細部まで見せる写真

国立新美術館の休憩室にて
六本木の国立新美術館で「アンドレアス・グルスキー展」を観た。
史上最高額の数億円で売れた写真という事で、どんな物だろうと観てきた。
「数億円」という先入観を捨てて見れば、良い写真だと思うし、Webや印刷物で作品を見て「ふ〜ん」と思い、実物を見るとその大きさと細部に確実に驚かざると得ないので、誰にでも本物の凄さを分かりやすい作品だとも言える。小さなギャラリーでは無く大きな美術館で金を取って見せるのも納得できる写真だった。
その高解像度の巨大写真に込められた(或いは、込めてる事にさせられた。込めてる事にしちゃった。)暗喩までは分からないが、高解像度のデジカメ画像をツギハギして更に高解像度の写真にするというのは、遅かれ早かれ誰かがやっていた事だろう。
数億円で売れたという写真は、その写真に数億円の価値があるという事では無く、その写真を数億円で買っておけば数十年後にはもっと高名な写真家となった作者も亡くなっていて、せめて数億プラス数千万円で売れるだろうという金儲けの為の買い物だろうから、値段を気にして見る事は無いと思うのだけど、投資という意味では、今後この様な高画素の写真は誰でもコンパクトカメラで撮れる見慣れた写真となっていて、その時まだ数億円の価値があり続けるのかなあとは思うのだ。或いは時代の里程標(マイルストーン)という意味で価値が出ているのかも分からないけど。
展示された作品の中には、初期にニューカラーの方向に足を突っ込んでみました的な作品もあって、それをこの巨大で細密な作品と一緒に観るのも面白かった。


東京都写真美術館のカフェが変わっていた


実家を昼頃出て、一日美術館巡りをしようと思ったら、西荻の駅に向かうバスの中で中学校の近所の写真店の店主と会い、昼飯を御馳走して貰った、昼飯代が浮く。
六本木の国立新美術館へ、「大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年」本物の絵を見て学ぶ贅沢な美術史。
東京都写真美術館へ。まず毎年衝撃的な地下一階の「世界報道写真展2012」へ。カダフィの死体だとか、胸をはだけて飛び降り自殺しようとする花嫁とか、テレビや新聞では見る事のできない事件の衝撃的な部分を。
三階の「光の造形~操作された写真~ 平成24年度東京都写真美術館コレクション展」写真の歴史のお勉強。
二階の「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」90年代から2000年代始めに持ち上げられた女性写真家の内、残っているのはこの人と(迷走気味の)蜷川実花だけか。
写真を知っている人に言わせると、「ただポカンと空を写しただけ」とか、とかく評判の悪いこの人だけれども、僕はわりと好き。
自分の写真は場の空気をもってのみ生きてくる、のを知っているのは狡猾。内面的な所で迷走しているのか、見る物の心に何も残さない写真が金になる事を知ったのか、スーッとした写真。
一回の本屋の奥の喫茶店で休憩して帰ろうと思ったら、かなり狭くなって椅子も無人駅の待合室の様な堅い木の無造作な椅子に変わっていた。安くなったけれどもセルフサービスに。どこも高級路線では儲からない時代らしい。
まともな席は全て塞がっていて、椅子を二つくっつけて貰って一つの椅子にケーキとお茶を置いて食べる。何か既視感があると思ったら、弁当を食いそびれて無人駅のベンチで食べる時がこんな体勢だったのだ。


TwitterとFacebookの連携がおかしい

都営八王子霊園
Twitterでの発言をそのままFacebookに投稿する様にしているのだが、それが最近うまく機能しなくなって居た。
と言っても気付いたのは一昨日なのだが、全く反映され無かったり、まとめて反映されたり、でもiPhoneのFacebookアプリでは反映され無かったり。
パソコンのFacebookのページで一旦連携を解除した後、再度連携させる様に設定すると、問題無くパソコンにもiPhoneにもTwitterへの投稿が反映された。
昨日、三鷹市美術ギャラリーにて「谷川晃一展~南の庭のアトリエより~」を観る。ワクワクドキドキという感情を絵にしたらきっとこんな風になるんだろうなという色も形も、楽しい絵。
昨日は婆ちゃんが急に墓参りに行くと言い出し高尾まで行ってきた、そこの墓地。帰りに三鷹に寄った。
追伸: 今日(日曜日)WebSiteに問い合わせくださったのは良いのだけど、「アドバイスください」との内容なのに連絡先の無い方がいらっしゃった。再度「お問い合わせ」から連絡先を追加で書いて送ってください。


