久留里の大賀蓮

久留里の大賀蓮 SIGMA DP2 F5.6 1/125 ISO400
久留里に蓮を見に行った時、DP2で撮った写真。
地元の人が休耕田に蓮を植えているのだそうだ。
こうやって見ると心洗われる雲上の秘境の様だ。余り咲いていないけれど。
地元の食堂のおばさんは、「去年はもう咲き終わっていて今年は…」なんて言っていた。


久留里(くるり)に行ってきた


別に難読地名ばかり選んで出掛けている訳では無いのだが、今日は房総の久留里に行ってきた。
内房線で東京湾沿いを南に下り、途中 木更津から久留里線というローカル線に乗り換え久留里へ。
持ってくれれば良いなと言う希望も空しく、着いたときは既に雨。向こうに見える青いテントの様な物の辺りが今回の目的地のお祭り会場なのだが、それ以外はひっそりと。梅雨の里山の風情。
田舎に行くと見る、もはや商店街の体をなしていないのに在る、商店街の様な、店の名前の入った街灯は、寂しさを余計感じさせるアイテムである。

この間行って写真日記のために写真だけ撮り、忘れていた亀有のショッピングセンターの衣料品売り場。もう開店後数時間過ぎていますが。
「しかし西洋人風のマネキンに浴衣は似合わないなあ」とか「もうここは梅雨明けなんだな」とか考えたり。
今回は写真を説明しすぎてしまった。本来写真家が写真の中で提示して見る者に考えさせるべき所をこうやって文章で説明してしまうと、見る側はそれ以外の見方ができなくなってしまう。人によって見る所、受け取り方は違うから、写真は面白いのに。


E-P1とDP2

近所のあじさい SIGMA DP2 F3.5 1/125 RAW現像時に 露出-0.6 彩度-0.8
オリンパスからE-P1が発表された。
簡単に言うとコンパクトデジカメのレンズを交換できる様にした新製品。今の所交換レンズは普通のズームと34mm(35mm換算)の単焦点レンズだけ。
ところで先日購入したシグマのDP2質感はプラスチック然としてちゃちだし、不格好だし、とても七万円するカメラには見えない
格好や質感はともかくも(僕個人としては他人が見て身構えない様な安っぽいカメラの方が良い)、撮っていて不満に思うのが、シャッタータイムラグの長さ。
レリーズボタンを半押ししてAFやAEを固定し、それから構図を決め、歩いている人のタイミングを見計らいレリーズボタンを押し込むと、間に一つ間を置いてシャッターが切れる。「カシャン」(「カ」がレリーズボタンを押し込む音だとして「シャン」が実際にシャッターが切れる音という感じ。)
雑誌やインターネットのレビュー記事なんかだったら、「この一段ずれる感じが心地良いのである」なんて誤魔化しそうだけれども、そう自分を誤魔化そうと思おうにもやはりこれは無理だ。タイミングが一歩遅れた写真がたくさん撮れる事になる。
フィルムカメラで使っていたHEXARはこんな事は無かったし(確かに格好も無愛想だし操作性も悪かったけれども)、なんか凄く嫌だ。
そこで新発売のE-P1。34mm単焦点レンズを付けてスナップするには、良いんじゃないの?と思っている。いや、このDP2も「シャッタータイムラグ問題」さえ解決されれば良いのだが。
DP2は、出てくる絵は非常に良いと思う。カラーフィルムで言うとコダクロームの様な。デジカメの絵作りがベルビアやプロビアの様なスキッとしたヌケの良い方向に行く中、この濁った様な深い色は個性的で貴重だと思う。
(ただ、下らない何も写っていないだけの写真に「何かあるんじゃないか」と思わせてしまうという危険な弊害もあるのだが。何も写っていない物は、どんなカメラで、レンズで写そうとも、「何も写っていない」のである。)
しかし、幾ら絵が良くても、こちらが思った瞬間を切り取れないのでは意味が無い。
だから、その点をE-P1に期待する。
ただ銀のボディに銀のレンズは無いと思う。別にカルチャーセンターで自慢しようってんじゃないんだから、こんないかにも「持ってますよ」というのは勘弁だ。黒塗りのでも出たら買おうと思う。
いつも歩いて通る所にあじさいが咲いていてきれいだなとは思っていたのでDP2で撮ってみた。レンズがどうのとか、カメラがどうのとか、FOVEONがどうのとか言うよりもまず、あじさいが濡れていた方が花の質感も色っぽさも出るのだろうが。(画像をクリックすると等倍に拡大)
こんな所で晒す事もないとは思うのだが、友人が三歳になる娘に柊を、青い実を付けているというだけで「ブルーベリーだよ」と教えていたのを思い出し、庭の本物のブルーベリーを撮って載せる。まだ実は緑だがね。(これもDP2にて撮影・画像をクリックすると等倍に拡大)
まだ実の青いブルーベリーの木 SIGMA DP2 F3.5 1/125 RAW現像時に 露出-0.6 コントラスト+0.8 彩度-0.8


