トレボンの事

江古田「トレボン」
母校日芸の江古田校舎に写真展の案内葉書を置きに行った帰り、学生時分よく日芸の先生と(今は亡き横須賀功光先生とも)行っていた学校近くの喫茶店、トレボンに久々に行った。
ビル毎コンクリート打ちっ放しの建物に改築されて一階にセブンイレブンが入っていたから「もしや」とか「やはり」とか思ったけど健在で、中の造作や雰囲気は殆ど昔のままで、安心した。
紅茶と、昔と変わらぬシュワシュワとした食感のレアチーズケーキを頂き、出ようと「昔よく来た」なんて話をすると、ヒゲのマスターは何とも光栄な事に十数年前の事を覚えていてくれて、嬉しくてお金を払うのを忘れて店を出て、踏み切りを渡ってから気が付いた。
長く続く店というのは凄い物だ。
今回はiPhoneのパノラマ写真を撮る機能を使って撮って横長なので、クリックすると大きな画像が見られる様になっています。


写真展をします

増田新写真展「房総」
10月に、数年ぶりに(その前も数年ぶりだったけど)写真展をします。場所はまた、新宿のコニカミノルタプラザです。
題名は「房総」。ここ数年、南房総の富浦から館山、千倉、鴨川などに行って撮った写真です。
また会期が近づきましたらお知らせしますので、宜しくお願いします。


隅田川花火大会へ

隅田川花火大会で人で埋め尽くされた水戸街道(国道六号線)とスカイツリー
一昨日の土曜日、京都と福岡の親戚が東京に出てきて、スカイツリーに行きたい等と曰うので、三人を連れて行ってきた。
けれども一昨日は隅田川花火大会がある日で、既にその頃四時を回っていて、上がる事はできなかった。
せめて外から塔を眺めて帰ろうと向島の方に出たら、強烈な日差しの下、花火を見ようと水戸街道の縁石に(道路が封鎖されたら出て行こうとビニールシートを持って)座り込む人々。
おばさんが「せっかく来たんだから、有名な隅田川の花火を見て行こう。」と言い出し、「俺は興味無いから宿に帰るわ」と言って去ったおじさん一人を見送って、言問団子で少々時間を潰し、その後は「鳩の街通り商店街」の洋風居酒屋にて数杯引っ掛けている内に七時になって、外からドンパン聞こえてきた。
外に出ると、水戸街道は通行止めでアスファルトの観客席となり、小さな路地も建物の間から見える所は人が立って空を見上げていて、通れない程だった。
面白い事に、水戸街道の座って見られる所は立錐の余地もないのに、ビルの陰になる所はそこだけ誰も座っていない。おそらく空から道路を見たら、ビルの陰になる所だけ地面が現れて黒くて、隅田川の方から陽が当たっている時の様な模様になっていたに違いない。
ところが周知の様に、開始数十分ぐらいでポタポタと降り始め、すぐにザーッと言う激しい雷雨になった。道路に広がっていた人が一斉に雨宿り出来る所を目指したので、街道沿いの家の軒下は押すな押すなのラッシュ状態、けれどもせっかく取った場所なので、敷いてあったビニールシートを被って雨をしのぎ、その場所を死守する人も居た。
隅田川花火大会の途中で降り始めた雷雨にビニールシートをかぶって雨を凌ぐ人
雨は収まらず、その後すぐに「花火大会は中止です」の放送が流れた。花火大会が中止になると言うことは水戸街道の通行止めを解いて車を通すという事なので、車道を歩く人を歩道に上げねばならず、警察官は間断なく怒鳴っていた。
親戚二人の宿はお台場のゆりかもめの駅前だったので、本所吾妻橋駅まで歩いて、そこから都営浅草線で新橋まで行って貰おうと思ったけれども駅構内は案の定、凄い人だった。
本所の辺りからそれほど近い訳では無いけれど上に乗っかるモノが大きいので近く見える業平橋(とうきょうスカイツリー)の駅に向かう人が多かったけれども、あそこは相当大勢の人が押しかけていた訳で、エスカレーターも多いけれどもよく事故が起こらなかったものだ。
けれどもやはり花火大会はテレビでは無く、溢れかえる群衆の中で腹の底に響く音を聞きながら見るのがやはり良いと、懲りずに思うのだった。


