宇和島観光

考えてみたら宇和島には何回か来ていることはあるけれども、前日の晩飲んだほづみ亭に行くぐらいで、宇和島を観光したことは無かった。時刻表を見ると3時過ぎに宇和島を出れば、鈍行でも七時前には松山に着くことが分かったので、昨日は宿に荷物を置いて宇和島を観光することにした。
観光と言っても(名物の闘牛が行われている時以外は)宇和島は何も無い所なので、段々強くなる雨を避けてアーケードの中の喫茶店に入り取り敢えず朝の腹ごしらえをすることにする。
喫茶店の中に居たおじいさんが「昨日はどうも」と言うので何かと思ったら、ほづみ亭のおやじだった。
数年前にほづみ亭に来た時に会ってカウンター越しに色々話をしていたら、帰るときに湯飲みをくれた、今でも家で使っている。
昨日行った時は店には居なくて、他の人に聞いたら、もう店には出ていないけれども親戚の法事で今出掛けているから帰ってきたら挨拶をするとの事になり、話をしたのだった。
アーケードの中を通って(本来なら裏路地を通りたいのだけれども雨が強くなっていたので)、宇和島城に入る。
宇和島城は江戸初期の城(天守閣は江戸時代の物が残っている)なので、殿様の威光を見せつけると言うよりも実際の戦闘の事を考えて作られていて、面白い。
遠くから天守を見ると普通の四方を向いている城なので近づいてみると堀は五角形に作られていて、一辺攻める側に死角ができてそこから城を守る側が突破できる様になっている。
守ることを考えた城独特の、段の高さや幅の違う登りにくくて左右に折れ曲がる石段を登ると、台地になっている所に天守閣が建っている、そしてここに入る石段もまた折れている。

天守の中に入って急で上の階の天井が頭につかえるはしごの様な階段を上り、窓から前の台地を見る。続く石段を登ってきて疲れた敵の兵士は、この台地で格好の標的になっただろう。

宇和島を海沿いを通る長浜経由の列車に乗り、三時過ぎに出る。下灘等を通って瀬戸内の小島が見える筈なのだが、全く見えない。

七時前に松山に着き、友人と道後温泉へ。


奈半利から宇和島へ

一昨日は今回着てきた外出着一張羅を洗剤を借りて洗濯し、一日中部屋着で過ごしていた。
今日松山の友人に会いに出掛ける事は分かっていたので時刻表が欲しかったのだが、奈半利には本屋が無く、昨日写真撮影がてら室戸市の中心部の商店街まで、時刻表を買いに行ってきた。
カーブの続くガタゴト道をバスは行き、室戸の中心地「浮津(うきつ)」の昔からある、文房具屋件書店という、「鍋島文具店」へ。
本屋だから当たり前にあると思ったのだけど、時刻表はJTBの大きな物があるだけ。近くのサンシャインなるショッピングセンターの中にある本屋にも問い合わせて貰ったが、そちらは時刻表自体置いておらず。室戸に居る限り移動はバスや自動車で、鉄道を使うことは無いのだから、考えてみたら鉄道の時刻表が無いのも当たり前かとも思う。
仕方ないから、今日明日奈半利の居候先で見るだけだけれども、大きな時刻表を取り置いておいて貰い、室戸の中心部を散策。
室戸の港
時刻表を受け取り、また揺れるバスで奈半利の居候先へ。
今朝は九時過ぎに居候先を出て、奈半利から「ごめん・なはり線」のJRへの直通電車で高知に出て、西回りの予土線経由で宇和島へ。
「ごめん・なはり線」からの眺め。

「ごめん・なはり線」の終点後免の一つ手前、後免町駅から路面電車の終点の「後免町」の電停を見る、すぐ近く

高知駅で持っていない小さい時刻表を買う、高架駅の下のキオスクにあった、さすが都会。
高知は駅の前にすぐ路面電車の高知駅前電停があって、雨に濡れずに路面電車に乗る事ができる。

弁当を買って窪川行きに乗り込む。
土佐久礼(とさくれ)駅、高知行きの鈍行列車。

終点窪川からの宇和島行きの予土線の列車は、運良くトロッコ列車を繋いでいる列車で、指定席券(510円)を買って、四万十川の薫風を浴びながら一杯、と思ったけれどトロッコ列車は元々が貨車なので結構揺れて、良い具合に酔っ払う。


宇和島に着き、今夜はシャワーを浴びて先般の「ほづみ亭」に行こうと思い、その近所に宿を取る。


森林鉄道の跡を歩く

昨日は、山地の杉を切り出し奈半利港に運んだ、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の跡を歩いた。
山中の人々が奈半利に出て来る時に使われ賑わった、樋之口駅(ひのくち)跡、何も残っていない。
近くの人に、「ここに給水タンクがあって」と聞いたが、それがなければここに駅があったとはわからない。

終点の貯木場に向かって線路跡を歩く。今は単なる田舎道だが、緩やかなカーブと勾配の少ない道は間違い無く廃線跡。
今の時期、男の子のいる家では鯉のぼりと「フラフ」を揚げている。「皿鉢料理」と言いこれと言い、高知の人は派手で大きい物が好きらしい。


