さて
カテゴリー: 旅
甲府へ
一昨日の24日、甲府の消防署の撮影に行ってきた。
中央本線で高尾を抜け山地に入ると雲が立ち込めてきて嫌だなと思っていたが、長いトンネルを抜けて甲府盆地に出ると晴れ渡り、その後も天気が下り坂になる事もなく、気持ち良く撮影できた。
元来の不人情な性もあって、鈍行を乗り継いでの貧乏旅行ならばお土産なんて荷物は背負い込まない事にしているのだが、今回は特急で帰るので、泊まる西荻窪の実家に定番の信玄餅を買ってきた。
筑波山の梅まつりへ
筑波山は梅が満開だそうで、梅まつりに行った。
ちゃんと顔が出た時にシャッターを押したつもりだったのだけど、このカメラ(SIGMA DP2)のシャッタータイムラグには毎度の事ながら悩まされている。
撮った絵はカラーネガフィルムの様な、往年のコダクロームの様な、濁った、透明感のない(訳では無いのだけど)、透明水彩で無くアクリル絵の具で描いた様な絵で、好きなのだが。
ピンは置いた位置で良かったのだけど、シャッターチャンスを逃し、失敗作の様な、でも「これはこれで不思議な雰囲気が出て良いか」という「妥協作」の様な一枚。
(前回偕楽園に行った時「『梅見に行った』という癖に満開の梅の写真じゃないじゃないか」と知り合いに言われ、今回は満開の梅の写真。)
偕楽園へ
一日雨の予報だったけど、水戸の偕楽園へ。
雨は着いた頃には上がっていたけど、写真も撮り終わった二時頃降り始めた。門の脇の茶店で一服する。
昨年末入院した折に色々世話した (何しろこちらは手術とは言っても血管に管通すだけで術後一週間はただ病院に寝泊まりしているだけで閑だったので) お婆ちゃんの娘さんが神立(かんだつ 我孫子と水戸の間の常磐線の駅)で呑み屋をやっているというので一杯やりに行く。
携帯電話の電池が無くなってきたので水戸のauショップで充電をお願いし、自分は近くのモスバーガーで時間を潰す。
神立のお店に行き聞くのには、お婆ちゃん結局その後亡くなったそうだ。なんだかなあ、あぁ。僕の結婚式に出てくれるって言ったのに。
娘さんに帰り駅まで送ってもらったけど、ホームの上は寒かった。死んじゃえば寒いなんてのも感じられないんだよな。
河津桜
早起きして、伊豆に河津桜(かわづざくら)を見に行ってきた。
昼前には雨が上がると言ったけど、十一時過ぎに着いた頃にはまだザアザア。
駅から続く桜並木を、余り役に立たない折り畳み傘を差して歩いていたら、その内ちゃんと雨は止んだ。
ほっとして巡り終えそろそろ帰ろうと駅に戻ったら、チリの地震による津波警報で、電車は止まっていた。構内は運転再開したらすぐにでも乗り込もうという人達でごった返していて、待合室はおろか壁際の腰掛けられる窓枠までも埋まっている。
昼飯でも食ってくるかと駅まで歩く道すがら見掛けた喫茶店に入りうどんを食う。店内のテレビで見る所、どんどん状況は悪くなる様で、太平洋側の港には続々と津波 (殆どが数十センチだが) が押し寄せてくる。
結局電車が動き出したのは六時頃。
伊豆まで来て、折角だから「消防隊に敬礼!」して一泊しようとも思ったんだが、帰った。
帰京
昨夜は出雲市を夜の七時に出るサンライズ出雲に乗り、これで旅の終わりかと安心していたら、そうは問屋が卸さなかった。
夜中三時頃、静岡の掛川の駅で随分長い間止まっていたと思ったら、やはり今朝になって、
ドアに故障があって途中で点検したとの事、その為1時間程度遅れるという事、急ぐ人は熱海から振り替え輸送をするから新幹線に乗り換えて行けとの事。
そして東京に入る頃には通勤時間帯に入ってしまって線路が混んで東京までたどり着けない。貨物線を通って品川まで行き、そこを終点とする事。
が放送で告げられた。
旅に出る前の予定では、今日は朝の十時から仕事が入って、東京駅から婆ちゃんを一人で中央線で西荻窪に帰して、僕は我孫子に帰り鞄の中身を空けて撮影機材を詰め込み再び都内の撮影現場まで行く事になっていたが、昨日の時点で仕事は延期になっていて良かった。
熱海では多くの人がぶつくさ言いながら降りて新幹線に乗り換えて東京へ向かったが、こちらは急ぐ用もないので予定より一時間半遅れて品川に九時前に到着。
東京駅に着くのだったら通勤ラッシュとは逆の中央線の下り電車に乗れば良いかと思っていたけれども、品川からはそうもいかない。山手線で新宿に出て乗り換えなければいけないので、品川の駅の中の喫茶店でパンとお茶など飲んで、時間をつぶし、朝のラッシュが収まってから山手線に乗って一緒に実家に帰った。
最後の夜と最後の日
漁港から宿に戻る。
最後の晩の食事には境港 (出雲市の向こう) で採れたという松葉蟹(ズワイガニ)。
翌日(今日)、町を見下ろす山の上の神社に登る。
旅館の旦那に駅まで送ってもらい、今度は夜7時出雲市発のサンライズ出雲に乗るべく鈍行で出雲市へ。
温泉街散策
温泉津 (ゆのつ) の温泉街を散策。
温泉街とは言っても旅館は十数軒しかないひなびた温泉地。
まずいきなり温泉街を抜けて漁港へ
中を抜け、温泉街の入り口。
宿に婆ちゃんを置いて、石見銀山の銀を運び出していたという沖泊(おきどまり)という入り江へ。
先程来た温泉津港から更に海岸沿いを進むとトンネルがあり、
抜けると沖泊の入り江が眼下に。
沖泊の集落から石見銀山へ続くという道。
銀を運び出していた頃は栄えたというが、今は空き家が目立つ。
お爺さんが海藻を板状に干すための巻きすの様な物を洗っていた。
温泉津漁港を通って帰る。
丁度魚が上がった様だった。メダイという奴らしい。
旅館
泊まった温泉津温泉(ゆのつおんせん)の旅館。
風呂
出雲大社を出て温泉へ
昨日の事。
サンライズ出雲の旅も終盤に差し掛かり、中国山地を超え山陰の米子が近くなると、大山がその雄々しい姿を表してきた。安来を過ぎ宍道に掛かると宍道湖に沿って列車は進む。放送がある度に通路側に人が出てくる(大山も宍道湖も個室からは見えないので)。
取り合えずせっかく来たのだからと、終点出雲市で寝台列車を降りると市畑電車 (前来た時は市畑電鉄だったんだけどなあ) に乗り出雲大社へ。
「古代日本って案外大味な国だったのかもね」と思ってしまう程、何でもデカいダイナミックな木造建築。参道の黒松もビッグサイズ。
そしてまた市畑電車に乗り出雲市駅へ。
出雲大社前駅から直接は出雲市には行かず、途中川跡(かわと) 駅で地上の踏切を渡って乗り換えなければならない。
出雲市から特急 (客が居ないので2両編成というのがまた旅情をかきたてる) で今宵の宿の温泉津に行くとホームにおじさんが居て、「増田さんですか」と。旅館からのお迎えだった。
だが旅館に着いてふと気付く。
ウィルコムのPHSとソフトバンクが通じ無い。これの更新は明日になるのか。 (auの携帯電話は通じる)