細部まで見せる写真

国立新美術館の休憩室にて
六本木の国立新美術館で「アンドレアス・グルスキー展」を観た。
史上最高額の数億円で売れた写真という事で、どんな物だろうと観てきた。
「数億円」という先入観を捨てて見れば、良い写真だと思うし、Webや印刷物で作品を見て「ふ〜ん」と思い、実物を見るとその大きさと細部に確実に驚かざると得ないので、誰にでも本物の凄さを分かりやすい作品だとも言える。小さなギャラリーでは無く大きな美術館で金を取って見せるのも納得できる写真だった。
その高解像度の巨大写真に込められた(或いは、込めてる事にさせられた。込めてる事にしちゃった。)暗喩までは分からないが、高解像度のデジカメ画像をツギハギして更に高解像度の写真にするというのは、遅かれ早かれ誰かがやっていた事だろう。
数億円で売れたという写真は、その写真に数億円の価値があるという事では無く、その写真を数億円で買っておけば数十年後にはもっと高名な写真家となった作者も亡くなっていて、せめて数億プラス数千万円で売れるだろうという金儲けの為の買い物だろうから、値段を気にして見る事は無いと思うのだけど、投資という意味では、今後この様な高画素の写真は誰でもコンパクトカメラで撮れる見慣れた写真となっていて、その時まだ数億円の価値があり続けるのかなあとは思うのだ。或いは時代の里程標(マイルストーン)という意味で価値が出ているのかも分からないけど。
展示された作品の中には、初期にニューカラーの方向に足を突っ込んでみました的な作品もあって、それをこの巨大で細密な作品と一緒に観るのも面白かった。


柏駅最後の映画館へ

柏松竹が無くなり、神社の横を入ったシネマサンシャインも無くなり、残る柏駅の映画館は髙島屋の一階にあるステーションシアターだけとなり、大きいここは数年間頑張っていたが、つくエクが開業してその沿線に大きな郊外型のシネコン(これとかこれとか)が建ち始めると、常磐線の柏駅で映画を観る人も少なくなり、昨年ついに廃業して、柏駅は一軒も映画館が無い駅になってしまっていた。
今年に入ってそのステーションシアターの後に、雑誌 キネマ旬報 が補助するTKPシアター柏というのができて、「舟を編む」を観に、今日始めてそこに行ってみた。上映スケジュールを見たら、フィルムでなくデジタル上映という事で心配していたのだけど、数年前に松戸や龍ヶ崎の小さい映画館で観たのとは違って、ギザギザもしてないし、顔をずらしても三原色の残像がちらついたりしない、フィルムと全く区別の付かない映像で良かった。
作品自体は、「辞書を作るのって大変なんだなあ」という以外心に残らない、いや決して良くない映画という訳では無いのだろうが、淡白な物だった。「おくりびと」とか「たそがれ清兵衛」を観た時の様な後味。


落研へ

学習院大学落語研究会の若手勉強会
用事があって目白の学習院に行って、学生食堂で昼食を食べて帰ろうかと思ったら、落研(落語研究会)の人達がこれから新入生の若手勉強会をやるからとビラを配っている。
夕方まで用事は無いのでちょうど閑潰しに良いかと誘いに乗ってみる。
寄席に出てくる前座よりも余程下手な部類に入る人達だけれども、一所懸命大きな声で張り切っていた。
大学の落研が落語界の人材供給の場となっている昨今、こういう人達には頑張って欲しいと思う。
そして、僕が在学中から落語の魅力が分かっていたならば、落研に入りたかったなあとも。


東京へ

奈半利に二週間居て、昨日月曜日に帰る事にした。
第三セクターの悲しい所で、奈半利駅では全国のJRの切符を買えない。途中駅の安芸まで行けば買えるとの事だったが、
先週土曜日に、野市(のいち)で喫茶店を始めた、居候先の人の知り合いの建築写真家の、店内での展示を観に行ったついでに、一番近いJRの駅、後免に行って昨日の東京までの切符を買ってきた。
一昨日の日曜の夜は奈半利最後の夜という事で、送別会(実際はその日行われた隣の北川村でのマラソンを手伝った奈半利の人のお疲れさん会だったけど)を開いてくれて、奈半利で知り合った人に会った。
昨日は昼過ぎのバスで、室戸岬を周って少し行った「甲浦(かんのうら)」駅まで行く。
徳島からの牟岐線は「海部(かいふ)」で終わっていて、そこからは阿佐海岸鉄道という第三セクターが甲浦まで伸びている。
随分前の「阿佐線」計画では、室戸岬の西の高知側から伸びた「ごめん・なはり線」が奈半利を通って、阿佐海岸鉄道が徳島側から甲浦を通って室戸岬を目指し出会って繋がる予定だったが、この区間は開業せず、バスが鉄道の未成区間を繋いでいる。
室戸岬の岸壁を周る道はくねくね、そして昼見たテレビによれば、今日四国は梅雨入りしたそうで、時折フロントガラスに通り雨だか水しぶきだかわからない物がかかる。
梅雨に入った室戸岬を周る奈半利から甲浦に行くバス
甲浦駅は、静かな無人の終着駅。待っていた単行のディーゼルカーに乗ると、乗客は僕しか居ないまま走り出す。
甲浦を走り出した阿佐海岸鉄道の車内
山の中をトンネルで縫って行く。周りを見る限り、沿線人口は少なく、乗客も唯一の途中駅宍喰で乗ってきた西欧人カップルのみ。ごめん・なはり線とは随分な違いだ。
続く山をトンネルで抜けていく阿佐海岸鉄道
阿佐海岸鉄道は甲浦-宍喰-海部で終わり。海部ではJR牟岐線の徳島行きの同じく単行列車が待っていた。
海部で阿佐海岸鉄道の列車ASA-101を待っていた牟岐線徳島行きのキハ1500単行列車
牟岐線は路線図を見ると海岸に沿って走っていて、さも風光明媚の様に見えるが、実際は全くと言って良い程海は見えず、田んぼと畑と小さな山の、退屈な景色が続く。
徳島に着くと途中下車して、徳島ラーメンを食う。今流行りのドロドロスープでは無くて胃に優しい感じ。
徳島発高松行きは七時半。奈半利ではアマガエルの大合唱が凄い頃だが、徳島駅前ではそんな声はしない。
徳島から高松までも(期待が無いので良いけれど)牟岐線と同じ様な景色が続く。
高松駅の改札前にあるソファーの辺りは無線LANのホットスポットになっていて、パソコンを広げ久々にインターネットに繋ぐ。
同じ様にソファーに座っていたスーツ姿のサラリーマン達が消えたと思ったら、もう21:28発の東京行き寝台特急サンライズ瀬戸は入線していた。