嵐の中を

台風接近で電車の止まった上野駅の階段に座り込む人々
(昨日書いた記事だったのだが家に帰り着いたのが深夜十二時過ぎで、疲れて寝てしまったので翌日の今日アップロード)
台風が近づいていて上陸するだろうなんて言われていたけれども大丈夫だろうと、一度決めた計画が計画通り実行されないのが嫌な要は融通の利かない人間なので、テレビや我孫子市のtwitterから「必要のないお出かけは控える様に…」と言われ続けるのも聞かず、東京へ出た。
金町から浅草に行くバスを本所吾妻橋で降り、現代美術館を通る新橋行きのバスに乗り継ぐ。
東京都現代美術館に「フレデリック・バック展」を観に行く。「クラック!」や「木を植えた男」の作者として、日本では比較的名の売れたアニメーション作家だが、アニメーション以外にも多くの仕事をしていて、絵本はもちろん、個人的なスケッチやテレビ局での仕事などこれまで知らなかった面が見える。
アニメーションの原画のセルが背景に重ねて幾つか展示してあって面白い。こんなにも元は透明感のある絵だったのか。こんなにもきれいな状態で数十年前に作られたアニメーションのセルを保存しておくのは、それなりの措置をしての事だろう。
「美術館だって、黒字にならなきゃいけない。」というとんでもない発言をアノ人がしてくれたお陰で、何年前からか、夏休みの企画展は集客力のあるスタジオジブリに任せ、ジブリ立体造形物展だとか、アニメーションの背景画が云々とか、現代美術とは余り関係無いけれどもお金が集まりそうな珍妙な企画が、夏休みに行われていたけれども、今回は「宮崎駿と高畑勲がリスペクトする!」という一応の宣伝文句で人は集めたけれども、展示の内容にジブリは全く関わってこず、「金にならないけれども一部の人達にとって「良い」展示を続けていく訳には行かない」現実的な妥協案としては、良い落とし所を見つけたと思う。
先日の落語会で会場に、実家近所で買って我孫子に持って帰ろうとしていた浄水器を忘れ、それを取りに中野まで行った。
地下鉄で東中野に着いた昼過ぎには、もう途切れる事のない暴風雨になっていて、当初の予定通り歩いて中野までいく事など叶わず、タクシーで往復する事になって、随分高く付いた。
車内では運転士さんに「こんな日は急用の無い限りは出掛けちゃ駄目よ〜」と淡々と説教され、バスで帰るのはやめて常磐線で帰ろうと上野に着くも、常磐線は案の定 都県境の江戸川を吹く風が強いらしくて止まっており、四時頃上野に着いたはずなのに八時を過ぎても発車しない。
一旦九時過ぎに運転を再開する旨の放送があったのだが、三河島辺りで飛んできたビニール傘が架線に引っかかったとかで、やはり運転再開は延期となり、結局電車が動き出したのは十一時だった。
数時間止まった常磐線のホームの階段。


