忘れられた「市民会館」なるもの

我孫子市民会館の「我孫子市内に居住する就学前の児童とその親」を対象にした遊び場「すくすく広場」
一日家に籠もって暗室作業。昼御飯を食べに行ったついでに市役所の方まで歩くと、「我孫子市民会館」なる建物を発見。「こんなのあったんだ」と思いつつ入ってみると、案の定忘れられた様な館内。
ここが唯一?の「市民会館」だった頃は賑わっていたのであろうが、「生涯学習施設『アビスタ』写真日記内の記録)」ができた今は、使う人もなく裏ぶれた佇まい。
「すくすく広場(説明によると、『我孫子市内に居住する就学前の児童とその親』を対象にした遊び場らしい。)」なる所だけが寂しくオープン。


すがすがしい


雨上がりですがすがしく晴れたので、常磐線の「天王台」駅から川村学園までバスに乗り、そこから成田線の「新木(あらき)」駅まで、利根川の土手を撮影散歩(知っている人は、結構歩いた事が分かるはず。知らない人は、まあいいや。)。筑波山を望む。
歩くとどうもお腹の調子が良くなるらしく、便意を催し、「我孫子ロイヤルケアセンター求人ページ)」なる介護老人施設に飛び込みトイレを借りる。
借りておいてナンだけど、「ハコモノ」というか何というか、最近はどんな地方に行っても(正確には、地方に行くほど。)「老人福祉」に出会いますな。
例によって、内側からは開かない出入り口のドアに四苦八苦。


クサい飯

一週間ぐらい前に、電気釜が壊れて新しい物を買ったのだが、内側がプラスチックで、いつまで経っても臭いが消えない。熱せられて臭いが充満するのか、プラスチック臭い御飯が炊きあがる。
で、購入したケーズデンキへ。電気釜は棚に入っていて、蓋が上の段につっかえてしまうので、入っているお釜を取って内部を見る事は(無理矢理棚から引っ張り出さない限り)不可能。
「レシートと一緒に持ってきて頂ければ交換しますよ。」という店員の頼もしい応えに、交換する電気釜を探す。そこ(内部がプラスチックかどうか)にこだわって全て棚から出して見てみると、他の製品は全て内部は金属製。相当な「外れクジ」をひいてしまったらしい。
新しい電気釜を決め、帰宅して「クサい飯電気釜」を洗って元の箱に戻し(こういう時、箱やレシートはとっておく習慣に我ながら感心。)、持って行って替えてもらおうと思ったら、在庫切れで一週間後入荷だって。手際悪すぎ。
お陰で私、一週間御飯が炊けない生活に突入。


名作の予感


バッテリーが減ってきて交換したばかりのiPod(Dock Connector)(一世代前の)のボタンが利かない。タッチセンサーなので触れると反応する筈のボタン類。銀座のアップルストアに例によって持ち込むと、その場では何も症状は出なかったが、ジーニアスバー(Macに関する色々な質問に答えてくれたり、修理を受け付ける所。)の兄ちゃんは、散々悩んだ揚げ句「また来るのも大変でしょう」と、こちらの「今は何とも無いけど壊れてるんです!」の訴えを信用してくれて無料で新品に交換。九十日以内だからだそうな。で、また保証が九十日延びる、らしい。良かった。
上野にて、映画「血と骨」を観る。あの、ビートたけしが、日本に渡ってきて一財産を為す、凶暴な(物を見たら壊す、女を見たら犯す。)在日朝鮮人の役をやっているアレである。(在日の団体が勘違いして、例によってこういう描かれ方に抗議するなんて事にならなきゃ良いけど)
結構面白かった。何より「お腹イッパイ」で、「映画を観た〜」という気になる。
例えるならば、在日朝鮮人の「悲情城市」、後半「ラストエンペラー」が入る感じ。分かった…?
10月16日のダイヤ改正で、常磐線は上野から出る全ての電車が「快速」に。
停車駅は同じ(微妙に違った)なのに取手より向こうに行くのが「普通」で、取手までは「快速」。でもって途中の「北千住」駅からはたくさん止まる「各駅停車」もある。これまで友人に「何で『普通』なのに駅を飛ばすの〜?」と何度訊かれたか分からない。その度に「あれは常磐線の『普通』であって "常磐線の普通の電車" は快速並に駅を飛ばすんだよ。」と分かった様な分からない様な説明をしていたが、これで解決。
しかし地元民としては「快速『土浦』行き」や「快速『勝田』行き」なんて気持ち悪い。


伝来の書


一ヶ月ぐらいかかってやっと読み終えたモームの「月と六ペンス(The Moon and Sixpence)(私の読んだのは角川文庫の厨川圭子訳によるものだが、現在は無いらしい。)」(松岡正剛氏による書評 ISIS立紙篇)。数年前にも読んだのだが、面白かった記憶だけで内容が薄れかかっていたので、再読。
本棚から掘り出した古物、両親のどちらかが買ったのであろう。で私が読み→友人1→友人2、と巡り、今再び私が読み終えた今、かなりのボロボロ状態。再読する前からボロボロでバラバラっぽかったので、殆ど家で大事に読んだ。
奥付けを見ると「昭和四十四年五月三十日 二十九版発行」とあり、所々にややきわどい描写がある。「あとがき」ではゴーギャン(Gauguin)の事を「ゴガン」と書いているし、モームは八十四歳で生きている。


