東京の空気

朝九時に近江八幡駅を出て、夕方五時に東京駅着。乗り換えも少なく行った方で、近江八幡米原(まいばら)-大垣(おおがき)-豊橋-浜松熱海(あたみ)-東京
名古屋周辺と阪神間は「新快速」なる特急のような列車が走っている。どちらもJRに沿うように私鉄が走っていて、サービス&安値&スピード競争を繰り広げているらしい。
「岐阜」駅から車掌さんが「JR東海の快速では、名古屋まで18分で結びます。お出かけの際には、是非JRをご利用ください。」だそうな。
17:06 東京駅着。これから山手線に乗るのだが、既に始まる帰宅ラッシュ。
しかしこの、道行く人が誰とも知れぬ雑踏が、心地良くもある東京人。


保存された町並み

鷲羽山ユースホステル前のバス停
昨日ここ(児島の鷲羽山)に来たのは夜だったので気付かなかったのだが、眺めが素晴らしい。こちらの人に云わせれば当たり前なのだろうが、瀬戸大橋と瀬戸内海の小島、そこを行き交う船、対岸の坂出を見晴らす絶景。
それを眺望しながら、朝御飯。もう一度ゆっくり来たい。
と思いつつ次の滞在地、琵琶湖のすぐ南に位置する、滋賀県は近江八幡駅の案内)へ。
近江八幡の町並み

ここも夕食まで時間があるので「近江商人の郷」として保存された町並みを散策。町全体がテーマパークの様。旧家の殆どは人が現在も住んでいて看板だけで入れない。町並みを保存するのは良いけど、普通に生活を営んでいる、保存させられる方はたまったもんじゃ無いな。観光客を呼べるから良いのかもしれないが…
近江八幡ユースホステル
その日の宿「近江八幡ユースホステル」は明治時代の建造物。窓から外を望む。


宇野ぶらぶら

瀬戸大橋を渡る列車より
朝、松山を発って昼頃瀬戸大橋を渡り本州へ。一旦岡山まで行きかけ、茶屋町から宇野線で終点、「宇野(岡山県玉野市)」へ。
ここは瀬戸大橋が無かった頃、本州と四国(高松)を結んだ「宇高連絡船」の港。
今夜の宿は児島(こじま)にある鷲羽山(わしゅうざん)のユースホステルなのだが、一番近いJRの駅「児島」から出ているバスは最終が四時台、国定公園だから遅くに行く人も無いんだそうな。七時頃児島駅まで車で迎えに来て貰える事になっていたので、それまで(宇野駅を六時頃出る様な電車に乗るべく)、宇野近辺をぶらぶら。
海岸線に沿って歩いていたら見るからに廃線跡という整備された遊歩道(周囲の家が避けている)を発見、帰宅してから調べたら、昭和47年に廃止となった「玉野市営電気鉄道玉野ローカル万歳)」の跡だとか。
いつもながら、瀬戸大橋を渡る電車からの眺めは良い。


関西は怖い


朝、松山まで行こうと姫路駅に行く為、せっかくだから、一駅でも山陽電鉄に乗ってやろうと「手柄(てがら)」駅にて、
「まぁ東京のカードでもええやんか。」と「するっとKANSAI(大阪方面の、JRと私鉄で使えるカードらしい)」の代わりにパスネット(東京の私鉄で使えるカード)を券売機に入れたのが運のツキ。切符が買えなかった上にカードを飲み込まれてしまった。駅員が居なかったので、姫路駅から人が来るまで三十分程券売機の横でボーっと。
九時三十六分の電車でようやく姫路出立。このまま山陽本線を岡山に出ても良いのだが、回り道して(遅くなっても四国に入ってから同じ電車になる事は時刻表で分かっていたので)、忠臣蔵のふるさと、「播州赤穂(ばんしゅうあこう)(兵庫県赤穂市)」を通り岡山へ。
いよいよ瀬戸大橋を渡り四国に入り、最終目的地、松山へ。
四国、予讃線の「伊予西条(いよさいじょう)」駅ではホームでわき水が飲める。飲み残しのお茶を捨ててペットボトルに詰める。