車一台がようやく通れる程度の道を抜けて行くと、森林鉄道を跨ぐ跨線橋に出会う。

居候先に帰って来て、再び便所の窓から外を眺める。


奈半利へ

一昨日夜十時に東京駅を出た「サンライズ瀬戸」で四国に来た。
今回の目的地は四国と言ってもいつもの松山の友人の所では無く、松山が四国の北西だとしたら、点対象の南東の、室戸岬に近い「奈半利(なはり)」。
いつもの様に瀬戸大橋を渡って四国に入った最初の駅「坂出(さかいで)」で寝台列車を降り、松山に行く予讃線では無く高知に行く土讃線の特急「しまんと」に乗り換え、琴平を通り、「土惨線」と揶揄される険しい四国山地を縦断し、大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)の吉野川の奇景を眺めながら、高知の手前の「後免(ごめん)」で降りる。
JRはここまでで、ここからは国鉄が作るつもりだった鉄道を受け継ぎ平成に入って開通した第三セクター「土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線」に乗り換え、終点の奈半利へ。
行く先のトンネルの上の山に崖崩れの跡の残る穴内駅に停まるごめん・なはり線の列車
奈半利は、山地で伐採される杉の積み出し港として栄えた町、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の遺構や、蔵の残る町。
地元の「なはり浦の会」の方に案内して貰い、町に残る蔵、製糸工場を巡る。
地元の方の御宅に泊まらせて貰う、便所の窓からの朝の眺め。
宿の窓から朝の奈半利を見る


伊予にて

伊予北条でゲートボールをしていたお年寄り達
一月の終わり、松山の知り合いの所に滞在して、方々近くの漁港を巡ったり、瀬戸内の島に渡ったりしていた。
松山から少し東京側に戻った伊予北条に行き、漁港を探して歩いていたら、古い大きな工場の横の海に注ぐ川の脇で、うららかな日和の下お年寄りがゲートボールをしていた。
田舎の、あまりにも長閑で楽しい景色なので、一段高い道から写真を撮っていたら見つかってしまい、何か咎められるのかと思ったら「降りて来て色々撮って」との事だった。
何か嬉しくなって、集合写真を撮って送る事になった。


安房鴨川へ

一昨日と昨日、南房総をぶらぶらして来た。
一昨日は和田浦に行き、漁港で鯨を解体する場所など眺めた。
鯨の解体は、7月の捕鯨シーズンの前半に捕鯨を行っている業者「外房捕鯨(がいぼうほげい)」のブログに夕方鯨が上がったと記事が出るから、それを見て和田浦に行き泊まると、早朝見られると地元のおばちゃんに聞いた。
そして安房鴨川に行き、観光協会に紹介された「エコホテル」なる安易な名称(つい最近まで「お宿 華屋」と言ったらしい)の宿に荷物を置き、素泊まりで食事は無いので、駅を出てすぐの「長久」に戻りビールと地の魚等。
翌朝、漁港までぶらぶら歩く。昨日の店で聞いた通りその辺りに朝食を調達できる所は無く、作って貰った弁当を防波堤で広げる。前日は天気が良いけれども風が強かったけれども、この日は海も凪いで豊漁で、鰯が漁港には溢れて地面に転がっていてトンビは餌を欠かず、安心して(地元紙「房日新聞」に包まれた)おにぎりを食う事ができた。
鴨川漁港で朝食
帰りがけには安房鴨川から少し千葉に戻った江見内房線の路線図)で降りてまた漁村をぶらぶらした後、内房線の千葉行きの鈍行に乗って帰宅。
内房線の車内から眺める夕方の東京湾
途中安房勝山の辺りで地震が起き、のろのろしながら千葉に着いたけれども、その後も諸処の駅で特急の到着を待ってとかで列車の遅れは長引いて、九時過ぎに我孫子の家に着いた。


木島平村ヘ

先週末、以前石岡の実家に連れて行って貰った友人の車で、長野県の木島平村に連れていってもらった。
新しく買ったフォルクスワーゲンの馴らし運転も兼ねて、とか。
金曜の夜我孫子を出て、高速を飛ばし深夜一時頃、行く先のペンションに着くという強行軍。
翌日、一人 目の前(泊まったペンション「シュトラーゼ」はスキー場が目の前なので)の木島平スキー場を登る。時々眼下の飯山の町千曲川(信濃川)を振り返りながら。
夏の木島平スキー場
夕方、少し離れた馬曲温泉 望郷の湯(まぐせ)ヘ。
馬曲温泉 望郷の湯(まぐせ)
馬曲温泉 望郷の湯(まぐせ) 男湯の露天風呂
夜はその宿の三十周年記念パーティとかで、友人のスキー部時代の仲間とその家族と共に、飲む。
翌日は皆で畑に人参や白菜等を採りに。
ペンション シュトラーゼ のパーティに集まった人達と畑ヘ
そして夜帰る、野菜をたくさん貰って。


祭り最終日

今日は十時過ぎ、友人の母校「市立石岡小学校」の脇の「石岡市民俗資料館」へ。
発掘したら出て来た、前の発掘の時に食べて遺跡に埋めちゃったうっかりさんのアイスの袋。
石岡市民俗資料館に展示されている発掘されたアイスの袋
御仮屋(おかりや)という、祭の間神様を移して置く小さな神社から、神様を再び神輿に移して元の常陸國總社宮に帰らせる。
後から各町内の獅子も続く。
御仮屋の前で舞う獅子
總社宮に神様が無事戻り、木陰でとりあえずホッと。
常陸國總社宮に神様を戻して一息の町の人


石岡の祭り

昨日、石岡駅へ行き、鹿島鉄道の駅・車両基地跡を好撮影地だった駅にかかる跨線橋の上から。
石岡駅 鹿島鉄道の駅・車両基地跡
石岡と言えば看板建築と言う、通り側の面だけ昭和初期の流行の洋風にして、建物は純和風という奇妙な商店建築が多い所としても有名。
参考 NHK教育「美の壺 なつかしの商店建築」
昭和4年に大火があったらしく、国の有形文化財に指定されている看板建築は大抵昭和5年築、この「すがや化粧品店」もその時の建物。
前を祭の獅子が通る。
看板建築の前を練り歩く石岡のおまつりの獅子
祭は夜まで続く、角を曲がる山車。
石岡のおまつり