「ブッ飛び」(嫌われ松子の一生)


「動きたくない…」等と言いつつ、柏に出て、映画「嫌われ松子の一生」を観た。
以前観た下妻物語」の中島哲也監督の作品。
「嫌われ松子」こと、川尻松子の滅茶苦茶な(非常に濃い)人生を追う滅茶苦茶な映画。
話も主人公もブッ飛んでいるのだが、映像もそれに見合ったブッ飛び具合で、それが楽しい。それらがテンポの良い話の運びで進んでいって、とても楽しい映画。
話の中でその都度時代のニュース映像など出てくるのだけど、「『だんご』空前の大ブーム」(平成十一年)だそうな。懐かしい。
三十分ほど前から柏の映画館の中のソファーに座っていたら、他の人は開演十五分前になって整列させられたのに、何か良いと言われ、しかも最初に入場させてもらいました。どうもスミマセン、柏ステーションシアターの方。


「ハマのメリーさん」(ヨコハマメリー)


昨日、日芸でやっているオリジナルプリント展を観に江古田に行くついでに、池袋東急というビックカメラの向こうのビルにある映画館で、映画「ヨコハマメリー」を観た(参考)。
白塗りの化粧で横浜の街角に数十年立ち続け、忽然と姿を消した「娼婦」の物語。
本人は出てこないまま、戦後、昭和という時代の伊勢佐木町界隈が様々な人によって語られていく。様々な噂に彩られたメリーさんについても。懇意にしていた末期ガンのシャンソン歌手、通路に寝泊まりしていたビルのオーナー、メリーさんの生きざまを一人芝居にして演じ続ける女優…
出身地の老人ホームに今は居るメリーさん、凛としたその美しい姿。
この映画は、メリーさんという人の生き様と戦後を辿る映画であると同時に、永登元次郎(ながとがんじろう)という2004年に亡くなったシャンソン歌手の歌声を、その中に聴く映画でもある。
学校に行ってから、杉並区役所に行き用事を済ませ、阿佐ヶ谷駅までパールセンター(というアーケード商店街)を通って、ねじめ民芸店で徳利とおちょこ、扇子と箸を買う。


「報道の姿勢」(グッドナイト&グッドラック)


昨日の行動の続き。新宿のコニカプラザで写真を観た後、六本木に行って映画「グッドナイト&グッドラック予告編)」を観る。
ジョージ・クルーニー 監督の、アメリカに共産主義者排除の動きが広がった1950年頃のお話。
CBSのキャスター、エドワード・マローが番組の中で意見を述べる、批判されたマッカーシー議員もまた番組の中に機会を与えられ反論する。会社の中で彼らは孤立する。淡々と、しかし熱い戦い。報道によって真実を伝えるなんておこがましいのだが、その為に常に客観的立場を貫く努力が必要で、これはなかなか難しい。周囲の圧力、世論のなりゆき…
トーホーシネマズ六本木ヒルズの廊下。


体がむずむず(寝ずの番)

昨日は、前日撮影の成果物を築地の某社に届けて本日の業務終了。社員の人と昼御飯を食べてから、東銀座のニコンサロンに行き、シネスイッチ銀座で、映画「寝ずの番」を観た。
エッチでスケベな下ネタ満載のカラッとしたお笑い。決して下品では無い。ゲラゲラ笑うのでは無く、クスッとする、上方艶笑噺。
品川のキヤノンギャラリーSに行き、昨日までの『稲越功一写真展「遠い雲、中国」』を観る。写真家としても、広告写真の世界でも有名な人だけど、どうなんでしょうね?
肩肘張った所が無いのが、つまらない。
風邪っぽいので、駅前のイトーヨーカドーで卵と手羽先とうどん玉買って帰り、鍋焼きうどんと卵酒呑んで寝る。今日は快適。
先週一週間ジーッとしていたので、体がむずむずして。


「絡み合う人々」(クラッシュ)

映画「クラッシュ」を観た。
アカデミー賞を色々獲ったという、人種差別を扱ったアメリカ映画。
特に観る気もなかったのだけど、最初は「なぜ(他の特定の作品が)アカデミー賞をとれなかったのか分からない!」と言っていた@CHaTのニッキさん(ニュージーランド在住)が観てみてから「やっぱりあれは凄い、アカデミー賞にふさわしい映画だ。」と言っていた(まあ節操無く前言を覆す人ではあるのだが)ので、興味もあるし、銀座では丁度今日までだったので。
感じとしては、数年前に観た「マグノリア」に似ている。様々な人々、人種が渦巻くアメリカの各々の群像。良くも悪くも絡み合う人々。観た後からシーンの一つ一つがよみがえってくる、秀逸な作品。


「世代交代」(お茶漬の味)(麦秋)

