撮影と日芸の学園祭に行った疲れで、このままぶっ倒れて寝てしまおうと思っていたら、「コニカミノルタが写真関連事業から撤退」のニュースが飛び込んできた。
写真関係から撤退したら、コニカミノルタプラザはどうなるのだろう?その目的は、「写真文化の向上」と「自社製品の啓蒙」みたいな筈だったから、写真関連事業から撤退したら、その必要も無くなるわけで、そうすると閉鎖という流れが考えられるわけだし、もう何年も続いている「プレミオ -新しい写真家登場」という、有能な若手に場所もお金も出しましょう、というのも無くなってしまうわけだろうか?
コニカミノルタプラザは、新宿の駅前(高野のビルの四階)という好立地で、雰囲気も良かったから、自然レベルの高い作品が集まった良い場所だったのだが…
メーカー系ギャラリーが消えるという事は、写真作品を発表しようとした場合、場所を借りるのにお金を払わなければならず、お金のない若手の人間にとって、大きな障壁となる。
けれども「株式会社」である以上、「お金にならない事業からは手を引く」のは当たり前であり、昨今とみにそれが強くなっていて、なんとも納得がいかないのだ。
「文化」をお金になる・ならないで切り捨ててしまって良いのだろうか?
今回は久々にアツくなってしまった…
夜九時現在、「完全撤退」を報じていた「アサヒ・コム(朝日新聞のニュースサイト)」も、「大幅縮小」という抑えた表現になっている。推測を交えた記事だったのだろうが、そうなる事も十分考えられるし、そう(完全撤退)なれば(ならなくても)、プラザの閉鎖という事も十分あり得る。
冷静な分析(というかあちらの云う事をそのまま並べているだけ?)はITメディアの記事が参考になる。
「(速報)コニカミノルタ、写真事業を大幅縮小(2005/11/04 18:04 更新)」
カテゴリー: 写真
赤ちゃんを撮る
秋山亮二写真展「なら」
新宿のコニカミノルタプラザにて、『秋山亮二写真展「なら」』(9月12日 {最終日は3:00pmまで}まで)を観た。
はじめにお断りしておくとこのお方は私の写真の師匠だ。
だからと云って色を付けて云うわけではなく、本当に良かった。実際昨年の写真展 『「日々のまつり」〜世田谷で〜』はよく分からなかったし。
写真の一枚一枚では無く、全体として、この町に流れるゆったりとした時間が写っている。手慣れた感じのスナップは、安心感があって心地よい。
現像液こぼしちゃったんですけど
こんな変な(自分の興味の赴くままの)サイトをやっていると、色々な「お問い合わせ」メールが来るのだが、今日変なのが来た。これまでこんな類のは無かった(と思う)し、この人が「珍しいから書いとけ」みたいな事を云うので、後々の参考のために、事の顛末を記述する。
昨日、「こどもが現像の実験をしていて、薬品をこぼして床に茶色い染みができちゃいましたけど、どうやったら取れるんでしょう?」というメールが来た。
茶色というのは、おそらく現像液が酸化した色であろう事は想像が付くけれども、取り敢えず現像液の染みの怖さ(その時は無色透明な液体なのだけど、乾いて引っ付くと酸化して茶色くなり、手に負えない。)を知っている私としては、「あきらめる」以外の解決方法?を知らないので、いつもの日芸のM先生にメールで訊いてみた。
そうしたらとても丁寧な回答を頂いたのだが、私には殆ど意味不明、というか自分の興味の無い事は頭を素通りしてしまうので、ここに転載させて頂く。
———-(以下メールより転載)———-
現像液ならすぐに停止液(お酢)で拭いて、中和させることですかね。
でも、茶色にしみになってしまっていたら、落ちないかもしれません。
そのときは、漂白剤(家庭で台所用品に使うもの)でも試されたらいかが。
それでも落ちなければ、本格的に汚れた現像バットなどに使う清浄液で、
やるよりしょうがないですね。
コダックTC-3
A液
1. 水 1000ml
2. 過マンガン酸カリ 2g
3. 濃硫酸 4ml
B液
1. 水 1000ml
2. 亜硫酸水素ナトリウム 30g
3.無水亜硫酸ナトリウム 30g
まず、A液で処理し(拭いて)水でよくすすいで、次にB液で処理する。
