鬼怒川温泉へ

昨日友人は松山へ帰った。月曜日から一泊した鬼怒川温泉の事を。
月曜九時過ぎに北千住を出る全席指定の東武の特急「スペーシアきぬ」で終点の鬼怒川温泉へ。雨模様で山の上の方には霧がかかっているが、それほど寒くは無い。

東京の奥座敷であった鬼怒川温泉も紅葉の時期だというのに、寂しい姿。天候も寂しさに追い打ちをかける。


くろがね橋の袂に作られた足湯からは眼下に鬼怒川と紅葉を望む。

寂れてしまったのも頷ける。近くに日光という景勝地があり、温泉の他に観光地は無く、東武鉄道が無理矢理作ったガリバー気分になれるワールドスクエア日光江戸村がある物の、今やそれらが人を引きつけると言うことも無く。
宿に荷物を置いて、彼と二人で鬼怒川温泉駅から出ているバスで江戸村に行ってみたのだが、大人一人四千幾らという入場料は閑潰しには高すぎる。鬼怒川温泉から一つ手前の小佐越駅まで歩いて戻る事に。バスの中から「これは凄いなあ」と思っていた橋の上からの景色を思う存分、堪能。怖い。

宿に入ると目の前の川の向こうの崖下に太鼓橋が見える。仲居さんに訊いたら「以前営業していたホテルの遺構では?」と。

早く帰らなくてはならない用事ができて帰りの電車を一時過ぎに変更してもらったが、それでもまだ時間が余っている、そして何しろ行く所がない。
十時に宿を出されて温泉街の裏町をぶらぶら。温泉街に付き物の、宿で働く人のための集合住宅も、住んでいる所もあり、そうでない所も多く。

駅前の土産物屋の二階でうどんみたいな蕎麦を食って時間を潰し、帰る。


東京観光案内

火曜日から、いつも四国に行くと世話になる松山の友人が来ていて、東京案内をしていた。
水曜日は金町に常磐線で出て、柴又の帝釈天へ。帝釈天にお詣りしてから矢切の渡しに行く物の、「最後は四時まで」という張り紙があるだけで時刻表など無い。三十分ほど待ったが対岸の松戸側に もやった小舟は動く気配がないので、仕方なく退散。
矢切の渡し
寒くてどこかで休憩したくて、山本亭へ。
葛飾区 山本亭
江戸川側の裏口から帝釈天に戻り駅の方に抜ける頃にはすっかり日も暮れ、源公がゴーンと…
柴又帝釈天
翌日の木曜日は東大病院の診察があったので付き合ってもらい、帰りがけにいつも楽しみにしている「井泉」でとんかつを。
彼が持ってきた東京のガイドブックではこの店を「上野エリア」の店として紹介していたが、場所は上野から離れているし「湯島エリア」に入れるべきだろうと思う。大体名店ではあろうがこんな御徒町の裏路地を行った所に小さくある店を紹介されても、お上りさんは見つけにくいだろうに。
そして東京(食道楽?)観光の定番である「駒形どぜう」に。粕取り焼酎に、甘辛いタレで食べるドジョウは何て合うのだろう、と毎回思う。
翌日は羽田空港に行った後銀座へ。京浜急行に乗り入れている都営浅草線が停まるので東銀座にて降りて歩いて僕の用事を済ませ、ライオンへ。今や滅多に味わうことのできなくなった騒がしくて煙臭い(と思ったら今度は分煙になっていた)、大衆酒場の雰囲気が好きだ。
ライオンのビアホール


ほづみ亭の湯呑み

ほづみ亭の湯呑み茶碗
二月に四国を回って宇和島のほづみ亭で海の幸を肴に一杯やった時、店主から湯飲みを貰ったのは良い物の、東京までぶら下げて帰るのは面倒なので、松山の友人に預けて「何かついでがあったら荷物の隅にでも入れて届けて」と言って四国を去ったのだが、それが昨日届いた。
焼いた太刀魚を竹の棒に巻いたのと一緒に、ギンギンに冷えて。


