映画「埋もれ木(予告編)」を観た。小栗康平監督の最新作。
とある村の日常、自分たちで物語を紡ぐ少女たち。埋もれた巨大な樹が見つかって。村祭りには駱駝(らくだ)を連れた人が来て、赤い馬の灯籠が上がっていく。
全てが脈絡のない夢の中の様。
このふわふわとした雰囲気が、心地良い。
カテゴリー: 映画の感想
「田中裕子という人」(いつか読書する日)
映画「いつか読書する日」(予告編)を観た。
長崎に住む独身の女性(田中裕子)は、毎朝判で押した様にただ牛乳配達をし、昼間はスーパーでレジ打ち。ただ生まれたこの町には、小学校で密かに恋いこがれた男性が、奥さんと居る。そこにもただ毎朝牛乳を配達する。
前評判通り、主人公の女性を演ずる田中裕子の演技が良い。
何かこの「田中裕子」という女優は出演した映画に出る他の人を食ってしまう人の様で、以前も(私は観ていないが)「火火(ひび)」で、「この映画は田中裕子の演技を観るためだけにある」なんて云われていたし、この映画の評価も田中裕子の演技に関するものばかり。そういう意味では「優れた女性」の「女優」であり、「他を排する」本当の「俳優」なのだろう。
だが、私としては、憧れの男性役の岸部一徳のとつとつとした演技や、その妻の仁科亜希子の存在感は、それほど田中裕子に従する物とも思えない。
仕事の打ち合わせで会った社長の娘さんは、まだ大学生なのに「『へぇ〜』の番組(『トリビアの泉』というらしいが、その人はそう云っていた。)」の「あの○ゲ(「高橋克実」というらしいが、その人はそう云っていた。)がお好きだそうで、サインをもらったり一緒に写真を撮ってもらって喜んでいるそうな。
父親としては苦々しいらしく、ず〜っと「あの○ゲ」を連発していて面白かった。
「ロンドンのおばさんがんばる」(ヴェラ・ドレイク)
先日観られなかった、映画「ヴェラ・ドレイク」を観た。
1950年頃のイギリス。堕胎は法で禁じられていたが、望まない妊娠を余儀なくされた若い女性に、子宮内に石鹸水を入れて流産させる。という原始的且つ危険な方法で、子供をおろす単なる世話好きのおばさんの名前は、ヴェラ・ドレイク。
本当にヴェラ・ドレイク役の人(イメルダ・スタウントン)がうまいと思う。警察が踏み込んで来た時の凍り付いたような顔。でも小心者で尋問にはいつもオドオド。
さすが銀座、昼頃終わってオバサマ方がぞろぞろ出てくると、映画館の前には近所の食堂の店員が待ちかまえていて、「お昼はうちでどうぞ〜」なんて千数百円するランチを勧めてる。私ゃどうせドトールですがね。
北千住の駅では、開業間近のつくばエクスプレス(常磐新線)の改札口に入る所が開かれていた。場所はJRの改札口と東武の改札口の間。
「やるせない話」(リチャード・ニクソン暗殺を企てた男)
映画「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」を観た。(公開中)(予告編)
うだつのあがらない家具店の店員。人を騙す事(と云っても営業トーク)ができなくて、それならば自分で起業しようと銀行に融資を持ちかける。奥さんは子供を連れて出ていき別居中。よりを戻すため”勝手に”子供と触れ合ってみたり、奥さんの勤めるバーに毎夜押し掛けてみたり…
そして、勤めていた家具店を解雇され、融資を断られ、役所からは正式に離婚が成立された旨の書類が来る。
周到とは云えない予行演習をし、足が不自由な人のふりをして金属の装具にピストルを隠し、空港へ向かう。アメリカの王、一部の成功者の代表、ニクソン大統領を暗殺しようと、ホワイトハウスにハイジャックした飛行機を突っ込ませる為に。
搭乗する人の列に並んだ彼は、前の人の金属探知機が鳴ったのに戸惑い列を離れる。しばしの沈黙。次の瞬間、彼は隠し持っていたピストルを抜いて、機内に乗り込み、乗客を人質に取り飛び立つ様に指示。唖然とする副操縦士の頭を打ち抜き、機長にも一発。結局到着した警察官に窓越しに撃たれ負傷した彼は自分の頭を打ち抜いて自殺する。
これだけ。何とも「やるせない」話が展開していくだけ。でも、なんとも「やるせない」。おすすめです。
銀座で発見したとある店舗の前の、七夕の笹に付けられた短冊。ブラックユーモアなのか、本当の店員の願いなのか…?