昨日、池袋の新文芸坐にて、小津安二郎の「お茶漬の味」と「麦秋」の二本立てを観てきた。
小津映画に出てくる俳優の台詞は、概して自然ではない。悪く言えば棒読みのような感じでさえある。だからと言って、演技が下手という訳ではない。自然な演技がうまい演技とされているような昨今、そんな事を思う。
「麦秋」は観た事のある小津映画の中でも一番好きで、何度も観ているのだが、確かスクリーンで観るのは始めての筈。「お茶漬の味」は始めて観たけれども、小津作品の家庭的なイメージからは意外かもしれないが、珍しく(僕の観た事のある作品では恐らく始めて)夫婦をテーマにした作品。
「麦秋」は、親から子、孫への世代交代の寂しさのようなものが訥々(とつとつ)とした語り口で進んでいく、そんな作品。
映画の後、新宿は歌舞伎町の焼鳥屋に六本木で働いている大学の友達を呼び出して食べてから、新宿のゴールデン街のバー「K」に写真展の案内葉書を置きに行き、呑む。あ、四月から始まったNHK夜のコント番組「サラリーマンNEO」を観そびれた…


「ファンタジー」(かもめ食堂)

柏に出て、映画「かもめ食堂予告編)」を観た。
何だか最初から小林聡美はフィンランドのヘルシンキに食堂(レストランでは無いらしい)をオープンしているし、何だか客は居ないけど店主(小林聡美)はどっしり構えていて、変なガイジン(というか現地の人なのだが)が来て、そこに変な理由で片桐はいりが居候してきて、んでもってもたいまさこが来て、また変なオバチャン(現地の人)が来て、要は、のんびり進んでいく、大人のファンタジー。
大体何でいきなりヘルシンキに食堂を出そうなんて考えたか分からないし、そこに至る壁、葛藤があってしかるべきなのだが、一応劇中でも煙に巻かれる返答が用意されていているのだが、そんな事はどうでもいい、最初から最後までフワフワしているのです。
映画を観て、「あー、観た。」という満腹感を味わいたい人にはお勧めできないが、なんか良い気分になって帰る事のできる映画一本。


「愛について」(うつせみ)

映画「うつせみ予告編)」を観た。
「魚と寝る女」「悪い男」「春夏秋冬そして春」「サマリア」の韓国のキム・キドク監督の最新作(と思ったら予告編で夏の終わりに公開の「弓」なる映画が出ていた。)。
キム・キドク作品の衝撃的な世界に慣れ親しんでいる向きには、最近の作品は衝撃性(「訳のわからなさ」とも云うのだが)としては弱まった感じだが、精神的な衝撃性は健在である。
女は自分の理想の男を現実の男の後ろに観る。結局、男女の愛なんてこんな物かもしれないな。何だかんだ云っても、凄い映画です。そして、凄い監督です。
そのまま同じガーデンプレイスの中にある東京都写真美術館で「私のいる場所—新進作家展vol.4 -ゼロ年代の写真論-」を観た。こういう、現代美術みたいな写真を観るといつも思う。
たかが、写真なのにさ。
って、駄目?


幽玄の世界再見

渋谷のユーロスペースにて、川本喜八郎の過去の人形アニメーション作品のレイトショーを観た。
ユーロスペースが道玄坂の方に引っ越してから始めて、パンフレットの地図を見ながら行ったのだが、
要はホテル街じゃん。こんな中をキョロキョロしながら歩いて、親兄弟には余り見られたくない姿だな。
今夜上映される作品の内、三作品は、中学時分ビデオも買って、何度も見ているのだが、やはりスクリーンで観たくて、来た。
やはり一番の秀作と思うのは「道成寺」で、平面的な背景に、抑制された動きの人形が怪しく、美しい。
中国で作られたという「不射之射」は、良い意味で土臭い、埃っぽい雰囲気に川本氏の人形が透明感を抑えてとけ込んでいて、思わぬ収穫だった。黒澤明の「デルス・ウザーラ」の様な。と云えば良いのか。
とか何とか云いつつ明日は朝から仕事の撮影で、六時起き。果たして起きられるでしょうか?請う御期待。


「死者の書」

川本喜八郎チェコ、カルロビバリ国際映画祭での川本喜八郎についての紹介)の人形アニメーションの最新作、「死者の書(原作: 折口信夫)」を観た(岩波ホール 4月7日まで 予告編 釜山国際映画祭の予告編)。
岩波ホールだけの単館上映だが、11:30の回に二十分程前に行ったのに、混んでいたのは驚いた。
一時間の上映時間の内、二十分程は奈良及び物語の背景の紹介ビデオ。残り四十分が映画。四十分だけの内容に二千円余り払う映画があっても良いし、川本氏の作品は十分その価値があると思うのだが、どうもそれでは許されないらしい。
全体に流れる幽玄美が、テレビのような、あまねく全てをカメラの前にさらけだす照明によって消し去られていたのは残念。