爺神山で人間の所業に思いを馳せる

東京行きの夜行列車は瀬戸大橋の四国側の袂の坂出を22:45に出る。
それまで時間があるから、あの人間の所業で半分欠けた山に行ってみたいと思った。
予讃線で行き来する度に見える、異様な山容。
高瀬駅で降りると、もう目の前に爺神山 (とかみやま) はその異様な姿を現している。
改札を出た所の店 (2月28日閉店だそうだ)(ウイリーウインキー高瀬店) でパンを買い、かじりながら線路沿いに踏切を探して歩く。ホームからはきれいに爺神山が見えるのに、改札口は跨線橋を渡った、山とは反対側にあるので、線路を越えて山側に渡るべく、踏切まで歩かなくてはならないのだ。
松山方向に戻っていくと、踏切があって、それを渡ると目の前に爺神山が見える。
そこから山に近づいていくと、ジグザグに山を登っていく道がある。
ジグザグ登っていると、歩いている道と合流する道に、犬を連れたおばさんと、その友人らしきおばさんが歩いてきたので採掘の跡はどう行けば良いのか訊く。
連れて行ってくれるというので、後を着いて行く。時折開ける眺望に感動したり、「不審者め!」とばかりに犬に吠えられたりしながら。
採掘場の跡に着く。
生活の為と言われれば何とも言えないが、これが心有る人間の所業か。ひたすら前をのみ見て自分のやる事に疑いを抱かず歩いていた高度成長期という時代の遺物がこれか。
今回の旅での、どの観光地よりもこの採掘場跡が心動かされた。
山の頂上から中腹より下までが削り取られて断崖絶壁になっている。


一人で探せば時間を要するであろうこのポイントに、御両人の案内のお陰でスイスイ行けてしまったので、今度はここら辺に多いであろうため池が見たいと言い出す。

山の後ろに降りて行き、ため池に案内してもらい、二人とは別れる。
高瀬駅に戻るが食堂の類は六時に閉まっており、18:35の高松行きで、東京行きのサンライズ瀬戸に乗る坂出まで出る事にする。

高瀬駅のホームから再び爺神山を見る。闇の中に浮かぶ山影は昼間よりも異様だ。

坂出に着いたのが19:15、サンライズ瀬戸が出るのが21:45。
駅前のジョイフルというファミリーレストランで、雑炊とドリンクバーで、粘る。
そういえば前も同じ店で同じ事をしたな。


松山を出る

そういえば徳島から瀬戸内海沿いに松山まで戻った昨日思った事だが、四国の人間は寒い時の列車の乗り方のマナーを知らない。
寒くて雪の降る様な日は、鈍行列車のドアは駅で止まる毎に車掌が開けたり閉めたりせず、車内外のドア横のボタンを押して乗客が開け閉めする。
北国では開けて出た客がそのままにして去ると、吹雪は吹き込むし、様は寒いので、車内の客が舌打ちをしながら車内の「閉める」ボタンを押す。降りた客は自分で車内の (車外には「開ける」ボタンしか無い) 「閉める」ボタンを押して自分が降りたら冷気が車内に吹き込まない様にするのがマナーなのだ。
少なくとも私の見た限り雪国の鈍行列車ではそうしていた。
けれどもこちらの人は平気で開け放って列車を降りる、停車時間が何分あろうと。
何度開け放って降りた客の為に席を立ってドアを閉めに行ったか知れない。
四国最後の夜という事で、JR松山駅で行きと同じ寝台列車の切符を取り、道後温泉で暖まってから、
友人と再び、というか松山に来る旅に来ている店に行き、瀬戸内海の海の幸を食らった。
カワハギの刺身と手前はフグの刺身。カワハギはこの後味噌汁になった。

オコゼの唐揚げ。オコゼとは何度食べても何とうまい魚だろう。身がほこほこして、蛋白で。

今日は友人の家を十時過ぎに出る。
市内を走る路面電車の内、城北線と言う道路の上を走る所では無く専用軌道の所は、人家の間を縫って行く。


松山を11:28に出て、今回はあの削れた山を近くで見るべく、高瀬で途中下車をするつもりだ。

今日は下界は良い天気だけれども、遠くに見える四国山地は荒天の様。(伊予小松の辺りより)


徳島から高松を通って松山へ

一昨日の徳島の夜。
徳島のユースホステルは二月まで休業だと聞いていて、駅前の観光案内所で紹介して貰った駅から数分のビジネスホテルに荷物を置いて市内を見て周る。
紺屋町の通りより眉山を望む。

ロープウェイで登れば夜景が綺麗らしいが、今宵は呑む事を優先する。
観光案内所で貰ったパンフレットにあった、地鶏「阿波尾鶏」(いかにも地元の商工会議所のおじさん達が考えそうな名前だ) を食べさせる、宿から数十メートルの「とりとり」なる呑み屋に行く。

「ヨコの刺身」なる物を頼み若い店員に「ヨコって何ですか?」と訊いたら、ヨコのおじさんが「キハダマグロの若いの」と教えてくれた。「ヨコワ」とも言うそうで、そういえば山陰の温泉津でも若いマグロを「ヨコワ」と言ったな。
そのおじさんと店長に勧められて、醤油にスダチを絞ってヨコにワサビを付けて食ってみたけど、以外とワサビと喧嘩せずさっぱりしておいしかった。
そして地鶏もおいしかった。身に張りがあって味が濃厚で。
御多分に漏れず部屋のエアコンで喉をやられて、吞んで帰って半裸で寝たので風邪をひき、翌朝は散々な状態で8:44の徳島発高松行きに乗る、無論朝飯は食わず。
四国の旅で鈍行で直接県庁所在地を結ぶ列車は始めてだ。徳島と高松を結ぶ高徳線は鈍行の半分以上が、一本の列車で徳島と高松を直接結ぶ。お互い小さい県だ。

