「イタエッチ」(魚と寝る女)

再び「新文芸坐」にて、映画「魚と寝る女」と「悪い男」を観た。
「悪い男」は公開中観た上、DVDまで持っているのだが、せっかくタダで見せてくれるというのでオマケに観て、本命は「魚と寝る女」。
「悪い男」のキム・ギドク監督の99年の作品。この作品によって「鬼才」として日本でも知られるようになる。
取りあえず、湖上の貸し小屋の管理人らしき女性。なんて事はどうでもよく「何で?」という世界がめくるめく展開する。
でクライマックスはこの女が性器に釣り針を刺して飛び込み、それを泊まり客の男が釣竿を引いて引き上げる、という、映画。
あえて云えば、谷崎潤一郎調、でも不条理の要素もあるけど、シュールレアリズム程人を寄せ付けない感じ(偏見?)でも無い。
面白かった。


映画の大掃除

ちょっと昔の映画をやっている、いわゆる「名画座」最後の砦、池袋の「新文芸坐」。元々あった「文芸坐」が資金難で潰れた時、その名を受け継いで大手パチンコ屋チェーンの「マルハン」が自社ビルの一階を提供した、それが「『新』文芸坐」。そういう「奉仕」というか「還元」の精神が無いと、そもそも文化活動なんて立ちゆかないんですよ。そこで収益を求めて内容に干渉するからおかしな事になる。
で、大層な事を曰いながら観てきました。「アイ・ロボット」「LOVERS(「十面埋伏」中国語サイト)」の二本立て(という仕組み、最近知った。要は一本分のお金で二本観られるんです。)。
昨年、「つまらなそうだからやめとこ」と思ったけど何やら大々的にやっていた映画をまとめて観ようという腹。
「アイ・ロボット」良い音響で、大スクリーンで観る映画というのはこういうのか。と云うほどに迫力の映画。ただハリウッド映画に付きものの「セックス」が無かったなあ。(「撃ち合い」「カーチェイス」はあったけど)それだけ。
「LOVERS」こっちはなかなか。騙し騙され騙され騙し… という感じでもう人が信じられません。
黒澤明の「乱」もそうだったけど、「一般民衆」を出さないある意味異様な設定が貢献しているのか、ワダエミの衣装は洗練されていて、中国映画特有の(偏見?)ビンボー臭さを感じさせないのは流石。
画面は綺麗。だから新緑が出てきて、次のシーンでは紅葉で、また次は雪が降ったりしてもそれは良いのだ。そういう映画好きよ、皮肉じゃなく。竹林が異様に整備されていたり…(ブツブツ)


「『ユルユル』映画」(犬猫)


映画「犬猫」を観た。(一応云っておくけれども、「ケンビョウ」では無い。)
都内のありふれた安アパートに暮らす若者達の日々。夢を追うでもなく、自分探しをするでもなく、仕事に生きるでもなく。主人公の女性二人は、突然「これからはやっぱ中国じゃん?」といういい加減且つ訳の分からない理由で「留学する!」と旅立った「アベチャン」の部屋に同居する事になる。でもって物語のクライマックスは、片方の女の子が連れ込んだ男は、コンビニのバイト先でもう一人の女の子が密かに想いを寄せていた男だったのだっ! …ってまあこれだけ(と云っても少女マンガ調では無い)、何が起こるでもなく、でもまあ何かみんなユルく、テキトーに、等身大で生きてる。そんな映画。
非常に面白かったです。大好き。ナマナマしい。パンフレットも買ってしまった。
若手自主映画の登竜門「ぴあフィルムフェスティバル」で受賞し、8mmフィルム(ビデオが出る前にあった「ジーッ」というヤツ)で作られた作品が好評を博し、監督自身の手でリメイクというシンデレラストーリー。
舞台は当然都内の色々。江古田やら井の頭線沿線やら、見慣れた場所が色々出てくる。でもって女の子が行く古びた図書館(そこで会う幼なじみは、暑いから図書館に来たという不埒な男)、その外観どっかで見たと思ったら、昔よく行った杉並区立「柿の木図書館」、「西荻図書館」ってのが昔は無くてね〜、ってまあ良いや。(「撮影協力」の欄を参照
井の頭線沿線に帰ってきてたどり着くのは江古田というのはどうかと思うぞ?なんて考えながら、雪の井の頭線で実家へ。


「何で〜?」(ハウルの動く城)


柏に出て、映画「ハウルの動く城」を観た。
感想は… 段々失速していく感じ。設定や脚本がよく練られていた感があって、前半はトントンと話が小気味良く進んで行き、冒険活劇という娯楽大作として、非常にこの先の展開に期待を持たせるのだけど、時間に追われたのか、後半は大ざっぱな作り。観ていて「何で〜?」という所が多々ある。某FMラジオで、「前半30分で『これは日本映画に残る作品かもしれない』と思い、次の30分では『これは宮崎アニメに残る傑作かもしれない』と思い、後の時間は…」という話をしていたが、そんな感じ。
例えば敵がスパイとして忍び込ませたヤツが味方グループの一員になってしまうという所など、本来ならば、敵の親分から云い渡された使命との板挟みになり、そこに葛藤が生まれる訳だが、そういう事は一切無視して、突然味方に取り込まれた状態になっているのだ。
例えるならば、「ルパン三世」でルパン一味が銀行強盗に入って行くと、次の場面では札束を抱えて出てくるようなもの。活劇という物は、その過程を見せて始めて観客を楽しませる事ができると思うのだが。
帰りはバスで、いつもの北柏の喫茶店に行き夕飯。


