「健常」な障害者の悩み

一昨日の金曜日、久々に会った大学の友人に、月数日働いて事足りている僕の生活について、「障害者だから金がもらえてそういう生活が…」という事を云われた。
正直それだけは云われたくなかったけれども、口に出さずともそういう感情を抱かれているんだろうな、という事は感じてはいた。感じているであろうとも、口に出てもいない物に反論するわけにもいかないので、こういう機会を与えてくれた友人に感謝すべきなのかも知れない。
私は国から障害者の援助はもらっていなければ、親からの援助という物は受けていない。だから私の生活は自分の収入によって支えている。(そういう国家からの補助を得ている方が卑屈になる事は絶対に無い。また一個人(自分でさえ)が「自分にその資格があるのか」問う事も全く意味がないと思う。障害というのは外部から一見して判断できる物ではない。とても他人がちらと一瞥しただけで判断できる物ではない。私だってもらえるのならば欲しい。)
…大体ボーっと座っていて、二級で一種の障害者が、普通の人とさして変わらない生活をできるようになるものでもないのよ。
色々な割引というのはあるけど、それらはせめて許して。
「大変」とか「疲れた」なんて「男が軽々しく口にするもんじゃない」と思っていた(母方の実家は鹿児島、「『男』のやせ我慢」の本場)けれども、私の場合、そういうわけには行かないかもな、と。今回は心底疲れました…
これも障害者の悩み。やりたい事があってもできない「一般的な障害者」にとっては「贅沢な悩み」なのかなあ?
今夜は愚痴っぽい増田新でした。


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