奈半利に戻る

日曜日の夜松山に着いたばかりだけれども今回は松山での用事は無いので、友人に一月に買わせたiPhoneの様子など見て、昨日火曜日の朝松山を出て奈半利に戻って来た。
松山から高松行きと岡山行きを併結した特急に乗る。
瀬戸内の小島を眺めようと、そちらの窓際に陣取ったが、晴れては居る物の風が無くて、春霞みの中で島はほとんど見えず。

瀬戸大橋を渡って本州に行く「しおかぜ」と、そのまま真っ直ぐ高松に行く「いしづち」に別れる少し前の、
金毘羅さんを通って高知に行く土讃線が別れる多度津で乗り換える、ここからは来た時と一緒。
来る時は東京からの寝台列車が高松に行くつもりで、瀬戸大橋を渡って四国に入った後、高松向きに曲がってしまっていたので、高知行きの特急が高松から来た「しまんと」だったが、今回は岡山から来た「南風」というだけ。
遠くの景色はもやに煙っているけれども、眼下の流れと奇岩は生き生きとしている。

高知の少し手前、奈半利に行く列車の出る後免で降り、用事ができたのでパソコンで無線LANを使うべく、後免駅から歩いてマクドナルドへ向かう。
用事を済ませ後免駅に戻る途中、高知から来る路面電車の終点「後免町」の一つ手前後免東町」から一区間だけ路面電車に乗る。
「後免東町」の電停は、上り高知方面しか、一段高いホームが無く行灯も無いので、戸惑ってしまう。

後免町駅から奈半利行きの列車に乗ると、車内は下校ラッシュで凄い混雑。ごめん・なはり線ができて、奈半利の子も高知の学校に下宿せずに通う事ができる様になったそうだ。
奈半利の居候先に戻ったら、夕食の後に奥さんが買っておいたというケーキが出てきた。そう言えば今日は誕生日。


宇和島観光

考えてみたら宇和島には何回か来ていることはあるけれども、前日の晩飲んだほづみ亭に行くぐらいで、宇和島を観光したことは無かった。時刻表を見ると3時過ぎに宇和島を出れば、鈍行でも七時前には松山に着くことが分かったので、昨日は宿に荷物を置いて宇和島を観光することにした。
観光と言っても(名物の闘牛が行われている時以外は)宇和島は何も無い所なので、段々強くなる雨を避けてアーケードの中の喫茶店に入り取り敢えず朝の腹ごしらえをすることにする。
喫茶店の中に居たおじいさんが「昨日はどうも」と言うので何かと思ったら、ほづみ亭のおやじだった。
数年前にほづみ亭に来た時に会ってカウンター越しに色々話をしていたら、帰るときに湯飲みをくれた、今でも家で使っている。
昨日行った時は店には居なくて、他の人に聞いたら、もう店には出ていないけれども親戚の法事で今出掛けているから帰ってきたら挨拶をするとの事になり、話をしたのだった。
アーケードの中を通って(本来なら裏路地を通りたいのだけれども雨が強くなっていたので)、宇和島城に入る。
宇和島城は江戸初期の城(天守閣は江戸時代の物が残っている)なので、殿様の威光を見せつけると言うよりも実際の戦闘の事を考えて作られていて、面白い。
遠くから天守を見ると普通の四方を向いている城なので近づいてみると堀は五角形に作られていて、一辺攻める側に死角ができてそこから城を守る側が突破できる様になっている。
守ることを考えた城独特の、段の高さや幅の違う登りにくくて左右に折れ曲がる石段を登ると、台地になっている所に天守閣が建っている、そしてここに入る石段もまた折れている。

天守の中に入って急で上の階の天井が頭につかえるはしごの様な階段を上り、窓から前の台地を見る。続く石段を登ってきて疲れた敵の兵士は、この台地で格好の標的になっただろう。

宇和島を海沿いを通る長浜経由の列車に乗り、三時過ぎに出る。下灘等を通って瀬戸内の小島が見える筈なのだが、全く見えない。

七時前に松山に着き、友人と道後温泉へ。