オレが居なけりゃこの会社は

映画「Mr.インクレディブル(「トンでもない」という意味らしい)」を観た。文句無く楽しい映画。話の運びが、ちょっと「調子良すぎるんじゃないの?」という気もしないでもないが。
体(主に腕)が自在に変形するお母さんが大活躍。「バーバパパ」みたい。
終わってからの「旧ソ連」を思わせるクレジット(キャストやスタッフの名前が出て来る奴)が秀逸。
ドンキホーテの火災で亡くなったバイト君達。一旦外に逃げたものの、店内に残った客の為再び店内に戻って亡くなったとか。会社の為(本人達はそう思ったか知らないが)に燃え盛る店内に戻るなんて、「プロジェクトX」の世界ですね。高度成長期を支えてきた、今「オヤジ」と呼ばれ、蔑まれて「キモーイ」と云われている人々のよう。


「足る事を知る事」(ニュースの天才)


映画「ニュースの天才」を観た。
権威ある、アメリカの「THE NEW REPUBULIC」誌の若い記者スティーブン・グラスが、功名心の余り、でっち上げの記事をこっそり書く事を覚えるが、「大手ソフトウェア会社『ジューク・マイクロニクス社』が攻撃を仕掛けるハッカー少年を抱き込む為に多額のお金を払った。」という記事を書く。しかし記事を検証しようと他社の記者が調べてみると、記事中に現れる会社も人も存在しない。
という話。一見ジャーナリズムの云々… のようだが、功を焦る余り、また「本当の自分はこんなんじゃない」という焦り(「若さ」とでも云うのでしょうか)の余り、一生をふいにしてしまう、またそこまで行かなくても社会の信用を失ってしまう。それをいとも軽々とやってしまう人間の恐ろしさ。
私の中では今年の映画No.1です。多分。
再び、新宿のニコンサロンにて、「第29回伊奈信男賞受賞作品展 宍戸清孝写真展『21世紀への帰還 IV』」(12月20日まで)「第6回三木淳賞受賞作品展 村上友重展『球体の紡ぐ線』」(今日まで)を観る。
そのニコンサロン(新宿エルタワー28階)から、ビルの間に覗く山嶺。


渋谷なんてオジサン分かんないよ〜(春夏秋冬そして春)


新宿のニコンサロンにて、「第29回伊奈信男賞受賞作品展 宍戸清孝写真展『21世紀への帰還 IV』」(12月20日まで)「第6回三木淳賞受賞作品展 村上友重展『球体の紡ぐ線』」(12月13日まで)を観る。両方とも、題名から分かる通り、既にニコンサロンによって権威付けされた年度賞だから改めてこんな事云うのもナンだが、良かった。良かったので、何も云えない。「球体の紡ぐ線」の村上友重(女性らしいけど何て読むんだ?)さん、1980年生まれですよ(私は79年生まれ)。
渋谷で待ち合わせて、韓国映画「春夏秋冬そして春予告編)」を観る。あの衝撃的な作品「悪い男」の「キム・ギドク」監督の作品である。
湖の中に浮かぶ小さな庵に住む幼子の成長、そしてそれを見守る老僧。というだけの話(公式サイトのあらすじ)だが、面白かった。
取り敢えず土曜日の渋谷は混んでいた。街は独り者に嫌がらせの様にクリスマスイルミネーションだし。大体渋谷って分かんないんだよ。映画館のあるBunkamuraに行くのも迷ったし。


資産運用?(オランダの光)