雨の中(ライフ・アクアティック)
映画「ライフ・アクアティック」を観た。ドキドキワクワクの、海洋冒険活劇。
青山スパイラルガーデンにて、齋藤亮一写真展「桃源郷フンザへ」(12日まで)を観る。
階段に掛けられた大きな写真がドカドカと。
銀座・秀友画廊にて「小さな写真のメトロノーム〜齋藤亮一の旅のゆくえ〜」(18日 まで)を観る。
雨の中、小さなビルの六階は辿り着くのに骨が折れたけど、写真をゆっくり鑑賞するのにはこちらの方が余程良い環境。これまでの写真から数点をポツポツと。
画廊なので、一枚何万円かで売っているけれども、あらかじめ「私買いませんから」と宣言。その画廊の女性と色々話し込む、「写真は総じて(日本では)売れない」だとか「それでも齋藤さんの作品は好きな人が居る」とか。ファンは僕だけじゃ無かったか…
雨の一日。このまま梅雨に突入しちゃうのかな。
「土ぼこりの匂い」(エレニの旅)
映画「エレニの旅(予告編)(テオ・アンゲロプロス監督)」を観た。
幼くして孤児となり、幼なじみの男との間に子をもうけ、第二次大戦に飲み込まれゆくギリシアの近代史の中の、一人の女性「エレニ」と、一つの国の、旅の、物語。
前編通して「土ぼこりの匂い」とでもいうような「匂い」が漂っている。なんとも云えないのだが、イラン・トルコ映画の秀作にも共通した「匂い」があると思う。
その匂い立つ映像の一つ一つが美しい。
宮沢賢治の小説に共通する匂いもあるが、それは、「『湿った』土ぼこりの匂い」だと思う。
主役のエレニ役の「アレクサンドラ・アイディニ」が、あどけなさの中に芯の強さを持つ女性を演じている。
ギリシア映画という事でもしやと思ったら、字幕翻訳は作家の池澤夏樹氏だった。
映画館の近所の富士フォトサロンに行ったら、就職した「ササキスタジオ」の写真展か何かで、日芸の同級生が居た。
このまま帰るのもしゃくなので、上野の国立西洋美術館にて、もう一度「ラ・トゥール展(5月29日まで)」を観る。
「笑いのツボ」(さよなら、さよならハリウッド)
映画「さよなら、さよならハリウッド」を観た。
アカデミー賞を過去に二回とったという、病的なまでに神経質な往年の天才監督を、ウディ・アレンが自虐的に演じ、監督した作品。
平日のお昼だというのに、結構混んでいて、場内大爆笑に近い形だったのだけど、私にはどうも…?
結局の所、対してジャック・タチの偉大さが分かったという話。アメリカのお笑いは分からないのかなあ、でも「オースティン・パワーズ(産経新聞のレビュー)」シリーズは好きなんだけどなあ。
落語でいう所の「フラ」というか、何かそこに居るだけで何とも云えないおかしみがあるような、そういうのが感じられない。
黒澤明特集続く その二
新文芸坐の黒澤明特集、これで終わり(のつもり)。
「デルス・ウザーラ」(1975年)「どですかでん」(1970年)の二本立てを観た。
どちらも、「黒澤明作品」としては異色の二本。
「デルス・ウザーラ」はソ連(当時)側の要請を受け、黒澤明監督が出向いて撮影した、ロシアの調査隊と現地の案内人「デルス・ウザーラ」との交流の物語。
他の黒澤作品と比較すると(特に「乱」を観た後では)、殆どの撮影スタッフがロシア人であるこの作品は、いわゆる「黒澤美学」という物が、彼を支える「黒澤組」というスタッフ集団あっての物であったという事が良く分かる。
いや、様式美では無いという話。
「どですかでん」も、視線が社会では無く向いているという点で、代表的な「黒澤作品」とは趣を異にする(異論がありそうだが)。個々のエピソードを積み上げる事によって、貧乏ながらも皆が好き勝手に生きている「ゴミ溜め集落」(勝手に命名)の全体像を浮かび上がらせている。
黒澤明特集続く
記録
池袋の新文芸坐にて、黒澤明(東宝DVDオフィシャルサイト)特集とかで、往年の白黒映画「白痴」(1951年)「どん底」(1957年)の二本立てを観た。
「白痴」ドストエフスキーの原作の舞台を、札幌に移した作品。
白痴と馬鹿と精神異常の、気違いの物語。
「やけに長い映画だな〜」と思ったら、当初四時間半ほどで完成させていた物の、会社の要請で三時間ほどにさせられてしまい、監督(黒澤明)が「これ以上切るなら、フィルムを縦に切れ!」と激怒したという作品らしい。
「どん底」これもロシアの文豪、ゴーリキーの原作の翻案。
崖下の、ボロ長屋(壁が無くなっているが)に住まう、本当に「底辺」の人々と因業大家夫婦の物語。
内容の割にはドロドロしていないのが、さすが。