安房鴨川へ

一昨日と昨日、南房総をぶらぶらして来た。
一昨日は和田浦に行き、漁港で鯨を解体する場所など眺めた。
鯨の解体は、7月の捕鯨シーズンの前半に捕鯨を行っている業者「外房捕鯨(がいぼうほげい)」のブログに夕方鯨が上がったと記事が出るから、それを見て和田浦に行き泊まると、早朝見られると地元のおばちゃんに聞いた。
そして安房鴨川に行き、観光協会に紹介された「エコホテル」なる安易な名称(つい最近まで「お宿 華屋」と言ったらしい)の宿に荷物を置き、素泊まりで食事は無いので、駅を出てすぐの「長久」に戻りビールと地の魚等。
翌朝、漁港までぶらぶら歩く。昨日の店で聞いた通りその辺りに朝食を調達できる所は無く、作って貰った弁当を防波堤で広げる。前日は天気が良いけれども風が強かったけれども、この日は海も凪いで豊漁で、鰯が漁港には溢れて地面に転がっていてトンビは餌を欠かず、安心して(地元紙「房日新聞」に包まれた)おにぎりを食う事ができた。
鴨川漁港で朝食
帰りがけには安房鴨川から少し千葉に戻った江見内房線の路線図)で降りてまた漁村をぶらぶらした後、内房線の千葉行きの鈍行に乗って帰宅。
内房線の車内から眺める夕方の東京湾
途中安房勝山の辺りで地震が起き、のろのろしながら千葉に着いたけれども、その後も諸処の駅で特急の到着を待ってとかで列車の遅れは長引いて、九時過ぎに我孫子の家に着いた。


木島平村ヘ

先週末、以前石岡の実家に連れて行って貰った友人の車で、長野県の木島平村に連れていってもらった。
新しく買ったフォルクスワーゲンの馴らし運転も兼ねて、とか。
金曜の夜我孫子を出て、高速を飛ばし深夜一時頃、行く先のペンションに着くという強行軍。
翌日、一人 目の前(泊まったペンション「シュトラーゼ」はスキー場が目の前なので)の木島平スキー場を登る。時々眼下の飯山の町千曲川(信濃川)を振り返りながら。
夏の木島平スキー場
夕方、少し離れた馬曲温泉 望郷の湯(まぐせ)ヘ。
馬曲温泉 望郷の湯(まぐせ)
馬曲温泉 望郷の湯(まぐせ) 男湯の露天風呂
夜はその宿の三十周年記念パーティとかで、友人のスキー部時代の仲間とその家族と共に、飲む。
翌日は皆で畑に人参や白菜等を採りに。
ペンション シュトラーゼ のパーティに集まった人達と畑ヘ
そして夜帰る、野菜をたくさん貰って。


祭り最終日

今日は十時過ぎ、友人の母校「市立石岡小学校」の脇の「石岡市民俗資料館」へ。
発掘したら出て来た、前の発掘の時に食べて遺跡に埋めちゃったうっかりさんのアイスの袋。
石岡市民俗資料館に展示されている発掘されたアイスの袋
御仮屋(おかりや)という、祭の間神様を移して置く小さな神社から、神様を再び神輿に移して元の常陸國總社宮に帰らせる。
後から各町内の獅子も続く。
御仮屋の前で舞う獅子
總社宮に神様が無事戻り、木陰でとりあえずホッと。
常陸國總社宮に神様を戻して一息の町の人


石岡の祭り

昨日、石岡駅へ行き、鹿島鉄道の駅・車両基地跡を好撮影地だった駅にかかる跨線橋の上から。
石岡駅 鹿島鉄道の駅・車両基地跡
石岡と言えば看板建築と言う、通り側の面だけ昭和初期の流行の洋風にして、建物は純和風という奇妙な商店建築が多い所としても有名。
参考 NHK教育「美の壺 なつかしの商店建築」
昭和4年に大火があったらしく、国の有形文化財に指定されている看板建築は大抵昭和5年築、この「すがや化粧品店」もその時の建物。
前を祭の獅子が通る。
看板建築の前を練り歩く石岡のおまつりの獅子
祭は夜まで続く、角を曲がる山車。
石岡のおまつり


へちまその後


もう夏も終わりかけ、朝夕は涼しくなってきたが。
五月に庭に植えたヘチマが大きくなって繁茂し、付けた実が台風の風に揺られるのを見ながら「随分重いだろうに」等と部屋の中から眺めながら思っていたら、いつの間にかカラカラに乾いていた。
葉っぱの方は相変わらず上へ上へ、或いは葦簀の向こうにさえまだ伸びようと思っている様だが。


七輪用語の基礎知識

七輪の炭を入れる所の下に空間を作る為の炭の下に敷く台
仕事も一段落し、今夜は久々に鴨の皮でも焼くかと思いそれは買い込んだが、
七輪の炭を入れる所の下に空間を作る為の炭の下に敷く台が崩壊していたのを思い出し、旧街道沿いの金物屋へ。
説明したのだがそんな微妙な物が分かって貰える訳も無く、娘さんには「五徳?」と言われるが、それじゃない事は分かっているんだが…
奥から出てきたお婆さんは僕の言うことを理解してくれて出してきたのがまさしくそれ。次買わなければいけなくなった時の為に名前を訊いておく、「目皿(めざら)」と言うんだそうだ。


演歌のコンサートへ


演歌番組の公開生中継に行ってきた。関係者が知り合いでも無ければ一生或いは数十年は関わる事が無いであろうという世界へ。
夜八時開演、昼間浦和に行っていて、埼京線の渋谷で降りるも「ここはどこ?」という、ハチ公も109ヒカリエプラネタリウム(それは無い)も無い渋谷の裏の様な所に降ろされる。
埼京線が渋谷まで伸びてからもう随分経つ筈だし、度々同じ目に遭っている筈なのだが、懲りていないのだろう。
自力でたどり着く事は諦めタクシーでNHKホールへ。運転手は普段品川を流しているそうで、ホールどころか、警備員に会釈していつの間にか社員の通用口の様な所に来てしまう。
学生時分NHK浦和放送局でバイトしていた時、撮影したばかりのニュース映像のテープを届けに来た所だ。
少し歩いてホールの玄関へ、随分の人が並んでいる。当たり前だが年齢層が高い。
入ってくじ引きの結果らしい指定席の券を貰って見ると、三階席の真ん中辺り。楽しみにしていた訳でも無いのにちょっと悔しい。
ロビーは開演前に腹を満たしてしまおうという老人達で一杯。椅子は一杯で腰掛ける事のできなかった人は床に座り込んで壁にもたれかかり食事中。
この世代が日本を駄目にしたのか、復興を成し遂げたのか。
開演し歌が始まるが、三階席では歌手は豆粒ほどにしか見えず、舞台上に設置されたスクリーンに写し出される映像を見る外無い。クラシックコンサートと違い、聴こえる声はマイクを通した音なのだから、本当に楽しみたかったら、家でテレビを見ていた方が良いだろう。
ただテレビに映らない所(舞台上の移動とか)での大物演歌歌手が、意外と横柄で無いのを見られたのは面白かった。
どこで腹を満たそうか考えつつ、駅まで歩く。