ギャラリー巡り

qwalunca cafe
昨日は都区内フリーパスを買って(実家の西荻窪は丁度東京の西の端なので、都内しか使えないフリーパスはとてもお得)JRで東京を行き来してギャラリー巡りを。
新宿のコニカプラザでは、昨日から
プレミオ 中村美帆「Senegambia Dining」
プレミオ 野口博行「静止する川」
齋藤亮一「佳き日 A Good Day」
中村さんは、通信社を退社してアフリカに行って撮ってきた写真を。アフリカというと内戦とか危ないイメージしか無いけれども、長閑な感じ。
野口さん、河岸の風景を整然と並べると、凸凹、色々な物が見えてきて面白い。
齋藤亮一さんの「佳き日 A Good Day」 紀行写真の様な仕事写真を撮りながら、作品としても同じ様な物を撮っている、僕の理想とする生き方の若き写真家。長閑な景色の中で、晴れの舞台の市井の人々が胸を張っている。
そのまま恵比寿の東京都写真美術館に移動するつもりだったけれども、コニカの入った所にある、他のギャラリーの案内葉書がたくさん貼ってある掲示板を見たら、近くのプレイスMの下で鬼海弘雄さんの写真を展示しているというので新宿御苑の脇まで足を延ばす。
そこは写真集に使った写真のオリジナルプリントが十数枚。
恵比寿へ。
江成常夫「昭和史のかたち」
鬼海弘雄「東京ポートレイト」
鬼海弘雄さんは街と雷門で撮った人のポートレイトを入れ替わり立ち替わり見せていく。
大きな美術館での展示なのに、謙虚にも真ん中の椅子には「感想ノート」が置かれていて、面白い。
今丁度、年に一度有るか無いかという様な濃い内容の写真展が重複している(多分に自分の趣味もあるが)。
今日は実家でゆっくりし、午後から駅の側の「qwalunca cafe」へ。さすがに日曜ともなると人は引きも切らず、平日の様に茶を一杯で一人で大きなテーブルを占領して何時間も新聞を読むというのは多少はばかられる。


混んだ美術館の歩き方


一昨日の月曜日、レンブラントを観に国立西洋美術館に行ってきた。
連休の狭間の平日だから多少はすいているだろうと思いきや、上野は凄い人出で、西洋美術館のチケット売り場にも結構な行列ができていて、切符を買うのに数十分かかった。
無論中も凄い人で、絵の前を順番に通り過ぎていくだけの、とても絵画を鑑賞するとは言えないスタイル。
当時は富裕層の人々が有名画家の版画を購入する事がステータスであったらしく(当然今の様に油絵の複製リトグラフなんて無かったので)、部屋に飾っておくには丁度良いのじゃないかなという白黒の小品が並ぶ、時々油絵。
レンブラントという人の絵は題材も描き方も保守的で過激じゃないから、取り敢えず壁にぶら下げておくには良い版画を量産したのだろう。
こういう混んだ美術展でも大抵の人は入場料分たっぷり取り戻そうと律儀に最初の所から見て行くけれども、当然途中で疲れてしまってじっくり観ている気力はなくなり、全体の七八割の所で大分空いてくる。
人間そうはたくさんの美術作品を数点じっくり鑑賞する様に観られない物なので、取り敢えず会場を早足で一巡して気に入った作品を見つけてから最初に戻り、それらだけを並んで観た方が良い。
美術展の入ってすぐの所などスーパーで言えば青果売り場なのだから、魚や肉のコーナーに行くまでに野菜を買い込んでしまってはいけないのと同じである。


帰郷?


昼前、我孫子へ帰る仕度をまとめて実家を出る、旅の間着ていた服は早く自宅で洗いたい。
東京都写真美術館に寄る。2月7日までの『日本の新進作家展vol.8「出発-6人のアーティストによる旅」』を観て置きたかったのだ。
それぞれの「旅」をした中では、尾仲浩二さんが良かった。
旅をした時、こういうどこでもある様な、けれどもどこからとなく土地の匂いがしてくる様な、そんな景色を見て歩いているんだよ、と思う。
2階展示室の目の前の喫茶店(格好良く言えば「オープンカフェ」?)で昼飯を食う。生ハムとチーズの挟まったパンと紅茶を。
一人で好きな所に行って、好きな店に入り、気ままに過ごすのは何と素晴らしい事か。
常磐線を柏で降りて駅前のビックカメラで酒を買いこむ。720mlの瓶を4本買ったから、旅の荷物と合わせて重いなと思っていたら、丁度柏から我孫子の家までの一日数本しか無いバスが来る時間だったので、それで楽に帰る。
写真は写真美術館から恵比須の駅までの帰り道。(SIGMA DP2 にて撮影)