近況

十月に写真展をやる事になったので、その準備で夜な夜な半切のプリントをしていた。
展示枚数は三十枚ほどなのだけど、これから暑くなってしまうと温度管理が大変になる(全ての薬液を20度に保つ様にしないといけない)ので、今のうちにやっておこうと思った。
九月も彼岸過ぎれば涼しくはなるだろうが、その頃にはもう額装屋さんにはプリントを預けなければならないだろうし、考えてみると面倒な時期に写真展をやる事にしたものだ。


DP2 購入

リコー GR digital と SIGMA DP2
一部の人には説明する必要が無いくらい、機能を割り切った、良い写真を撮るための道具としての意味以外無い、ズームも手ぶれ補正も顔認識なんてもちろん無い、新発売のデジタルカメラ、シグマのDP2を買ってきた。
単焦点(あらかじめ決まった画角になっていてズームできない)のコンパクトデジカメとしては、去年夏に買ったリコーの GR digital があったけれども、これは画角が28mmというワイドな物だったので、「(出るわきゃ無いと思うけど)35mmぐらいの画角のコンパクトデジカメが出たらただ黙って買おう」と思っていたら、シグマが本当に(35mmじゃないけど)40mmという画角でコンパクトデジカメを発表してきたので、先週発売だったのだが、もう買ってしまった。
作品の制作のスナップに、これまでは主にコニカのヘキサーというフィルムカメラを主に使っていたのだが、この御代にフィルム現像してプリントして、というのも面倒になってきて、じゃあそれに代わるカメラという事で、ヘキサーと同じ35mmの画角のコンパクトデジタルカメラを待ち望んでいた。
どうやら良い形でフィルムカメラとは手を切って作品制作をデジタルカメラに任せる事ができそうになったので、秋葉原に行ってヨドバシカメラで買ってきた。69800円。10万は超えるかなと思っていたけれど存外に安く発売されたので、良かった。
まだ買ってきて箱を開けた程度なのだが、上記の通り、「良い写真を撮る道具」以外の部分は全て放棄している様で、全てがちゃちい。
プラスチック然としたテカテカの筐体は、もっと安いけれどマグネシウム合金の GR digital と比べるべくもなく、スイッチ類は押して離すと「ビヨ〜ン」という部品と部品がきちんとかみ合っていないスカスカな感じはするし、液晶はきれいじゃないし、レンズは電源オフの状態でやっと三センチほど出っ張った状態で、電源を入れるとニョキニョキとレンズが伸びてくるし…
写真は左がリコーの GR digital 、右が買ったDP2。2倍近い価格差があるとは思えない。GRの方が絶対おしゃれだよね…
せっかく買ってきたのでかなり暗くなってきてはいたけれども、フィルム感度をISO800にして撮ってみた。我が家の地を這う様なツツジ。
SIGMA DP2 F2.8 ISO800


ゆで玉子サービス無料というだけで


昨日久々に行った江古田にて。
駅前で貧乏日芸生の腹を満たしていた安いラーメン屋では、只今「ゆで玉子サービス無料」。
学生の課題でももらって使ったのか、スタジオでちゃんとライティングして撮ったらしい玉子が。
たかがラーメン屋の「ゆで玉子サービス無料」如きになんじゃこりゃ。
(新しいデジカメを信濃大回りの旅以来、ずーっとオートホワイトバランスで使っているのだけど、今回もうまく雰囲気を壊さずの微妙な値を出している。)