A液を作るとき水に過マンガン酸カリを溶かしてから、濃硫酸を注入すること、逆にすると危険です。
もっと強力なのが、
コダックTC-1もあります。
———-(転載終わり)———-
ハイ、分かりましたか?私はチンプンカンプンです。
ちなみにこれを試されて、何か起きても(強すぎて床が溶けちゃったとか)私は責任を負いませんのでよろしく。
ちなみに現像液は体によろしくありませんが、停止液と定着液は殆ど体に害はありません。「ツーン」と来るぐらいで。
現像液が危険とは云っても、カラー現像に使われる薬品に比べれば、大したことはありません(筈です)。
現像液と定着液を混ぜるとガスが発生して、確か危険です。
という訳で、夏休み、私には最早過去の話ですが、こういう事もあるかもしれませんが、色々やってみて(やらせてみて)くださいね。
DNG Converter メモ
Nikon D2xを買ったので、少々知ってるっぽい事を。
D2xは、他のNikonのデジタル一眼(現在発売されている)と違って、RAWデータの.NEF書類がPhotoShopCSでは認識できない。最新の CS2 では可能なのだが、そんな(バージョンアップの)金は無し。
別売りのNikonCaptureも買ったけど、これが恐ろしく重い。
そこで今まで通り、CS側でRAW現像できないか。それができる。裏技とかそういうのでは無く、正々堂々と。
Adobeが無料で配布(素晴らしい)しているソフト、DNG Converterを使う。これは、各社独自のRAW形式を、CSの読み込める、Adobeの策定した各社共通のRAW形式に変換してくれるアプリケーション。読み込んで自動的に変換された.dngファイルを、PhotoShopのファイルブラウザで見ると、CSによってRAW現像できるようになる。
と、自分で発見した方法みたいな事を云いつつ、ここに書いた事は全て友人の古関さんにメッセンジャーで教わった事なのです。どうも済みません。
悪夢の続き
内容は覚えていないのだがとても悪い夢で、自分が危機的状況に陥っていたのだがそこで目覚ましが鳴って目が覚めてしまった。続きが見たくてまた寝ようと思ったが、駄目だった。
最近、絵や写真を観ていない訳では無いのだが、感想を文章にするのが面倒で、特には書かない事にしていた。
と、前置きをしつつ東京ステーションギャラリーに『異形の幻想力 小山田二郎展』を観に行った。(7月3日まで)
小山田二郎は、1914年に生まれ、1971年から1991年に亡くなるまで、家族を捨てて失踪。画廊に作品を送る、という連絡方法のみをとり、社会と隔絶された生き方をした画家。
良い。特に水彩画が。油絵も水彩画もあったのだが、とかく油絵の付属品として、大抵日陰の存在としか扱われない水彩画だが、にじんだ絵の具のせめぎあいが、複雑な色や偶然の模様を作り出していて、とても深い世界を作り出している。
アンソールの時も思ったのだけど、図録の見本をつらつら眺めるに、どうしてああいう複雑な色が、こんな軽薄な、絵の具入れを覗きこんだような色になってしまうんだろう。
昨日、お友達の古関さんのブログに「良い!おすすめ!」と書いてあったので、最終日は三時に閉まる前に、新宿のコニカミノルタプラザに行った。
『フォト・プレミオ 田原理江写真展「ほしのすな」』良かったです。
煉瓦の駅舎の中の館内。「『展示室内では』写真撮影はおやめください」とだけ、書いてある。休憩室でデジカメいじっただけで係員が飛んでくるどっかの美術館とは大違い。
規範としての「良い写真」
代官山にて仕事の打ち合わせがあり、川崎市市民ミュージアムにて「時代を切り開くまなざし -木村伊兵衛写真賞の30年-」を観た。(6月19日まで)
もっと早く行こうと思っていたのだが、我孫子と川崎は遠く離れていて。
武蔵小杉の駅(東急・JR南武線)から、ミュージアム行きのバスに乗る。一万円札しか無かったので、バスに待ってもらって、銀行にお金をおろしに行く。
取りあえず、規範としての「良い写真」を知るという意味では観ておいた方が良い(日曜日までだけど)。