東京都写真美術館に行って我孫子に帰る。
昨日は良い天気だったけれども、今日は朝から冷たい雨が降る。
●木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし
●セバスチャン・サルガド アフリカ 生きとし生けるものの未来へ
木村伊兵衛とブレッソンは言うに及ばず、サルガドは、今世界最高のフォト・ジャーナリスト(戦争写真家では無い)と言えるだろう。
この陣容であれば、いかに写真の選び方や展示の仕方がどうあれ、外し様のない、見るべき価値のある写真展になってしまうだろう。
ブレッソンと木村伊兵衛の写真をたくさん並べて観たのは始めてだったけれど、こうして見ると似た様な写真だけれども二人の違いが見えてくる。
ブレッソンは如何にも西洋的なというか、画面の絶妙な位置に配されたポイント、それが交互に影響し合い、釣り合いの取れた破綻のない画面を作り出している。
対して木村伊兵衛は、絶妙な位置、絶妙な瞬間からわざと少しずらした様な、一つ間を置いた絶妙の世界を作り出している。被写体との交歓の頂点を外しているから、さもするとどうって事無い写真に見えてしまうのだけど、素晴らしいピークを撮るのなら、それは江戸っ子的に言えば「野暮」という事なのであろう。
ブレッソンの隙のない画面構成に対して、木村伊兵衛の捉える一瞬は、絵に少しの隙があって、そこから少しずつ被写体との間に漂う空気が抜けている様なおもしろさがある。
サルガドの写真展は、やはり凄かった。上の二人で言えば、ブレッソン的なそつのない圧倒的な画面構成で、アフリカの難民達の世界を見せつけてくれる。アフリカの難民キャンプを撮る人は多くいるだろうけれども、これだけ画面全体に充満する迫力で見る者に迫ってくる写真を撮れる人は、今彼しか居ないだろう。


枯れてない展覧会に

北浦和の埼玉県立近代美術館で「都市を創る建築への挑戦」を観た。
名の知れたの建築家による建築を賛美するのではなく、大手設計会社或いは大手ゼネコンの社内設計部によって設計された、ちょっとこだわった未来っぽい大規模物件を紹介する展覧会。
もう死んだ画家の絵や建築家の展覧会と違って、お仕事モード全開の展覧会で、各企業毎のブースに、それぞれのの会社の「作品」の写真が、「○○と××を両立した」だとか「~により断熱を…」なんて誇らしげな文章が添えられて展示されている。そして写真の前には、実際工事で使われたダンパーだとかが置いてあって、ビッグサイトの企業向けショーみたいで、枯れた文化的な場内の展覧会とは違う面白い展覧会だった。


美術展の感想など

最近美術館や映画館に行っても、面倒くさいので余り感想を書いていなかったのだけど、そうすると自分がどこで何を見てどういう感想を抱いたかが分かっておもしろい。数年前はボロクソに言っていたのに、今見るとあれは凄いよ、とか。だからなるべく感想を書くようにする。
朝起きて、洗濯をする。
雨降りの後の気持ちの良い快晴。横から見ると洗濯物から湯気が出ている。
上野の森美術館に行き「没後40年 レオナール・フジタ展」を観る。
確かな、そして学術的なデッサン力によって圧倒的な量感で迫ってくる群像。
浦和のうらわ美術館に行き「氾濫するイメージ―反芸術以後の印刷メディアと美術1960’s-70’s」を観る。
印刷物にぶちまけられた、「一人で誰に認められずともコツコツ」というのとは違う、時代を巻き込んだ世界。
浦和駅からうらわ美術館までの道は、学生時分にバイトしていたNHK浦和放送局までの道と一緒で、バイトを辞めて以来来ていなかったので、とても懐かしかった。