風景写真

昨日、恵比寿の東京都写真美術館で、「ランドスケープ 柴田敏雄展」を観た。観たい観たいと思いつつ、最終日の昨日になってしまった。
この人が木村伊兵衛賞を取ったのが92年、もう十年以上前か。当時(と言っても受賞時の既刊雑誌)は雑誌に載った写真を見ても「ふーん」という程度だったが、ある程度の量を大きなプリント群で見せられると、迫力が違う。日本の地方の異様な巨大建造物(砂防ダムだとか崖崩れ止めにコンクリートで覆ったりだとか)を前にしたその場に居る様だ。雑誌では分からなかったけれども8×10inch(ネガの一コマがB5版ぐらい)の、大伸ばししても細部まで描く描写力もあり。
風向明媚な所を撮ってコレクションするばかりが風景写真では無い。これも今の日本の風景写真。
とこんな事は92年の木村伊兵衛賞受賞時にさんざ言い尽くされたんだろうけど。
メモ
MacOS10.5のTimeMachineからの復旧は、OSインストール後はエラーが出て駄目だったけれどもCDから起動してやったらすんなり元通りに。


お札を取りに

池袋のストリップ(ヌード劇場)「ミカド劇場」
今年も高校の後輩と早稲田の穴八幡宮にて「一陽来復」のお札を買ったのだけど、着物を脱いだのと一緒に実家にお札を置いてきてしまったので、昨日実家に帰ってお札を持って今日我孫子に帰る。
区役所に行って用事をすませてから、新宿のコニカミノルタプラザへ。
プレミオ 岩本浩典「WARNING!!」
多重露光できれいな風景を、というのはあったと思うが、都市の風景を、というのは余り無かったように思う。少なくとも僕はならはらいっこうしか思い浮かばない。
雑多な都市の光景に波頭がかぶさって、押し寄せるようなかっこいい風景になっている。ただそれはあくまで日本の写真の歴史を多少知ってる人間の言うことであって、イメージのたんちょではあるけれども、これらを完成した一つの作品とは思わない。
プレミオ 織田健太郎「confrontations」
発想は面白いんだけど、それらをコレクション的に並べられても、見る方の「こういう写真が撮れるんだろうな」という予想を全く裏切らない絵ばかりなので「そうですか、ご苦労さん。」という感想しか浮かばない。
池袋の新文芸坐に行き、ヴィム・ヴェンダースの「都会のアリス」「パリ、テキサス」の二本立てを観る。
やっぱり、時代という物を感じる。「パリ、テキサス」なんて、アメリカ特有のピックアップという農作業のデカいトラックみたいなんでハイウェイをバーッと。格好良いもん。
ただ二本とも、「ヴィム・ヴェンダース」という名前があるから凄いという先入観を持って観るのであって、何でもないことをただ描いて何でもない。という映画かもしれないという疑念は持って観た方が良いと思う。