西へ、西へ。


瀬戸内の海の幸を冬のうちに、と思い風呂敷一つ抱えて、再び四国は松山(愛媛県)へ。勿論の事、乗車券のみの鈍行旅行。
七時過ぎに我孫子を出て、東海道線を西へ、西へ。
本日は姫路に宿(ユースホステル)をとり、明日四国に乗り込む。
東海道線「関ヶ原」付近は雪国のよう。(iBookが無いと上げられないので、画像は帰宅後。)


ぶらぶら帰る

太平洋の日の出
朝は布団の中から日の出を拝む。太平洋を望む旅館の一番良い部屋なのだ(何しろこんな時期に泊まる奴も居ないから)。
旅館前の海岸で、朝日を臨みつつ海の水で顔を洗う。落語「芝浜」にこんな場面があって、前から一度やってみたかったのだ。
ランダムに寄せては返す波をすくうのに四苦八苦。足濡らす。「男の夢」とは、はかない物なり。
朝の散歩がてら、駅まで電車の時間を見に行く。こうして知らない街中をぶらぶら歩いていると、自分の存在という物が疑わしくなってくるな。
チェックアウトして、九時半頃「河原子」から「ちん電(日立電鉄)」で常磐線の「大甕」を素通りし、山側の終点「常北太田(茨城県常陸太田市)」へ。
すぐ裏手は水郡線の「常陸太田(茨城県常陸太田市)」。のんびりしていたら、接続を待っていた列車が出ていってしまった。この十時二十一分の次は十二時ちょうど。おい〜、廃線の日立電鉄の方が本数あるよ。
駅構内には、「水郡線活性化の為に、切符は往復で買いましょう。」の張り紙。大変だなあ。
土地の人に勧められるまま、時間潰しに入った喫茶店「煉瓦屋」で思いの外長居してしまい、駅に訊いてもらって、次の一時十三分に乗ることにし、ぶらぶら帰る。


「ちん電」の旅

日立電鉄の車内
朝起きたら、三月いっぱいで茨城の「日立電鉄」が廃止になることを思い出し、海も見たかったので、食器を洗って出発。
常磐線の「大甕(おおみか)」から、海岸線に沿って常磐線「日立」方面に進み終点「鮎川」に行く電車と、太平洋に背を向けて山の中に入り、水郡線(すいぐんせん、水戸と郡山を結ぶが、少しだけ突き出た支線が「常陸太田{ひたちおおた}」へ延びる)の「常陸太田」に隣接した「常北太田(じょうほくおおた)」へと伸びる電車。「大甕」から「鮎川」方面の電車に乗り、途中の「河原子(かわらご)」で下車。
海水浴シーズンでもなく、静かな浜辺。ぶらぶらしていたら、隣の駅まで行きついてしまった。地元の人は「日立電鉄」等と呼ばず「ちん電」と呼ぶ。愛称に違わず、小さな電車。
旅館を探し、魚を食べる。
車両は、営団地下鉄(現「東京地下鉄」)の銀座線で活躍していた電車。車輪の脇から電気をとっていた地下鉄銀座線は、ポイントを通る度に電気の供給が途切れて車内が真っ暗になる。その際に点くランプがそのまま残っていた。


疲れを引きずる一日

午前七時、帰宅。風呂を沸かして入り、そのまま寝る。起きたら午後三時。夕飯を作るのも面倒くさいので、再び風呂に入った後、北柏(隣駅)のいきつけの喫茶店「C」にて夕飯を喰おうと歩き出すものの、途中で力尽き店主殿に救助を要請(関係ないけどこの店主殿、五十過ぎのオバ○ャンにして日産のシルビア{二人乗りのスポーツカー}に乗ってる。)。歳をとると疲れが抜けなくて…
食後、店を閉めて送ってもらう(スミマセン)。でまた風呂。お休みなさい。