昨日、駅前の千葉銀行でUSドル立ての外貨預金の定期の口座を作った。金を増やそうなんて考えちゃいないけど、超インフレになったら、「ジュース一本が1,200円ですから。残念っ!」とか云ってられないので。
で何かくれた(口座作った時はポケットティッシュ二つだったのに今回は紙袋!)ので家に帰っていそいそと開けてみたら、
リードクッキングペーパー、ホッカイロ2個、ウェットティッシュ。…千葉銀の意図が分からん。
取りあえず行き付けの北柏の喫茶店にあげる事にしたが、向かいの薬屋の売れ残りでも詰めたんじゃないの?
東京都写真美術館にて、
「明日を夢見て」〜アメリカ社会を 動かした ソーシャル・ドキュメンタリー』を観る。「写真」が報道として機能していた19世紀後期〜20世紀初頭にかけてのアメリカの報道写真の記録。「ルイス・ハイン」「ウォーカー・エバンス」「ベレニー・アボット」… 名前だけは記憶の片隅にかすかにある。
写真新世紀展2004』を観る。「写真」というより「こんせぷちゅある・あーと」(今流行の、概念だけでほとんど完結している「アート」なるもの)みたいなのが多くて「若いモンの考える事はよく分からん」なんて云っていたら、日芸で同じゼミだった林典之氏の作品に遭遇。
いろんな人に海パンをはかせていろんな事をやらせる写真。在学中からやっていて、「増田さんも海パンにならないっすか〜?」(僕は留年していたので敬語{僕はどうでも良かったんだけど}。けど彼は浪人していて年上。体育会系の考える事はナゾだ。)なんて云っていたから、なっておけば良かったかも。
館内のホールで、「オランダののぞみ」じゃなかった、映画「オランダの光」(Yahoo!ムービーによる解説)(12月17日まで)を観る。
オランダの絵画(「フェルメール」とか「レンブラント」とか)にある独特の「光の柔らかさ」はオランダの風土によるものでは無いのか?という伝説(があるそうな)を検証しようと、実験したり、インタビュー(長距離トラックの運ちゃんなんかに)したり、定点観測する、ドキュメンタリー映画。
結論から云えば、あるとも無いとも結論は出ないのだが、それが世の中だと思う。
それよりも、富士フイルムが協力したとか云うフィルムによるきれいな映像に感激。カタログを買ってしまった。こういうのを観ると、(金銭的な問題を別にすれば)「やっぱ映画はフィルムだよな」と思ってしまう。


「イヤなヤツ」(海猫)

映画「海猫」を観に行った。
アノ「失楽園」の森田芳三監督の不倫映画である。
北海道の漁村にお嫁に来た伊藤美咲が、旦那の弟の中村トオルと云々… という話なんだけど、お嫁に来た伊藤美咲の実の弟「野田孝志」(深水元基)という奴が眼目で、
取り敢えずブラブラしてる。姉の手伝いに来ても働かなくてダンナにぶっ飛ばされる。売女(ばいた)に入れ込む。でもって云わなきゃ良いのに色々な事を云って、この映画の中の事件の発端は殆ど彼である。でクライマックスは彼が、姉の事を忘れようとして函館に来ている旦那の弟(中村トオル)に、姉から来た手紙を見せる事による家庭崩壊。で二言目には「俺って何やってもうまくいった事ないんだよな〜」って、当たり前だろっ!
周囲に居たら迷惑だけど、この映画の中では思いっきり登場人物を引っかき回して面白くしてくれているので、可。


恐怖映画館


九時の開店時間にあわせ、朝もはよから我孫子→阿佐谷(あさがや)の杉並区役所へ。用事を済ませ、九階の食堂で朝飯を喰ってから、前にあるビル二階の(隠れ家的?)介護用品ショップにて、頼まれていた「駅員さんが使うような段差のあるところに橋を架ける折り畳み式の携帯用スロープみたいなの」を探しに行く。けど買うと五万円くらい、高い。(車椅子の人、持って歩けとは云わないけど、「段差があるから駄目」なんて云ってちゃ駄目よ。)
でもって隣駅の荻窪に移動、そこでまた用事済ませてから新宿へ。
ヴィスコンティの「山猫」が「デジタルリマスター版」とか云うので観ようと思ったが、ここ「テアトルタイムズスクエア」は、普通の映画館と違って、45度ぐらいの斜面に客席をつけてある野球場みたいな映画館だから、その「恐怖の急階段(手すり無し)」を登り降りしなくて済む、出口と同じ段の席、が異常に混む。それでも「転落するよりはまし」とあちこちにぶつかりながら、一つ下の段へ。「障害者は階段にでも座って観ろ」ってのか?
昼食後、コニカミノルタプラザへ。プレミオ(新人賞っぽいの)の二作品
Suthep Kritsanavarin(ステープ・クリッサナワリン)写真展 「タイ:象と象使い」生存をかけた暮らし
は、手慣れた告発系。フォトジャーナリストとして色々やってる人らしく、載ったAERAなんかが置いてある。なんでこんな人が新人賞みたいなのにめり込んでくんの?これが第三国特有のバイタリティなのか。でもまあ巧いことは巧い。
的場ゆう子写真展「KIHADA」whangdoodleland
題名通り、様々な「木肌」(日本語をとりあえずローマ字にするのは好きでは無いが)を平面的に、感触を丁寧に、写し取るように、撮影した写真。じーっと見つめていると、衛星写真のようでもあり、未知の月面写真のようでもあり、天体写真のようでもある。(と思ったら自身の作品紹介にそんな事が書いてあった)想像力を喚起させてくれる写真。
経歴の所に「写真表現大学」と書いてあったから、何かと思ったら専門学校の授業なのね。学歴コンプレックス?
小畑雄嗣写真展「冬と夏の光景」-クロアチア-
良い。巧い。上記「象と象使い」のようなイヤミな感じが無くて良い。売っているという小冊子、買おうと思っちゃったもん。
巧いなあと思ったら色々な雑誌(機内誌やらクレジットカードの会員報みたいな、経済的逼迫度が低いであろう、企業イメージ向上系。)で仕事をしている(そういう雑誌が会場に置いてあった)カメラマンであった。(ついでに見たら日芸だった)