土曜日の忘年会など

土曜日、友人達と以前から計画していた忘年会が所沢であるので(何しろ参加者の住所が 川越×2人+江古田×2人+東村山×1人 なので、我孫子の僕には全く配慮せず開催地は所沢と決まってしまった。)、昼過ぎこっちを出て写真展を観て実家に寄ってぶらぶら行けば良いかなと思っていたら、築地のI社に用事ができて、まずはそこに行くことになった。
それから東京駅に出て新宿へ。新宿ニコンサロンにて、谷井隆太展「ものみゆさん」を観る。
谷井隆太さんは以前コニカプラザでの新人発掘の写真展で観て、良いなと思って芳名帳に名前を書いていたら、案内葉書をくれた。
一度あちらで「新人」として扱われていながら、こちらでも「新人」ってどうよ?と思わないでも無いのだが、そんな事を言ってられない、自分の作品発表の場があれば貪欲に、というのが「新人」という物なのだろう。
色々好き勝手な事をしている人々を大きなプリントで。彩度を上げてそれが非現実的な感じで良いかとも思ったけれども、日本カメラに載った普通ぐらいの彩度の物も、良かった。
絵全体の彩度を上げると、折角の面白い小さな人達の動きが埋もれてしまうのかもしれない。
次の目的地、南阿佐ヶ谷に行くために丸ノ内線の新宿駅に行き、ついでに駅に繋がった高野のビルの4階の、コニカミノルタプラザに行く。さして期待もしていなくて、通りがかって寄っただけなのだけれども、北田祥喜写真展「続・和歌山ブルース」が良かった。
なんか地方都市をぶらぶらしているとこういう景色に会うのだけど、別にカメラを構えるなんて気にならなくて、そうすると頭の中に「あれ良かったな〜」なんて残る、そういう一瞬を丹念に拾っている感じがあって。
でも実際は辛抱強く、待って待って、その瞬間が訪れるのを待っていて、計算された世界がこういう写真になるのだと思うのだけど。
そして南阿佐ヶ谷のギャラリー街道へ。
丸ノ内線が下を走る青梅街道から少し入って… と行くと、そのまま我が母校、都立杉並高校に行く道で、何の事はない、高校三年間、自転車で毎日の様に通っていた道から少し入ったアパートの二階。
学生時分、友達の下宿に遊びに行くとこんなんだったなあ。なんて思いつつ。
本山周平写真展「写真の手帖3 信州」を観に来たのだけど、なんか暗い、試し焼きみたいなプリントで、中身もそれなり、だった。この暗い世界をうまく表現できたら良いのになあ、なんて。
ここは写真家の尾仲浩二さんが借りて作品を発表しているアパート。手摺が鉄の棒一本だけの急な階段と、階段を一旦下りないと開かないドアが怖い所だけど、居心地の悪い所ではない(友達の家の暗室に来たみたい)ので、体の丈夫な人はどうぞ。
結局実家に戻るのは諦め、丸ノ内線で新宿に戻って参加者の一人と待ち合わせ、こちらの用事を済ませ(遅れていなかったのに私の用で遅れさせてしまいました、すみません…)て所沢の忘年会へ。
気の置けない仲間というのは良いものだ。「あの生意気な増田くんが三十になるなんてね〜」って余計なお世話だ。


プリントの魅力について考える


前に一度行っていたのだが、もう一度観たくて、上野の国立西洋美術館に「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」を観に行った。
どんよりとした寒そうな北欧の曇り空(行ったこと無いけど)の、静寂の景色。
山手線で田町に行って、PGI (Photo Gallery International)へ。
川田喜久治写真展「遠い場所の記憶:メモワール1951-1966」
を観る。戦後の風景が淡々と。
古関さんのブログで「インクジェットプリントって凄い!」てな事が書かれていたのだけど、普通の銀塩プリントみたいで「どこがインクジェットなの~?」とメールしたら、「全部そうらしいよー」と。
確かに、プリントの他の面はきれいなのに、(トーンが)暗部にさしかかると、途端に針が振り切れたみたいにドーンと真っ黒になっちゃう。
「こういう物なんですか」とギャラリーの人に言ったら、同じ紙で焼いたトーンの豊富な絵を見せてくれたけれども、トーンカーブがリニアの様なヌメッとした印象で、暗部はそこそこ出てはいるんだけど、ガサガサしたような感じ。
生のプリントの魅力って、印刷物と違って暗部が真っ黒の様で、よくのぞき込むと実はそこに何かが立ち現れてくる様な、沼の底を見つめる様な物があると思うのだけど、これではちょっと。
インクジェットプリントの割には凄いって事なのかな?
川田喜久治さんの写真も、暗部が潰れている様で居てのぞき込むと実は薄くあって… というのだともっと作品に深みが出たと思うのだが。
所詮印刷物の延長の様な。
芳名帳を見てみたら、結構日芸写真学科の人達が来ていた(誇らしげに学校名を書くなよ)のだけど、これが良いプリントの基準の様に思われちゃうといけないよな、と思いつつ。
PGIに行く途中の芝浦の運河。