見えるところで、もう帰ろうとすると道の看板に「野沢温泉 3.5km」とある。
道は、雪山を望む景色ですがすがしく良いのだが。明日はゆっくり歩こう。
散歩を終えて野沢温泉へ帰る道は暗くなりかけて。

旅館に帰ると日はとうに暮れて。