何か皮肉な云い方をしたけれども、良いのは確かです。当時日本の一番の、写真表現を系譜立てて提示されるのは、圧巻。
こうやって並べられると、九十年代以降の受賞者にしか、共感を覚えない。それ以前の方々についても、凄いですよ。けど「まぁ、気持ちは分かるんだけどね。」なのです。
無論?初の女性三人同時受賞だとか、在庫一掃だとか云われた2000年度の三人は除きますが。
打ち合わせ後、(薄暗くて音楽がかかっている私には縁のない所)代官山のバーにて。
雨の中(ライフ・アクアティック)
映画「ライフ・アクアティック」を観た。ドキドキワクワクの、海洋冒険活劇。
青山スパイラルガーデンにて、齋藤亮一写真展「桃源郷フンザへ」(12日まで)を観る。
階段に掛けられた大きな写真がドカドカと。
銀座・秀友画廊にて「小さな写真のメトロノーム〜齋藤亮一の旅のゆくえ〜」(18日 まで)を観る。
雨の中、小さなビルの六階は辿り着くのに骨が折れたけど、写真をゆっくり鑑賞するのにはこちらの方が余程良い環境。これまでの写真から数点をポツポツと。
画廊なので、一枚何万円かで売っているけれども、あらかじめ「私買いませんから」と宣言。その画廊の女性と色々話し込む、「写真は総じて(日本では)売れない」だとか「それでも齋藤さんの作品は好きな人が居る」とか。ファンは僕だけじゃ無かったか…
雨の一日。このまま梅雨に突入しちゃうのかな。
ブクブクブク…
京橋(銀座)の「ツァイト・フォトサロン」にて、楢橋朝子作品展「half awake and half asleep in the water 04/05」を観る。(本日まで)
題名の「half awake and half asleep」。直訳すると「半分起きて、半分眠って。」。とどのつまりは「寝ぼけ眼」。写真は全て、画面上が(かろうじて)水の上、下が水の中。起き抜けにいきなり水の中に居たら怖いな〜。という話。
この人の写真は、何か体の奥底の感覚を呼び覚ますような感じが面白い。黒板を爪で「キーッ」みたいな(違うか)。
「トークショー」を聴きに
昨年六月に開業したばかりという、銀座の写真ギャラリー「puntum(プンクトゥム)」に『「フォー・ディレクションズ #2」恵上美保(えがみみほ)・大社優子(おおこそゆうこ)・小高美穂(おだかみほ)・的場ゆう子(まとばゆうこ)』を観に行く。
四人の新進写真家の、いわばグループ展。この四人の「新進写真家」が、どんな話をするのだろうと、トークショーなるものも聴きに行く。
四人の内、的場ゆう子さんは、昨年コニカミノルタプラザで観て(木肌の写真の人です)、興味を持って。
けれども昨年のコニカミノルタプラザの写真展から四点のみ抜粋して、題名を変えた(「大地展景」)のみ。少々残念。観る側の想像を制限するような題名はどうかと。けど次の作品の構想なども聴けて面白かった。
大社優子さんは、会場内で観る事の出来た過去の作品は、随分きちんと撮れていた印象があるのに、今回のは「どうでも良い」感じ。
小高美穂さんは、演出された覗き写真とは云え、もうちょっと「覗きのドキドキ」があると面白かったなあ。何か腰の引けてる感じ。
恵上美保さん、目に映った物をただ撮って、女性だから「ハイ、作品。」という時代はもう過ぎたのでは無いかと。
「トークショー」とは、編集者後藤繁雄氏が、口の重い四人相手に質問をして、話を聞き出すという物。トンチンカンな応えをする人相手に、質問する方も、やや誘導尋問気味かも、なんて。結局、的場ゆう子さんが考えがしっかりしていて、話が面白かった。何も考えずにただシャッターを押すのが「カッコイイ」という時代は終わったって。
しかしこのギャラリー、好き。権威も何もないけれど、若い作家を応援しようという小さな力。「トークショー」も、小さなギャラリーにパイプ椅子を並べて(今日は盛況で、廊下にも立ち見の人が溢れていたけど。)、大学(日芸だけか)の授業を思い出す。
近所の公園では、「地場産業祭り」みたいなのをやっていて、植木や野菜に混じって、なぜか羊や山羊(やぎ)がいた。紙を食わせてみようと思ったら、「紙を上げないでください」の張り紙。先を越されたか。