命の値段

産経新聞のSankei Webより。
新潟県に10万ドルの追加支援 中越地震で米政府
香田さんの命の値段のようです。(僕の見たところ産経新聞しか報じていないのは、"いかにも" ですが…)
昨夜NHKのBSの「アメリカ大統領選挙を振り返る」みたいな番組で誰かが、「インターネットってのは優れた情報発信の場かもしれないけど、意見を同じうする人間しか見てくれないっていう欠点があるんだよね〜」みたいなことを云っていた。


行動の記録です

再び、日芸の学園祭、「芸術祭(通称ゲーサイ)」に行く。
二度も出身大学の学園祭に行くのは、別に先輩風を吹かせたかったからではなく(大体、二年ごとに校舎が分かれている現在の日芸では知り合いが居ない)、もう一度「芸術資料館」にて、「オリジナルプリント展 ファインプリントの巨匠たち(19日まで)」を観たかったから。
写真学科の学科センター(職員室みたいなトコ)で、下らない話(柏にビックカメラができるとか、落語の話とか…)で柏在住のM先生と盛り上がった揚げ句、麹町のJCIIのフォトサロンへ、
土田ヒロミ作品展 「砂を数える」』(28日まで)(本人のWebSite)を観に行く。最近大阪芸術大学(どうでも良いけど「芸大」と略すな紛らわしい!プライドは無いのかプライドは!)の教授にもなられたお方。
会場に置いてあった写真集「俗神」の方が良かった…なんて云っちゃあいけないか。
(何か僕がここで色々な物に云いたい放題云ってるけど、それは僕の見方である。実際それを観て「観る価値無し」と云うのと、観ないで「観る価値無し」と云うのは絶対違う。)
あ、携帯電話、昨日直りました。祭日を挟んで帰ってくるとは… (もっとも単に新しいのに交換するだけなんだけどね)
ここ数日で、すっかりauショップ我孫子店のお得意さんになってしまった…


ゲーサイ


日芸の学園祭、「芸術祭(通称ゲーサイ)」に行った。
工事中の校内は、至る所が立ち入り禁止で、けれども人出は変わらなくて、凄い混雑だった。祭日だったし。
校内の「芸術資料館」にて、「オリジナルプリント展 ファインプリントの巨匠たち(19日まで)」を観る。「エドワード・ウエストン」「アンセル・アダムス」「ウィン・バロック」「マイナー・ホワイト」。「やっぱ(この人達の場合)オリジナルのプリントは違うわ」と思いつつ「こんなの持ってたんだ」。受験生向けの精一杯の背伸びの様で…


天中殺?


芸術新潮のマティスの特集で予習をして、「マティス展」を再び観に行く。
iBookを持って行って、北柏の行きつけの喫茶店「Calla(カラー)」にてベタの選択(スキャナーで読み込んだ画像から焼く物を選ぶ)しようと思ったら、トイレに携帯電話を落としてしまった!以前壊してからまだ何日も経っていないのに…
何かこれ以上の災いが舞い込んでくると大変なので、「急がず、焦らず。」けれども心は焦りつつ我孫子駅からauショップへ向かう途中、先日のガラス屋さんに会う。
すみません、「ガラス戸の調子どう?」とかいう問題じゃないんです。
「また来たの?」という顔をされつつ(している様に思えた)、取り敢えず修理に出して、代替機を借りて、帰宅。また出費か…
気軽に「天中殺(てんちゅうさつ)」なんて言葉を使ってみたら、こんな深い物らしい(「算命学の世界へようこそ」より)。
朝起きたら、家の前が「霧」。手賀沼を中心とした盆地なので、霧が溜まりやすい。


「美談」には気を付けろ!

「新潟県中越地震」で、土砂崩れでぺしゃんこになった車の中から親子三人の内、小さな男の子(皆川優太ちゃん{二歳})が数日ぶりに奇跡の発見!という(くどい説明だけど、数年後には意味不明である事が想像に難くないので。)話。
彼はこれからどうやって生きていくんでしょう?日本中のオジサン・オバサンの「かわいい孫」になっちゃって。体験記でも出して一儲けするのかな?(んなワケないか)ちょっとグレたり、薬でもやってみようものなら、「あの奇跡の生還の優太ちゃんが!」とか云われて、「母親(貴子さん)の分まで生きて欲しいって云われてたのに」と云われる(思われる)。彼の人生が齢二歳にして狭められてしまった事に心から哀悼の意を表する。な〜む〜。
でもって、土砂に埋もれた車の中から彼を救出した(東京より遠征御苦労様。新潟県は東京都に頭上がらないな。)「ハイパーレスキュー隊」の隊長、活動だけして(イチローみたいに)朴訥(ぼくとつ)に「仕事ですから」とか云って去れば格好良いのに興奮してるのかもしれないけど、記者会見まではじめて、「もう(優太ちゃんが生きているのを見つけて)一握りの砂も落とさないと思った」なんて。「プロジェクトX」の観すぎじゃないの?
権力者(或いはそれを取り巻く人間)が美談を語る時というのは、必ず何か隠している物がある。失策とか。今のところ、避難先の人々に「あんな悲惨な人もいるんだから、文句云わず頑張ろう。」と云わせる。つまり「黙らせる」という効果は発揮しているようだが。
新しいお札が今日から出回るらしい。というより「二千円札というのは未だに使える」と云う事に驚き。