アマゾンさんからお荷物着いた


歩いて十分の所にあるケーズデンキに行けば良いのに、面倒くさいからと初めてエプソンのプリンタ(PX-G930)のインクをアマゾンで買った。
「足りなくなってきたからそろそろ準備しておいてください」と(プリンタに)言われたのはレッド一色だったのだけど、千円ちょっとのインク一つでは配送料がかかってしまうので、少なくなっていたマゼンタのインクも一緒に買った。
支払いは手元の携帯電話の電子マネーですんなりと。
たかだか小さいインク二つをどうやって宅配便で配送するのかなと思っていたら、いつものアマゾンの段ボールに、インク二つが鎮座ましましていた。


真岡に行ってきました

関東鉄道常総線の車内より
仕事の撮影で、栃木県の真岡(もおか)に行った。
起点の 取手(とりで) から関東鉄道常総線というローカル線(途中から単線、非電化)で終点 下館(しもだて) まで一時間、そこからまた真岡鐵道というローカル線(全線単線、非電化)で途中の真岡まで三十分。
春の中を突き抜けていった。


ゆで玉子サービス無料というだけで


昨日久々に行った江古田にて。
駅前で貧乏日芸生の腹を満たしていた安いラーメン屋では、只今「ゆで玉子サービス無料」。
学生の課題でももらって使ったのか、スタジオでちゃんとライティングして撮ったらしい玉子が。
たかがラーメン屋の「ゆで玉子サービス無料」如きになんじゃこりゃ。
(新しいデジカメを信濃大回りの旅以来、ずーっとオートホワイトバランスで使っているのだけど、今回もうまく雰囲気を壊さずの微妙な値を出している。)


東京の桜

東大病院前のバス停の桜並木
眼の定期検診で行った東大病院(文京区)。その帰り、お茶の水に行くバスを待つ前の道は、桜並木が満開だった。
実家に帰り善福寺公園に行く。週末の昨日は大人たちがブルーシートを敷いて宴会をしていたけれど、月曜日の今日は子どもを連れて出てきた「ママ友」が、健全なお花見を。昨日は大人の花見、今日は子供の花見。
善福寺公園の満開に咲いた桜(下池)
善福寺公園の満開に咲いた桜(下池)
お昼を食べたお店にて。


つくし


家の周りの草を取っていたら、つくしが結構生えていた。杉菜になっている物もたくさんあったけれども。
つくしを残しておけば憎き杉菜になるとは分かっていても何か勿体なくて、つくしは残して杉菜は抜く。


怪しいアラジン

アラジンストーブの換え芯の箱
アラジンのストーブの芯が大分ボロボロになってきて、銀座のハンズで芯を買って帰ってきた。
手を石油臭くしながら替えてみた。替えながらふと買ってきた芯の箱を見ると、なんじゃこりゃ?
怪しい農村の中国人のお化けみたいのがランプから出てきている。昔のイギリス人の中のアラビアンナイトは、こういう世界だったのだろうか?
これとほぼ同じ内容の説明書きが換え芯に付いてきていているのだが、このハンドルを引っ張って黄色い所と前後に分離するというのは、説明書きの方が親切で、「離れない場合がある」ときちんと書いてあった。黄ハンドルとつまみの間に少し隙間があって、そこにマイナスドライバーを入れたらすぐに離れた。


ほうれん草の味噌汁を作ってみた


昼御飯を作ろうと思ったら、あると思っていた豆腐が無くて味噌汁の具になる様な物が何も無い。
以前ほうれん草の味噌汁なるものを聞いた事があり、ほうれん草ならばあるからそれにするかと思ってWebを見たら、こんな物らしい。
卵は丁度一つ余って冷蔵庫にあるし、作ってみる事にした。間違ってほうれん草を後から乗せてしまったけれど、この作り方にある様に卵を入れた味噌汁にくぐらせる様にするとほうれん草のアクっぽい味が卵に包まれる様で、おいしい。
朝沼向こうの農家の人が売りに来たせりと。


旧村川別荘へ

先日新聞(千葉版)で読んだ、近くの旧村川別荘での芸大生の彫金の展示をぶらりと観に行く。家から十分ぐらい歩く。
旧村川別荘(我孫子市)での東京芸大生の彫金の展示
別荘には水戸街道我孫子宿の本陣の離れを移築した「母屋」と、別荘の最初の住人、西洋史学者 村川堅固(むらかわけんご)が作った「新館」があり、作品展は「母屋」で行われている様。
旧村川別荘(我孫子市)での東京芸大生の彫金の展示
旧村川別荘(我孫子市)での東京芸大生の彫金の展示
銀座の画廊も良いけれど、こういう自然の中の純日本家屋で鋳物を眺めるというのも良い物だ。
入ってきたおばさんに学生と間違えたのか、「順路はあるの?」と呼びかけられた。最初は自分に問いかけられているとは知らず黙って出されたお茶を飲んでいた、何回か言われてやっと気づき「私に言っているのですか?」と答えたけれども、学生に間違えられるのならば、そんなに悪い気はしない物だ。
せっかくなので、隣の「新館」へ。
旧村川別荘(我孫子市)
大正期の東大の教授というのは相当お金をもらえたらしく(今の国立大学の教授とは大違いだ)、村川堅固は手賀沼を望むこの地に別荘を建てたらしい。
今や、眼下に広がる手賀沼は戦後の食糧難などがあり(色々お話をして頂いた市役所の職員の人によると、手賀沼を埋め立ててそこにディズニーランドを作るという計画まであったらしい。)干拓が進み、住宅地になってしまった。

帰りは上って門から出て、子の神神社(ねのかみじんじゃ)の道を通って帰る。長い壁のお屋敷に緋寒桜(ヒカンザクラ)が咲いていた。
Titikaでチャイを飲んで、暖まって帰る。



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