体験芸術


久々に、本当に久々に、自分の撮影に行った。仕事が盛況で… といいつつ実は夏場は温度管理が面倒くさかっただけというのもあるのだが、取りあえず、久々に行った。
上野から銀座に廻って歩いていたら、自民党の安倍さんが募金をしていて、その周りを新聞社やテレビ局のカメラが取り囲んでいた。ああいうカメラマンってのは本当に大変だなあ。
その後、有楽町のビックカメラで、先日購入したFlashというパソコンのソフトの解説本を数冊、買う。
その後、深川の東京都現代美術館で「イサム・ノグチ展」を観る。
作品の遊具で遊ぶ子どもとオトナ。遊具の周りの床は柔らかくなっていて転んでも大丈夫。今流行りの「体験芸術」なんて、実はこんなもんなんじゃないの?と思いつつ。
「イサムの作品(さくひん)には不思議(ふしぎ)なかたちをしたものがたくさんあります。作品(さくひん)に近(ちか)づいたり、後(うし)ろにさがってみたり、まわりをぐるっと一周(いっしゅう)したりして、その場所(ばしょ)によってちがったかたちや表情(ひょうじょう)を見(み)せるイサムの作品(さくひん)をゆっくり楽(たの)しんでください。」(「イサム・ノグチ展 こどものためのガイドブック」より)


「アーバン・ライフ」展示会


某I社のSさんから券をもらっていたので、有楽町の東京国際フォーラムに「TOKYO URBAN LIFE 2005」(8日まで)を観に行った。
「新しい暮らしの形」を提案するこの展示会、色々な会社が、都会暮らしの提案をしていて、新生活を東京で始める女の子なんかが憧れるであろう「アーバン・ライフ」でございます。(私なぞどうせ「アビコ・サバーバン・ライフ」ですがね…)
東京電力のブースを始めとして大きな物もありますが、小さな漆器の会社やら篆刻やらあって、見ているだけでも楽しい空間でした。
写真日記の体裁を変えました。MovableType(ムーバブルタイプ)を使った、いわゆる「ブログ」の形式です。
RSSのアドレスが変わりましたので、そちらの設定も(されている方は)変更をよろしくお願いします。


武蔵野市立吉祥寺美術館

吉祥寺の伊勢丹の新館7階に、ひっそりと武蔵野市立吉祥寺美術館というものがある。というか数年前にできたらしい。
今、「亀倉雄策ポスター展」(9.25まで)というのをやっていて、常設展として「浜口陽三記念室」というのもあり、この銅版画家の作品が(水天宮にあるその人だけの美術館に行ってしまうほど)好きな私としては(八月三日からやっていたのだが)、いつか見てみたいと思っていたのだ。(「萩原英雄記念室」というのもあったけど、知らん。)一般の入場料百円というのもあり。
中はこじんまりとした感じで、それでいて物足りない感じも無く、日頃公立の巨大美術館に「こんなの一日で観られるわけねーだろ!」という思いを大いに抱いている私としては、この夏の吉祥寺の喧噪から隔絶された空間は、とても心地よく、「やっぱ(中央線沿線は)土地が高いだけの事はあるよな〜」と思いつつ、「駅前の百貨店の上に公営美術館があるなんて、柏とは文化程度が違うよな〜」と思うのでした。


上野へ


知り合いに付き合って、興味もないのに「古代エジプト展」を観に行った。大体エジプトの人がどういう生活をしていたからといって、「それが何?」って感じである。
そんな事を、一緒に行った友人に云ったら一言、「夢の無いヤツ」と云われてしまった。
昼食は西郷さんの下の聚楽(じゅらく)。和洋中なんでもアリの(お上りさん御用達の)昔ながらの食堂。


デザインとは何ぞや?


今年もGDP(グッドデザイン賞の展示会)に行ってきた。
何かと思ったら、仏壇。
「見た目としての」デザインでは無く、「生活スタイルの提案」こそが「(工業)デザイン」だと思うのだ。
著名なデザイナー達が、既にある物をデザインし直すような提案(日産のカーデザイナーがクリスマスケーキ、等。)が面白かった。


せかせかするのも何なので

水天宮(中央区日本橋)
銀座にて、映画「ヴェラ・ドレイク」を観ようと朝一の回に行ったら、三十分ほど前だというのに長蛇の列。満席が近くて、座れたとしてもかなり前の方だとか。私は字幕を読まなくても良いほど英語が堪能では無いので、映画は諦めて、日本橋の「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」に、昨年末亡くなった奥さんの「南桂子追悼展」を観に行く。子どもの頃、色鉛筆でこういう絵を書いたことがあるような気がする。
そのまま梅雨明けの空の下、ぶらぶら歩くと、水天宮(中央区日本橋)がある。素通りも何なので、入る。
どうもここは、赤ちゃんを連れてくる神社らしく、境内は赤ちゃんを抱えたお母さんとその家族ばかり。ベビーカー置き場はあるし、奉納の酒樽はマタニティ専門店だし。
かなり場違いな雰囲気に、早々に退散して、交差点の「三原堂」という大きな和菓子屋でおみやげを買って(支払いはあちら)、いつもの北柏の喫茶店へ。