このタラコ色のディーゼル車で高松まで行きたかったのだがこれは今徳島に着いた列車。
高松で一時間以上待つので駅前のビルの中でうどんを。

12:13はなんと直通の松山行き。時刻表の読み方を知らなかったので、観音寺で乗り換えか… と思っていたのだが、これなら暖かい車内で寝ていて松山に着く。五時間の長旅だけど。

向かいの席に座ったおじいさんは観音寺に帰る所とかで、「あれは何山」とか「あそこに八十八カ所のお寺がある」とか、沿線解説をして貰った。
瀬戸大橋の袂の瀬戸内海側の辺りは、昔はひたすら続く塩田だったそうだ。

観音寺で18分、伊予西条で36分、その他諸所で五分十分と停車しながら、列車は五時過ぎに松山に着いた。
友人の家に行き、本当に何も呑まず、寝た。お陰で今日はすっきり。
四国最後の夜を楽しもう。


南国土佐を後にして

折角高知に来て、十時過ぎまで宿にいて高知までJRで出るのも何なんで、JRと平行して走っている路面電車(土佐電気鉄道)に乗って高知駅まで行く事にした。
歩いていたら雪の様な物が舞ってきた。空は晴れて暖かいけれども風が強い、向こうの山から飛んできたのか。
土佐電気鉄道「上町二丁目」の電停
車内で会ったおばさんは、昨日バスで友人と岡山に行くつもりだったのに、雪で道路が通行止めになり、鉄道で行こうとしたら岡山行きの特急の指定席券が取れなくて諦めたとか。
高知駅に行くには途中はりまや橋で高知駅行きに乗り換えねばならず、乗り換えついでにはりまや橋に寄ってみた。
十年程前に来た時は「日本三大がっかり(後は「札幌の時計台」「(首里城が建て直される前の)守礼の門」)の一つに名を連ねるだけあって、ただ大通りの歩道の上に小さな太鼓橋が乗っかっているだけだったが、その後余りにみっともない観光地に地元の自治体が奮起したらしいけれども、小さな太鼓橋の下をチョロチョロ小川が流れる様になっていただけだった。これでは当分汚名返上は無理そうだ。
はりまや橋の電停まで折り返し、高知駅まで路面電車で行く。
阿波池田行きに乗る。向かいで発車を待っている土佐くろしお鉄道安芸行きはクロスシートで、海を眺めながら行けるらしい、羨ましい。
そう言えば古今亭菊六さんが来るとかで、この先の土佐くろしお鉄道の終点、奈半利の人が私のホームページの出囃子を使って良いかと以前メールをくれたのを思い出した。考えてみれば不思議な話だ。
止まっている列車から見ると、向こうの山は雪をかぶっている。これからあの中に入って行くのだ。

そして出発。なだらかな土佐の平野から段々と山の中へと入って行く。

鉄橋の上の駅として (一部で) 有名な「土佐北川」駅
行き違いで降りたけれども、寒い…



この列車の終点、阿波池田に到着。

阿波池田からは徳島線に乗り換え、徳島へ向かう。
今度は向かい合わせの座席のある車両。乗り合わせた地元の女子高生に訊き、景色の良い方に座る。
列車は吉野川沿いをガタゴト進む。空が明るくなってきた。


高知の宿にて

毎日良い物を食べまた呑み過ぎたので、昨夜は宿の食事で質素に一杯もやらず、と思ったが駄目だった。
ユースホステルの食堂に日本酒のメニューが置いてあり、小さい猪口で三種類呑めるというのがあり、
豊の海のおり酒活性にごり酒
亀泉の生酒
安芸虎しぼりたて(純米糟取り無濾過生酒)
を吞んだ。
翌朝、高知ユースホステルを出る。八時台や九時台の列車もあるのだが、皆途中から奈半利方面 (室戸岬の方) に曲がってしまうので、10:21に宿の最寄駅「円行寺口」を出て高知で阿波池田行きに乗り換える事にした。
高知ユースホステル。

今日は阿波池田から徳島線に入り徳島に行こうと思う。徳島のユースホステルは二月一杯お休みという事なので駅前でビジネスホテルでも探し、荷物を置いてまたおいしい物でも食いに行こうと思う。