元米国防長官の告白


毎日家に籠もっているのがそろそろ耐えられなくなって(これを日本語で「現実逃避」と云う。)、六本木ヒルズに(また例によって「Tシャツ+短パン+サンダル」スタイルで)映画「フォッグ・オブ・ウォー(マクナマラ元米国防長官の告白)」を観に行く。
「ヴァージンシネマ六本木ヒルズ」。今流行りの、「シネマコンプレックス」という奴は、野球場みたいな転がり落ちそうな急傾斜を自分の席目指して手すりのない階段(最早、「通路」と云える代物ではナイ。)を登ったり降りたりしなくてはならなくて、座ったが最後トイレにも行けず、はっきり云って嫌いなのだが、マニアックな映画はこういう所でしかやっていなくて仕方無いのだ。
「オヤジの顔を二時間も眺め続ける映画かよ…」と思っていたが、なかなか面白かった。確かにそれには違いないのだが、ベトナム戦争を指揮する当事者としての苦悩が現れている。
一市民は、安易に、そして無責任に「平和!」「平和!」と叫んでいれば良いかもしれないが、「敵を百万人殺さなければ、自国民が二百万人殺されるかもしれない。」という時に、指令官はどういう決断を下すのだろう。
それが、"the fog of war"。
というと、(この映画を観た方ならば)「広島、長崎の原爆投下が正当化されるのか?」という事になるだろうが、それは違う。「既に勝敗が殆ど定まっていたのに、それを決定したのは、自分も含めて『人道上の犯罪』だ」と彼も云っている。
私は、安易に「平和主義者」等と云う人を信じない。そういう人は、「自分が命を捨てれば、平和は守れるかもしれない。」という時に喜んで命を捨てて頂きたい。そういう時に一命を賭さない自称「平和主義者」の事を、「僥倖(ぎょうこう、只ボーっと口を開けて『良いことがあるといーなー』と思っていること。増田辞書。)」と云うのだ。
(あ、私はノラリクラリと生き延びる予定です。「平和主義者」じゃ無いからね〜)
現代日本で(というか世界共通だろうけれども)映画に求められている物といえば、「お腹イッパイ」なのです。高い金払って映画館に行く以上、「ハラハラ」「ドキドキ」「怖い」「感動」「大迫力」…等々 を味あわせてくれなければ意味がない。観客は残念な事に、会席料理ではなくて、オムライスを求めているのだ。
例に出して悪いけれども、それで「下妻物語」はヒットしなかった。「面白い」。「面白い」とは思う物の、CM的で、全てが軽かった。多少金のかかったテレビドラマ程度だった。
だからこの映画も「静かな波」で終わっていくでしょう。(大勢の)観客は、内容如何ではなく、映画館を出た時の「映画を観た〜(明日からガンバロー)」という充実感、「お腹イッパイ」を求めているのだから。
時間があったので、一つ前の「青山一丁目」の駅から歩く。喫茶店の人に「六本木、どっち?」と訊くまでもなかった。象徴的な塔目指していけば良いのでした。


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