七代目円生

ほぼ毎月日暮里でやっている、三遊亭鳳楽独演会に今日も行ってきた。
前から「円生の名を継ぐのはこの人だ」と思っていたけれど、先日朝日新聞の夕刊で師匠の円楽が「円生は鳳楽に、円楽は楽太郎に継がせようと思う。」という事をインタビューで語っていて、
そういう話は前からあったのは知っていたけれども、他の場所で円丈(圓丈)が「落語協会に残っている円生(圓生)の弟子は(破門された川柳と柳枝門下から移った円窓{圓窓}を除き)俺だけだもんな。」と言っていて、どうなるのかと思っていたけれど、
今日は会のプログラムに、その朝日新聞の記事の事も出ていて、「いよいよです」というような事も書かれていて、一緒に配られたイベントのチラシの鳳楽のプロフィールにも「七代目円生を近日襲名予定」と書いてあり、また中入り前の高座でも鳳楽自身、円生襲名の話に触れ「色々あったのもどうやら落ち着いて…」と落語協会分裂騒動からの軋轢の解決なんかもにおわせつつ、次の中入り後のトリで出囃子は正札附を使ってきて、「お…」と思わせ、もう八割方決まりなのだと思って嬉しくなった。
噺は相変わらず、ゆっくりとした時間の中で流れる。「愛宕山」は鳳楽にしては笑いの多い噺だったけれども、山の上に上がった描写は、見事だった。(当然それまでのヒーヒー言う登山の描写があっての事なのだが)
マクラの「自身が七代目円生を襲名する予定」という話の中で、「志ん生も固まったようですし…」って、誰なのかな?志ん輔だったら良いな。(真打ち披露興行に行った菊之丞も良いけど、彼なら今後期待できるし。)
落語の名跡は、偉大な先代(名を継いで歳を取った結果の)と比べてどうのという事ではなく、どんどんその名前をリレーのバトンの様に渡して行った方が良いと思う。
今は、録音ができる様になった時期と重なって、「昭和の名人」という様な事が言われているが、名跡を手の届かない所に祭り上げてそのまま葬ってしまおうとするのは如何なものかと思う。
例え六代目は七代目小さん(花緑)への繋ぎだと言われても…


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