関西は怖い


朝、松山まで行こうと姫路駅に行く為、せっかくだから、一駅でも山陽電鉄に乗ってやろうと「手柄(てがら)」駅にて、
「まぁ東京のカードでもええやんか。」と「するっとKANSAI(大阪方面の、JRと私鉄で使えるカードらしい)」の代わりにパスネット(東京の私鉄で使えるカード)を券売機に入れたのが運のツキ。切符が買えなかった上にカードを飲み込まれてしまった。駅員が居なかったので、姫路駅から人が来るまで三十分程券売機の横でボーっと。
九時三十六分の電車でようやく姫路出立。このまま山陽本線を岡山に出ても良いのだが、回り道して(遅くなっても四国に入ってから同じ電車になる事は時刻表で分かっていたので)、忠臣蔵のふるさと、「播州赤穂(ばんしゅうあこう)(兵庫県赤穂市)」を通り岡山へ。
いよいよ瀬戸大橋を渡り四国に入り、最終目的地、松山へ。
四国、予讃線の「伊予西条(いよさいじょう)」駅ではホームでわき水が飲める。飲み残しのお茶を捨ててペットボトルに詰める。


西へ、西へ。


瀬戸内の海の幸を冬のうちに、と思い風呂敷一つ抱えて、再び四国は松山(愛媛県)へ。勿論の事、乗車券のみの鈍行旅行。
七時過ぎに我孫子を出て、東海道線を西へ、西へ。
本日は姫路に宿(ユースホステル)をとり、明日四国に乗り込む。
東海道線「関ヶ原」付近は雪国のよう。(iBookが無いと上げられないので、画像は帰宅後。)


「映画と建築」(トニー滝谷)


日曜夜のドラマ「Mの悲劇」がおもしろい。松本清張が原作らしい。
原作の連載が延びて話を続ける必要に迫られたのか、最近長谷川京子が善玉に変わっちゃって、あの「何を云っても企んでる」ワルい女ぶりが見られ無くなって惜しい。
金八先生(リンクは現在放映中の物)」では教員、「グッド・ラック(GOOD LUCK!!)」では(飛行場の)地上整備員が流行って、今度は警備員ブーム?しかしあんなに現場からボコボコ本社に上がるもんなんだろうか。
新宿のコニカミノルタプラザにて、
AMRIT VAJRACHARYA写真展「私の街 パタン」-Kingdom of Nepal-
ハレの場ばかりなのが気にならないではないが、かなり撮り溜めたであろう内容の濃さ、面白かった。
陳衛中写真展「第三極 —中国西部印象」CHEN WEI ZHONG PHTOGRAPHY EXHIBITION The Third Pole-West of China
派手な風景写真だなあと思ったら撮影者は「上海を基点に活躍するコマーシャル写真家」だそうで、道理で。
映画「トニー滝谷Yahoo!ムービーによる紹介)」を観た。監督: 市川準、音楽: 坂本龍一、撮影: 広川泰士(写真家)、そして出ているのがイッセー尾形と宮沢りえ、という何だか豪華な布陣である。しかも原作は村上春樹の短編というのだから、怖い物無し。
内容は、「ドロドロの寸止め」。
総じて建築が凄くて、主人公、トニー滝谷の家は横浜の高級住宅地らしき丘の上。窓の大きな、白を基調とした家が、彼の空虚且つ孤独な環境を物語っていて、秀逸。
開演前の映画館にて、がら空きの客席に向かってテアトル系映画会員の宣伝をする男。「こんな人生もあるのかな」と思ったり。


分かっているんだけどさ


珍しく、やらなければいけない仕事があったのだが、こういう時に限って逃避したくなるのは小学校の夏休みの宿題から変わらない。
まず床屋。我孫子駅前の床屋に行き、そのまま本日開店の「ビックカメラ柏店」へ。用も無いのにうろつく。凄い人出。この世知辛い世の中に、暗室用品コーナーがちゃんと(小さいながらも)ある事は嬉しい。
そのまま帰る。売り場の確認のみ。
我孫子駅前のマクドナルドは、二階に子どもを遊ばせておける施設があって、お母さんたちの社交場と化していた。


往年のアイドル

六本木ヒルズ内のシネマコンプレックス(一つの映画館がスクリーンを6つも7つも持っている。割とマニアックな物もやっている。)にて、成瀬己喜男監督の「浮雲」(1955年)(3月11日まで)を観に行く。
以前日芸の授業でレーザーディスクでか何か観たのだけど、面白かったので再び。
館内には「往年のアイドル」「森雅之」を再び観ようと来たオバサマ方が一杯。
映画の登場人物というのは、自分の近辺に居ちゃ困る位バカでイヤな人間の方が面白い物だ。その点この主人公の富岡(森雅之)という男は申し分ない逸材で、終始女にだらしない。
日比谷の「みゆき座」が閉館になってしまうそうで、それにあわせて「往年の名画」って奴を一本300円(やけだな)で観せてくれるのだそうな(3月26日〜3月31日)。混むのだろうと見越して、3月19日から指定席券(500円だけど)を売り出すのだそうな。
中には、1964年の「博士の異常な愛情」なんてキューブリックの白黒映画もある。
原題は「Dr.Strangelove」。凄い翻訳があった物です。