悪夢の続き


内容は覚えていないのだがとても悪い夢で、自分が危機的状況に陥っていたのだがそこで目覚ましが鳴って目が覚めてしまった。続きが見たくてまた寝ようと思ったが、駄目だった。
最近、絵や写真を観ていない訳では無いのだが、感想を文章にするのが面倒で、特には書かない事にしていた。
と、前置きをしつつ東京ステーションギャラリーに『異形の幻想力 小山田二郎展』を観に行った。(7月3日まで)
小山田二郎は、1914年に生まれ、1971年から1991年に亡くなるまで、家族を捨てて失踪。画廊に作品を送る、という連絡方法のみをとり、社会と隔絶された生き方をした画家。
良い。特に水彩画が。油絵も水彩画もあったのだが、とかく油絵の付属品として、大抵日陰の存在としか扱われない水彩画だが、にじんだ絵の具のせめぎあいが、複雑な色や偶然の模様を作り出していて、とても深い世界を作り出している。
アンソールの時も思ったのだけど、図録の見本をつらつら眺めるに、どうしてああいう複雑な色が、こんな軽薄な、絵の具入れを覗きこんだような色になってしまうんだろう。
昨日、お友達の古関さんのブログに「良い!おすすめ!」と書いてあったので、最終日は三時に閉まる前に、新宿のコニカミノルタプラザに行った。
フォト・プレミオ 田原理江写真展「ほしのすな」』良かったです。
煉瓦の駅舎の中の館内。「『展示室内では』写真撮影はおやめください」とだけ、書いてある。休憩室でデジカメいじっただけで係員が飛んでくるどっかの美術館とは大違い。


鮮血の「赤」

休憩室から見た東京都庭園美術館の庭
東京都庭園美術館に、「ベルギーが生んだ異端の画家 ジェームズ・アンソール(James Ensor)展」を観に行く。(6月12日まで)
前も書いたけど、旧朝香宮邸を美術館とした雰囲気あるアール・デコ調の建築。
骸骨や死神を好んで描いたアンソールは、上記リンク先の「仮面と死神」がもっとも有名だが、例えばその絵も、実物は色の一つ一つが毒々しくて凄みがある。左下の人物の着ている服の赤は、鮮血の様。
休憩室(二階)より、庭を望む。


時代の香り

壊されつつある日芸(日本大学芸術学部)の校舎
日芸(江古田)で「エリオット・アーウィット(Elliott erwitt) オリジナルプリント展」なるものをやっているというので観に行く。(6月17日まで)
あんまりこの人の写真って好きでは無いんだよなぁ。ユーモア云々と云いつつ野暮であからさまで… けどプリントを観に、行く。
久々に学食で冷やしたぬきうどんを食べる。もう無かったから作ってもらう。
上野の都美術館で、「アール・デコ展 -きらめくモダンの夢-」を観る。「アール・デコ」なんても、日本の大正期の「モボ・モガ」からローランサンからライト松岡正剛氏による「ライト自伝」の書評 ISIS立紙篇)から杉浦非水三越ミュージアムによる解説)まで、範囲が広くて最初は捉えどころが無かったけど、どうやら観終わるまでには「アール・デコ」の何たるかがおぼろげながら見えてきた、と思う。
けど総じてハデハデで(これは好みとしてハデハデなのであって下品なハデハデでは無い。一応。)、三十分程でサーッと観覧。
こういう見方をしていると、目に止まる物があって、それが添え書きを見てみるとライトの作品だった。
僕は小学校に上がる前、自由学園幼児生活団にいて、ライトのデザインに浸っていて、ひかれるらしい。
訳分からんながらも、ガキの内に良い物にふれておくというのは大切だと思う。
「暗いー」だの「つまんないー」だのぐずる小さい子をなだめながら美術館に来ているお母さんなど頬笑ましい。
日芸の学食から外を見る。解体中。


そう、静謐。

上野の国立西洋美術館にて「ラ・トゥール展」を観た。(5月29日まで)
「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」なんて画家、知らなかったのだが、それも当然。
十七世紀フランスの画家で、画家として時の権力者に気に入られたものの、現存する絵は四十点程しかないという、いわば幻の画家(一番所蔵しているパリのルーブル美術館でさえも六点とか…)。
画家の存在を知らなかった上に、上記解説も観てから聞いたことなので興味無かったのだけど、新聞か何かで絵と絵についての話を読んで、興味を持った。
全く「生き生きとしていない」人形の様な人々の冷たい、ひんやりとした肌が、ほの暗い明かりの中に浮き上がる。「こういうのを何て云うんだっけ?」と思っていたら、場内の解説に書いてあった。そう「静謐(せいひつ)」。