久々の晴れ


仕事で、四谷(四ッ谷・東京都千代田区)へ。いつも地下鉄丸の内線に乗っていると少しだけ顔を出して、上智大学とテニスコートが見える四ッ谷駅近辺。
久々に晴れた東京。
上智のテニブス…じゃなくてテニス部らしき女の子達と、その向こうを走る赤い電車(地下鉄丸の内線)。
都心の「閑話休題」。


生真面目写真

用あって実家へ帰る。我孫子→善福寺。
途中、新宿のコニカミノルタプラザに寄り、『フォト・プレミオ −24人の新しい写真家登場− 吉田穂積写真展 「Chronic Absence」』(3月4日まで)『フォト・プレミオ −24人の新しい写真家登場− 林 知遠(イム ジウォン)写真展 「光を求めつつ」』(3月4日まで)『森脇啓好写真展 「宗谷」 -冬の旅-』(3月4日まで)を観る。
ある意味対照的な二つの写真、「現代社会(この場合、ニューヨークとパリ)の印象」である「Chronic Absence」と、「アジア、アフリカから日本に来る盲学校への留学生」の「光を求めつつ」。銀塩の白黒写真である事は変わらないが、「Chronic Absence」は展示方法もざっくばらん。現代美術の様な感じ。対して「光を求めつつ」は、写真全てが真面目で、プリントもツボを押さえていて、好感は持てるんだけど、インパクトに欠ける感じは否めない。腰を据えて鑑賞するという形態では、まだ良いのだけど、会場に置いてあった「アサヒカメラ」のグラビアに載った写真では、周囲に埋もれてしまって、損をしている。


ぶらぶら帰る

太平洋の日の出
朝は布団の中から日の出を拝む。太平洋を望む旅館の一番良い部屋なのだ(何しろこんな時期に泊まる奴も居ないから)。
旅館前の海岸で、朝日を臨みつつ海の水で顔を洗う。落語「芝浜」にこんな場面があって、前から一度やってみたかったのだ。
ランダムに寄せては返す波をすくうのに四苦八苦。足濡らす。「男の夢」とは、はかない物なり。
朝の散歩がてら、駅まで電車の時間を見に行く。こうして知らない街中をぶらぶら歩いていると、自分の存在という物が疑わしくなってくるな。
チェックアウトして、九時半頃「河原子」から「ちん電(日立電鉄)」で常磐線の「大甕」を素通りし、山側の終点「常北太田(茨城県常陸太田市)」へ。
すぐ裏手は水郡線の「常陸太田(茨城県常陸太田市)」。のんびりしていたら、接続を待っていた列車が出ていってしまった。この十時二十一分の次は十二時ちょうど。おい〜、廃線の日立電鉄の方が本数あるよ。
駅構内には、「水郡線活性化の為に、切符は往復で買いましょう。」の張り紙。大変だなあ。
土地の人に勧められるまま、時間潰しに入った喫茶店「煉瓦屋」で思いの外長居してしまい、駅に訊いてもらって、次の一時十三分に乗ることにし、ぶらぶら帰る。


「ちん電」の旅

日立電鉄の車内
朝起きたら、三月いっぱいで茨城の「日立電鉄」が廃止になることを思い出し、海も見たかったので、食器を洗って出発。
常磐線の「大甕(おおみか)」から、海岸線に沿って常磐線「日立」方面に進み終点「鮎川」に行く電車と、太平洋に背を向けて山の中に入り、水郡線(すいぐんせん、水戸と郡山を結ぶが、少しだけ突き出た支線が「常陸太田{ひたちおおた}」へ延びる)の「常陸太田」に隣接した「常北太田(じょうほくおおた)」へと伸びる電車。「大甕」から「鮎川」方面の電車に乗り、途中の「河原子(かわらご)」で下車。
海水浴シーズンでもなく、静かな浜辺。ぶらぶらしていたら、隣の駅まで行きついてしまった。地元の人は「日立電鉄」等と呼ばず「ちん電」と呼ぶ。愛称に違わず、小さな電車。
旅館を探し、魚を食べる。
車両は、営団地下鉄(現「東京地下鉄」)の銀座線で活躍していた電車。車輪の脇から電気をとっていた地下鉄銀座線は、ポイントを通る度に電気の供給が途切れて車内が真っ暗になる。その際に点くランプがそのまま残っていた。